file16:オタメゴカシ
兄妹の伯母さんから由香を施設に入れるよう勧められていることを華子は知った。
次の日、仕事終わりのあいつから、由香ちゃんを迎えに行く前に少し時間が欲しいと言われ、道路を挟んだ施設前の自販機の前で立ち話をした。
相談事を持ちかけられたのは、初めてのことだったかもしれない。もちろん私が兄妹の生活を知るからという理由もある。けれど、何よりも私自身が要求したことがあったからだろう。あいつはきっと、同窓会帰りに『何でも話して欲しい』と私が口にしたことを忘れていなかったのだ。
「俺が払うよ」とあいつ。
ガタッゴト。出てきた紅茶を取り出して渡すあいつの顔は照明のせいか、人形のように青白く透き通って見えた。
あいつは私が飲みだすのを待って、それから色のついた冊子をカバンから取り出した。
予想通り。それはアパートの本棚に隠されていた物。更生施設の案内だった。
「どう思う?」
「えっ……どうって」言葉に詰まった私は切り替えした。「由香ちゃんを入れたいの?」
すると、あいつは私から視線をはずした。コーヒーを一飲みして、それから小さく言った。
「入れたくないよ。俺は入れたくない」
相談というよりも意志表明に近い。『絶対に』という言葉が後に付きそうなほど、気持ちは強いようだった。
「でも、澤口は――」
「じゃあ、それで決まりじゃない」
向こうが尋ねる前に私は言いきってしまった。
あいつが由香ちゃんと一緒に暮らしたいと思っていて、実際にこれまではやってこれたのだ。それに家族でない私が口を挟むことなど出来るはずがない。
家族ではない。しかし、これからはどうだろう。この問いには、ふたりの今後を左右する大きな意味が含まれているのだと私は察していた。
そう考えを進めたとき、どういうわけか反対のベクトルを示す回答が私の頭に浮かんだ。
私はパンフレットを開き、パラパラと読む振りをしてめくりながら言った。
「でもさ、由香ちゃんはどうなんだろう。こことアパートの往復だけが本当に由香ちゃんの幸せなのかな」
私はこの手の情報に疎いから、と前置きをした上で、由香ちゃんのこれからを決めるのなら、たくさんの情報を偏りなく集めるべきだと助言した。
あいつは少し意外だったのか、目を丸くしていた。けれど、確かに納得できる部分もあるようで、何度か小さくうなずいていた。それから飲み途中である私を自販機で待つように告げて、由香ちゃんの待つ建物へと向かった。
「ちょっとは私も見てよ」
届いてはいない。妹を迎えにいくあいつの背中を見て、私はポツリと呟いてしまった。
無意識だった。スチール缶を握る手の力が抜けたほんの一瞬の拍子、心に目一杯押し込まれていた感情が口からこぼれたのだ。
真正面から反対をすれば、それこそ自分と由香ちゃんを天秤にかけて計られるような気がした。そして、何よりその結果に自信がなかった。五年前と同じように辛い別れ方はしたくない。だから、おためごかしな言葉を選び、もっともらしい理由をつけたのだ。
さも良き隣人なのだと装っていたけれど、その実は二人の仲を遠ざけようとする悪い女がそこにいた。
私は由香ちゃんとの毎日がそれほど嫌ではない。むしろ彼女と接していると、どこか温かい気持ちになれるところを気に入っていた。
私は由香ちゃんのクリクリとした大きな瞳と向日葵が咲いたような明るい笑顔が好きだ。困った顔や不思議そうな顔、果ては眠った顔という具合に喜怒哀楽で見せる様々な面に興味があった。
ただ、その一方で彼女の泣いた顔を見たくなってしまう自分がいた。どうしても五年前の出来事が消化できずに残り、胃をもたれさせるのだ。性根が腐っていると言われればそれまでなのだけど、敗北感を拭い去れず、彼女が犯す些細な失敗に憤りの矛先が向かってしまうのだ。
時折り少し意地悪く接してしまったり、わざと素っ気ない態度をとってしまうこともあった。それでも、私をお姉さんだと思って慕ってくれる由香ちゃん。これほどまで、家族以外の他人から信じられ、好かれたことは無かったかもしれない。
別に施設に入れたほうが良いと言ったわけではないし、理屈は合っている。そう思いながらも、自分の言葉があいつの決断の参考にならないでほしいと私は願った。
私は由香ちゃんを愛しく思い、それでいてあいつとのことを考えると複雑な気持ちでいた。
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