思い出した事件
リビングのテレビから、アナウンサーの声が流れていた。
「……桜見湖の再開発計画が本格的に動き出しました。老朽化した周辺施設の整備と、新たな観光資源としての活用が期待されています」
ソファに腰を下ろした夏川相介は、淡々とそのニュースを眺めていた。
桜見湖。懐かしい響きだった。あの湖は、夏川の故郷にある。
画面には、今も変わらぬ静かな湖面と、朽ちかけた遊歩道が映っている。
その光景に、幼い頃の記憶がぼんやりと蘇った。あの遊歩道の脇で、友達と探検ごっこをしたことがある。草むらをかき分けて進み、湖のほとりまで忍び込んだ。ただの子供の遊びだったが、あの頃は世界のすべてが謎と冒険に満ちていた気がする。
ふと、当時一緒にふざけていた友人たちの顔が脳裏に浮かんだ。 今ごろ、あいつらはどうしているのだろうか。元気でやっているだろうか。 どこか遠くに行ってしまったのか、それとも、まだ町に残っているのか。そんなことを思いながら夏川は小さく笑い、目を細めた。
桜見湖。女子大生殺人事件。
楽しい思い出を回顧する中で、突然、そんな異質な言葉が頭に浮かぶ。
ああ、そういえば、そんな事件があったと、夏川は思い出す。
自分が二十歳くらいのときだったか。
だとすると、もう四十年は前のことになる。
深い霧の夜、夜遅くに湖を訪れた女子大生が背後から刺され殺された事件だ。
犯人は捕まっていない。
あの頃は、オカルトブームの真っ只中だった。だから桜見湖の幽霊の仕業だと騒ぐ連中も多かった。あの湖にはそういう都市伝説があったのだ。それを信じている連中が湖にきて、現場を荒らしたというような話もあった気がする。
しかし実際のところ、なぜ犯人は捕まらなかったのか。当時は今ほど捜査技術が発達していなかったにせよ、日本の警察は決して無能じゃない。むしろ、世界的に見ても優秀な部類だと、よく言われている。
それなのになぜだろうと、夏川は疑問に思う。
なぜ犯人は捕まらなかったのか。
実は昔にも、夏川はそんなことを考えたことがある。新聞や雑誌の切り抜きを集め、事件についてあれこれ調べていた時期があった。
しかし結局真相は分からずじまいだった。
もう一度、考えてみようかと夏川は思いつく。
本当にただの思い付きだ。
いまの日常には面白いことがなく、退屈していた。
仕事はもう定年を迎えため、家にいる時間が長い。
本を読んだり、ネットでゲームをしてみたり、やることがないわけでないのだが、どれもさほど面白いと思えなくなっていた頃合いだった。
多少は人生経験を積んだいまだからこそ、見えるものもあるかもしれない。
物置を探せば、埃をかぶったスクラップブックが眠っているはずだった。幾度か引っ越しを繰り返したが捨てた覚えはない。
そういえば、知り合いにあの事件を担当していた人がいた。
当時は聞いてみてもなにも教えてはくれなかったが、いまならどうだろうか。向こうも定年して職を退いているはずだから、意外にあっさり教えてくるかもしれない。もうずいぶんと会ってはいないが、年賀状でのやり取りだけは続いている。なので住所は分かる。食事にでも誘って、ちょっと尋ねてみるのもいいかもしれない。
ソファから立ち上がると、夏川はいつになくやる気を出している自分に気が付き、それが微笑ましく思えた。