file14:同窓会
上司の配慮で休みをもらえたあいつ。由香に対して嘘をつき、後ろめたさを感じながらも、二人は同窓会へと向かった。
卒業してしまい学生が減ったせいだろうか。居酒屋での同窓会は例年よりも人数が少なかった。
話題も仕事の話や職場の人間関係が主で、一浪の末に就職活動すらまともに行わなかった私にとって、そこは少し居心地が悪かった。
一次会で帰ってしまった私達はアパート近くの公園に立ち寄り、缶コーヒー片手にブランコを揺らした。
「同窓会は楽しかった?」
「ああ、満足。懐かしい顔にたくさん会えた」
私とは違い、会話が弾んでいるように見えたので、こうして付き合ってもらったことが申し訳なく思えた。
けれど、あいつの口からもれたのは『もう来年はいいや』という意外な言葉だった。
あいつは続けた。
「永田の奴、警察官になったんだってさ。安藤は運送会社。エーキチは食品関係」
そしてお互いの仕事を聞いているうちに自ずと給料の話になったのだという。月給の相場はだいたい二十万から上だったらしい。
私は年末の掃除を手伝う際に落ちていた明細を見てしまい、あいつの給料がそれらを遥かに下回ることを知っていた。
「西垣は来年職場の同僚と結婚するらしいよ。ハネムーンは海外だってさ」
自分なら頑張っても熱海どまりと自嘲するあいつ。動揺するこちらの気持ちなど知りもせず、酒も入っているせいか、その口ぶりは軽かった。
「こっちは旅行どころか、家賃がもう少し高ければ、今の生活すらままならないよ」
そんな爪に火を灯すような暮らしの中でも、あいつは不平を言わずに仕事をこなしてきた。そして妹を守ってきた。やりがいは確かにある。けれど、人間は気持ちだけでは生きていけない。
過去に何人もの同僚が職場を去っていき、そのたびに突き付けられてきた。介護では食べていけないという一つの事実が、報われない現状に拍車をかけてあいつを悩ませていた。
私は自分が浅い人間だと知りながら、それでも努めて諭すような口調で言った。
「職業に貴賎はないよ。契約でも、派遣でも、パートやアルバイトだって大切な仕事だよ」
別に介護という仕事は何かを生み出すわけでも、伝えるわけでもない。けれど誰かが担わなければならない不可欠な役割である。
そう思い、今まで格好よく映っていただけに、そんな自分の不遇を嘆くあいつの姿が残念で悲しかった。
ブランコに座り、缶コーヒーの底を振って空かどうかを確かめながらあいつは言った。
「澤口も目指すは美術教師だもんな」
卑下する私に自分の好きな分野で仕事ができて、やりたいことをして生きていけてすごいとあいつは称えた。
こちらを羨ましがるような言い方が嫌だった。勿論あいつは純粋に芸術を求められる環境が良いと言ったのだろうし、実際に私もその目的で教師の道を望んだのである。
けれど、その一方で私は本来の動機がそんな私欲の塊であってはいけないことも承知していた。教育者の喜びは生徒の成長に携われることである。それをわかっていながら言い返せないのは、自分に確かな甘えがあったからだ。それが歯がゆかった。
私は尋ねた。
「やりたくないの? 今の仕事」
「そういうわけじゃないけどさ。楽しいことはたくさんあるし。由香の面倒も見られるし」
そう言いながらも、あいつは首を横に振った。
「お袋が死んでからは大変だったから。葬式して、家賃払って、由香を学校にやって……暮らしを維持するだけで精一杯だった」
ただ目の前にあるものを守ろうとして仕事に就いた。そして日々の仕事に慣れ、こなしていくことで懸命になった。そして気がついたらとっくに青春は終わっていた。大事なもの達も思い出と一緒に消えて無くなっていたのだ。
確かにあいつは選択をしたのかもしれない。けれど、運命は残酷だ。迷いをもつのも当然に思えた。あいつは本気で夢に進んでいたのだから。
「あのとき、何で教えてくれなかったの」
そんなに役に立たなかったのか。自分達の関係が説明もいらないほど薄っぺらだったのか。私はそんなあいつの気持ちをわかっていながら、けれど終わったはずの話を掘り返して責めた。
おそらく私を心配させたくなかったのだろう。それでも打ち明けて欲しかった。相談して欲しかった。たとえどうにもならなくても、愚痴でも泣き言でもいいから話を聞きたかった。そして何ができるかを一緒に考えたかった。
結果的に、あいつの配慮は裏目となってしまっていた。ずっと打ち明けられず、これからも秘密にしていこうと決めているのだけど、私が一浪したのは、健闘の末に訪れた結果ではなかった。
美大の試験当日、私は心細さと絶望を味わいながらあいつを待った。開始の時間がすぎても校門に立ち続け、会場には足を踏み入れなかった。ただ、あいつの姿を探して、来ることを祈るしかできなかった。
少し利口な人間であれば、優先順位は違ったはずである。しかし、私は馬鹿だった。いつも隣にいて、時には励まし合い、誰よりも思い、信頼していた相手。そんなあいつのいない大学生活など考えられなかったのだ。それだけ必要としていた。あいつが大切だった。
一般に女性の心は男のそれよりも強いというけれど、私に限っては違うらしい。だから、簡単に修復できないほどの喧嘩別れをした後、とりあえず立ち直り再び自分の生き方を考えるまでには、それなりに時間がかかった。
大学に入った私はなんとなく絵に力を入れ、そして惰性にまかせて生き方を選んだ。美大生という肩書きこそあれ、その本質は限りなく世捨て人に近かった。
そんな自分の人生に彩りが戻ったのは、あいつと再会した大学四年の十一月からだった。
私は呟くように言った。
「あのときこうすれば……なんて、聞きたくない」
もし少しだけ後悔があるのなら、理由のひとつに私の存在があって欲しい。けれど、その反面、決して弱音などは聞きたくなかった。自分が最善の選択をしたのだと、あいつには胸を張ってまっすぐ前だけを見ていてほしかった。そうでなければ、五年前の私の痛みは何の意味も成さなくなるのだから。
じんわりと目頭が熱くなり、私は黙った。
しばらくして、あいつは一言「ごめん」と謝った。
きっと、選択は変わらなかっただろうと私は思った。ただ、必要とする人がそこにいて、共に生きていくこと。手を噛まれても黙って感情を受け止め、自分が腱鞘炎になるほど老人の背中をさすってあげられる。それが優しい兄であり献身的な介護士であるあいつの良いところ。そして私が昔と変わらず好きなところだった。
「私は……私から見て頑張っていると思う。誰よりも輝いて見えるよ」
五年も経った今でさえ、私はあいつのことを好きだと言えずにいた。本当は乗り越えなければいけないことなのに、それでも自分の気持ちを伝えるのがとても苦手だった。
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