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ある女子大生の死

 白い霧が、夜の湖畔を覆っていた。

 濃密なもやが、視界も距離感も奪い去っていく。

 辺りを照らすのは懐中電灯の心細い光と、点けたままにしている車のライトだけ。そんな中で、私は立ち尽くしていた。

 風はなく、木々のざわめきさえ聞こえない。耳に響くのは自分の呼吸だけ。

 胸の奥が妙にざわついていた。別に、初めて来た場所じゃない。昼間に何度も下見をして、場所の確認もした。都市伝説を確かめに来た、それだけのはずだった。

 だけど、夜の桜見湖はまるで別の場所だった。昼間に見た、穏やかな水面も、遠くに続く遊歩道も、すべて霧の向こうに消えていた。景色はない。距離もない。ただ、白い靄と、足元の冷たい土の感触だけがあった。

 私は一人。

 そう思った瞬間、ひどく心細くなった。

 この霧の中では、自分の呼吸さえ頼りなく思えた。

 私は懐中電灯を動かし、辺りの様子を確認する。

 白い靄が、波紋のように揺れて、視界の端で影が揺らめく気がした。

 思わず息を呑む。

 私は足元を照らしながら、慎重に遊歩道へ進んでいった。

 霧のせいで距離感も曖昧になる。

 振り返ると、湖の入口と駐車場の境に停めた自分の車のライトが、ぼんやりと霧の向こうに浮かんでいるのが見えた。その光を頼りに、立つべき位置を確かめる。

 都市伝説の正体。

 影が湖に立つ仕組み。

 すべて、霧と光の条件が揃えば可能なはずだった。

 目的の場所に着くと、私は立ち止まり、呼吸を整えた。

 あとは、最後の確認だけだ。

 懐中電灯のスイッチを切る。

 霧の中に、車のライトだけが白く浮かび上がる。

 その光が、背後から私を照らす。

 次の瞬間、濃密な霧のスクリーンの中に、影が立ち上がった。

 それはまるで、湖面に立つ人影そのものだった。

「……やっぱり、こういうことか」

 思わず声が漏れる。

 影は確かにそこにある。

 都市伝説の正体が、今まさに私の目の前にある。

 私は影がなんだったのかを解明した。

 もはや都市伝説ではなくなったのだ。

 達成感と充実感が胸に湧き上がる。

 しかし湖は私の高揚とは裏腹に、世界から切り離されたみたいに静まり返っていた。

 かすかに水音がした。

 魚か、風か、それともなにか別のものか。

 落ち着け、と言い聞かせながら、懐中電灯を点けてもう一度辺りを見渡した。

 ここにはもうなにもいない。

 この湖に住まう怪異はいま私が消し去ったのだ。

 ここにはもう、恐れるようなものは存在しない。

 その時、パチン、と音がした。

 背後で、光が消えた。

 車のライトが、突然、落ちたのだ。

 驚いて振り返るが、白い世界が広がっているばかり。

 車になにかのトラブルが起きたのか?

 不安が背筋を這い上がる。

 胸がざわついた。

 それとも、まさか誰かが、いる?

 しかし駐車場には他に車はなかったはず。

 いや、そうとは言い切れない。霧で視界が悪い中だ、少し遠くにあれば気が付かない。

 誰かいて、悪戯で消したとか?

 私は恐る恐る、車に戻りはじめた。

 靴音さえ霧に吸い込まれ、周囲の気配がつかめない。

 車のシルエットが、徐々に近づいてくる。

 懐中電灯の光が車を照らす

 そのとき、微かな足音が聞こえた気がした。

 と、同時に背後から鋭い痛みが走る。

 何かが、私の背中を深く抉った。

 息が詰まり、理解が追いつくより先に、体が前のめりに崩れ落ちる。

 冷たい砂利が頬を打ち、湿った土の匂いが鼻を突いた。

 呼吸が苦しい。熱いものが背中から流れ出る感覚。

 何度も何度も、激痛が続く。

 痛い。けれど、それ以上に、自分の体が急速に冷えていく感覚が恐ろしかった。

 霧が濃く、視界が歪む。

 白いもやが、世界を飲み込み、なにもわからなくなる。

 私は、わずかに顔を上げた。

 そこに、黒い影が立っていた。

 誰か。何か。

 その姿は、現実感を持たず、まるで霧の中から滲み出た幻のようだった。

 影。

 ありえない。

 そんなはず、ない。

 頭ではそう否定するのに、目の奥に焼き付いたその影は、どうしても都市伝説の像と重なってしまう。

 私が、証明しようとした存在。

 否、証明した存在。

 証明したはずなのに。

 冗談みたいだ。

 少女の影は実在したのか。

 そんなものに、殺されるなんて。

 けれど、そう、私は確かに見た。

 噂の湖の影を。

 ああ、だから死ぬのか。

 だって、そういう話だったではないか。

 これは当然のことなんだ。

 視界が、じわじわと暗く沈んでいく。

 音も、感覚も、すべてが遠ざかっていく。

 世界が、白い霧ごと遠のいていく。

 声を上げることもできず、恐怖と絶望と、混乱と痛みだけが胸に残ったまま、私の意識は静かに沈んでいった。

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