夏川 捜査終了
どうやら、桜見湖の都市伝説は今でも健在らしい。だが、内容は多少変わってしまっている。
自分が小学生だった頃は、桜見湖には自殺した少女の幽霊が出る、という程度の話だった。よくある幽霊話の一つだ。しかしゴシップ記事を思い出すと、その頃には話は変わっていた。
自殺した少女が“影”となり、湖面に立つ。それを見た者は、死ぬ。
さらにSNSでは、今ではあの事件で殺された女子大生が、その“影”の正体だということになっているらしい。自殺した少女の霊から始まった話が、女の子の影へとなり、気づけば“見たら死ぬ存在”へと膨れ上がっていた。
どうしてこうも、話は変わっていくのだろうか。
これが、都市伝説というものが持つ性質なのかもしれない。曖昧な噂が混ざり合い、時とともに姿を変え、より刺激的に、より劇的に語り継がれていく。
しかし、可哀そうなのは、あの事件で殺された女子大生だろう。
純然たる被害者であるはずの彼女が、今や「影となり、見た者を殺す存在」として語られている。本来、憐れまれるべき存在が、いつの間にか恐れの対象へと変わってしまった。
さらに痛ましいのは、誰もが彼女の死には触れるくせに、この事件がいまだ未解決であることには、ほとんど誰も触れようとしない点だ。
もう四十年以上も前の事件だ。真面目に考えたところで分かるわけがない、そう思っているのかもしれない。
否定は、できない。
決めてになるような情報は残っていない。
あるいはみんな、都市伝説という玩具で遊ぶことが出来れば満足ということか。
人間は昔から、起きてほしくない現実や、理解できない出来事を、都合のいい物語の中に押し込めて処理してきた。
幽霊、祟り、都市伝説、怪異。
遥か昔は畏怖からくるものだっただろう。
しかしいまはどうだ。
そういった恐怖は、いまやただの玩具と化している。
桜見湖の女子大生殺人事件は、まさにその典型だったのかもしれない。
犯人が誰かなんて、事件が解決するかしかないなんて、どうでもいい。
しかし、ある意味では自分もそれも同じである。
これ以上調べようもない。
調べる気もあまりなくなっていた。
夏川は画面を見つめながら、ふっと口角を上げた。
それから考察用に使っていたノートにこう記し、探偵ごっこを終わりにした。
真実よりも、影の方がよく残る。
そうしてまた、誰かが面白がる。
影は立ち続ける。
誰かが望む限り、その形を変えながら。
A.N