天国の夢
ドロルは真っ暗な海に浮かんでいた。
死んだのかな、と思った。
真っ暗な海はしかし暖かくて、それは次第に色を帯び始めた。何色、とは言い難い。すべての原色のような極彩色だ。
極彩色はドロルと繋がっていた。
ドロルは極彩色で、極彩色はまたドロルだった。あまりにも心地よくて、まるで子宮の中の胎児のように守られている感覚があった。
ドロルには痛みがあるはずだった。
ディケイバードの毒と、グランデオークの2度のインパクト。しかしそんなものを一切感じることなく、ドロルはただただ何かに包まれていた。
「天国か何かですか?」
誰に訊ねるでもなくそう聞いた。
「違うよ。でもゆっくりしてて大丈夫」
意外にも言葉が返ってきた。神様でも近くにいるらしい。
「……あの、いい人生を過ごせましたかねぇ?」
神様がいるのならば、聞いてみたかった。自分の生きてきた36年の人生は、意味のあるものだったのだろうか。大半をスライム牧場で過ごし、スライムを育てるばかりの日々だ。
「ドロルはどう思う?」
「僕は……そうですねぇ。幸せでしたよ。スライムと一緒に暮らす日々は、本当に」
スライムは無邪気で、エネルギーの塊で、一緒にいるだけで活力が漲るようだった。しかも牧場で育てたスライムたちは、いずれ冒険者たちとともに世界を救うかもしれないのだ。これ以上の人生は、欠陥テイマーであるドロルに訪れるはずもない。幸せだったのは、疑いようのない事実だ。
「ただまぁ、スライムを育てるばかりじゃなくて、もう少し自分自身も進みたかった気持ちもありますね。最愛の人にも出会えなかったし、子供を残すこともできなかった。まぁ、僕の人生には縁のないものだったなぁ」
「……そんなことないよ」
神様は、変なことを言う。
「もう死ぬのに、希望を持たせることは言わないでくださいよ」
「そんな夢をみてるんだね」
……夢。
これは夢なのだろうか。
ドロルにはわからない。しかし死ぬ前の夢だとすれば、それはなんと穏やかで素晴らしいものなのだろう。
「ええ、いい夢を見ています」
「きっとさ、ドロルのいい夢はこれからも続くよ?」
「そうなんですか?」
「うん。最愛の人はスーっていうの」
「ああ、スー。そういえばスーは、森から逃げられましたか?」
「うん。傷一つないよ」
それはよかったなぁと、ドロルはまた心地よくなった。
「ドロルはスーと結ばれて、これからたくさんの子供を作るんだよ」
「ははは、スーはまだ子供ですよ。それに、僕みたいなおじさんは好きじゃないでしょう」
「そんなことない!」
スーは今日出会ったばかりの少女だ。
でも、まるでずっと昔から一緒にいたように彼女の記憶は鮮烈だ。何せあの子は、両親がスライムだと言っていたっけ。
「もし彼女が僕のことを気に入ってくれているとしても、無理ですよ。何せ彼女はスライムらしいですからね」
ドロルはそんなスーの軽口が気に入っている。
なぜなら、ドロルはスライムが大好きだからだ。もしあの子がスライムの子供であれば、ドロルはその身を賭して守ると誓うことができる。
いやだからこそ、ドロルはグランデオークに飛び込んだのかもしれないけれど。
「そこは心配しないで」
神様は、どういうわけかドロルの軽口に乗ってきた。
「スライムだったとしても、子供はできるよ。細胞単位で人間に擬態すればいいだけだから」
「はは、いくらなんでも、そんなことはできないでしょう」
「ううん。できる」
神様は、どこまでも強情だ。
「それをできるのが、虹色スライムだからね」