file22:夕暮れ
施設へと訪れた華子は田沼と将棋をうち、そこで指摘を受けた。臆病な将棋。それは華子自身の生き方でもあった。
ある日、六時間目の授業が入っていなかった私は二時間休暇をとって学校を出た。一度自宅に帰って着替えを済ませ、それから電車を乗り継ぎ、タクシーを走らせて急いだ。到着したのは、日も沈みかけた夕暮れだった。
何度か訪れたことのある、しかし決して馴染めなかった場所。由香ちゃんの暮らしていた施設は六年前と何も変わらずそこに建っていた。
もともと私物は少なかったのだろう。部屋の中はすでに片づけが進められていて、ふたの開いたダンボールがいくつかある他はがらんとしていた。
「荷物はこれだけ?」
私は挨拶の言葉が見つからず尋ねた。するとあいつは衣服の梱包と壁に貼られた写真やカレンダーを取るよう言った。
見ると、西の山へと沈む太陽の輝きが壁を紅に染めていた。
画鋲は使われていない。両面テープでついた写真や画用紙を丁寧に外し、粘着物を一つひとつはがしていく。どちらが話し出すでもなく、単調な作業が続いた。
子供のころの写真、大好きなテディベアと兄の絵、もちつき大会の集合写真には日付が記されていて、一昨年の様子であると知ることができた。この頃はまだ症状も表に出ておらず、元気そうだった。
私は顔には出さないが落胆していた。彼女の中に自身の存在を探していたのだ。
続いて小タンスの引き出しを開けて衣服の整理を始めた。畳む手間が省けて、ただ移すだけだった。 この冬着るはずだったトレーナーやジーンズ、パジャマなどを二つ目のダンボールへと詰め込んだ。そして最後に残ったセーターを移し終えた後、私は引き出しの隅に隠されたそれを取り上げた。
食べられるクレヨン。箱の表装のロゴが消えかかっていた。ふたを開けると、懐かしい匂いがした。半分に折れたものや豆粒ほどになったものなどがあり、だいぶ使い込まれたようだった。
「由香の奴、そんなところに隠していたのか」
新しいのを買ってやるといっても聞かなかったのだとあいつは言った。
隠されていたもう一つの物を開き、私はあいつに渡した。
それは数枚の絵だった。クレヨンで描かれていて、風景やひまわりなど題材はそれぞれ異なる。画家になりきれなかった男の絵。由香ちゃんの兄の絵だった。
彼女は入所してから兄の絵を飾りたがらなくなったそうだ。それをあいつは恨んでいたからだと信じている。でも、私にはそう思えなかった。なぜなら、破らずにしまっていたからだ。むしろ、大事にしようとしていたのではないないだろうか。
「ごめんなさい」私は呟いた。
失ったものを思い、私の目から涙があふれた。耐え切れず嗚咽が漏れた。まだ声を出し泣くことができたのだと少し驚いた。
しゃくりあげることを忘れたのはいつ頃からだろう。とても子供のように上手には泣けない。悲しみに火をともして、少しずつ思い出すように、私は不自然な声を上げ続けた。
この話はこれでおしまいです。
ここまで付き合ってくださり、最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
時間がありましたら、評価・感想などよろしくお願いします。
また「ヒゲのない猫」などかこの作品もおいてありますので、そちらもよろしくお願いします。




