ある居酒屋での会話
「それで、なんだよ、その写真の話はよ」
串田がグラスを置いて、身を乗り出す。木下はニヤニヤと笑いながら、酒の瓶を傾けていた。
ここは彩咲町の駅前にある古びた居酒屋だ。派手さはないが、地元の連中がよく集まる場所で、串田と木下も十年来の飲み仲間だった。
カウンターの隅では、馴染みの客が焼き鳥をつつき、テレビからはプロ野球の試合が流れている。外は風が涼しく、店内には酒とつまみの匂いが立ちこめ、気楽な空気が漂っていた。
「別にどうもこうもねぇよ。ただ、ちょっと面白ぇ写真が撮れただけだ」
木下はそう言ってグラスをあおる。
「湖がどうとか言ってたやつか?」
「んだよ。桜見湖。あそこ、深い霧が結構出るだろ」
「ああ、朝っぱらとか、夜になるとモヤモヤしてるな」
串田はビールを口に運びながら、木下の顔色をうかがった。木下は昔から冗談好きだが、悪意のある性格ではない。ただ、ときどき妙に含みのあることを言うのだ。
「でさそこでちょっと、不思議なもんが撮れたんだよ」
木下がニヤリと笑う。
「不思議なもん?」
「見りゃ分かるよ」
そう言うと、木下はポケットから小さな封筒を取り出した。中には一枚の写真が入っている。
「おいおい、持ってきてたのかよ」
串田は笑いながら写真を受け取った。
写真を見た瞬間、思わず息を呑む。霧の立ちこめた湖面の上に、黒い影のようなものが、ぼんやりと立っているのが写っていた。
「これ……何だよ」
「さあな。不思議なもんだろ」
木下はまたニヤニヤと笑い、煙草に火をつけた。
串田は写真をまじまじと見つめた。確かに、ただの偶然や光の加減とも思える。だがなにかそれ以上に不気味なものを感じるかと言われれば、そういう気もした。
「どうやったんだよ、これ」
「それはまた今度、ってやつだ」
「はぁ? 何だよ、気になるじゃねぇか」
そう言いながらも、串田は笑った。周囲の客たちも、ちらほらと話に耳を傾けはじめている。こういう話題は、酒の肴としてちょうどいいのだ。
「なあ、それ本当に細工はなしなんだろうな?」
「信じるか信じねぇかは、あんた次第ってやつだ」
木下が悪戯っぽく言い、グラスを傾けた。
「しかしなんにせよ、お前も物好きだなぁ」
串田はグラスのビールを一気に飲み干す。
「霧の湖なんて、昼間でもちょっと不気味だってのに、わざわざ写真撮りに行くとはよ」
「カメラマンってのは、どこにでも行くものだ」
「アマチュアの癖にいっちょ前だわな」
「ちげぇねぇや」
そう言って、木下は笑った
串田は写真をもう一度見つめ、ふっとため息をついた。
「まあ、でも確かに不思議だわな。幽霊とか、そういうのは信じちゃいねぇけど」
「俺も別に、幽霊だなんて一言も言ってねぇだろ。ただ、不思議な写真だって言ってるだけだ」
木下はそう言い残し、再び煙草の煙を吐き出した。その横顔はどこか楽しそうで、秘密を抱えている子供のようでもあった。
やがて、夜も更け、店の暖簾が揺れるたびに冷たい夜風が入り込んでくる。その風に心地良さを感じながら、串田はさきほどの写真のことを考えていた。




