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見知らぬ幼女

 この日は月に一度の買い出しの日だ。

 朝の餌やりが終わったところで、ドロルは隣人宅に向かった。リタイは様々な野菜を作る年寄り農家で、数少ない隣人だ。


 開け放たれた開放的なレンガ家を覗き、ドロルは彼の姿を見つけ声をかける。


「今月も頼みますね。リタイじいさん」


 買い出しに行くといっても、ここは辺境の地だ。一番近い街にいくには馬車で丸一日かかってしまうため、その間にスライムの世話をできる人間がいなくなってしまう。なので、いつも買い出しのときはリタイに頼んでいた。


「おう、ドロル。悪いがもう無理だ」

「ええ! どういうことですか?」


 急な言葉に驚きを隠せない。


「実はもう体が限界でな、息子夫婦のところで一緒に住むことになっとるんじゃ。今日の昼にもうこの家からはおさらばでの」


 頭が真っ白になってしまう。

 以前から体が悪いとは聞いてはいたが、まさか買い出しのタイミングでいなくなってしまうだなんて。しかし、それを止める権利などドロルにはない。


「そ、そうですか。それは仕方がないですね。どうかお身体をよくしてください」


 ドロルは一礼してリタイ宅を後にした。

 一人で牧場を経営するのは不便だ。こういうときに夫婦であればと思わないこともない。


 しかし、ないものねだりをしてもしょうがない。

 このままいくと買い出しができず、スライムの食料が近く枯渇してしまう。少し離れた場所にまた別の老夫婦が農業をしているはずだ。ドロルは彼らの家を訪ねて餌やりのお願いを試みる。


「モンスターの世話なんて無理だよ、恐ろしい」


 また別の人にお願いする。


「いや、無理だねぇ」


 また別の人にお願いする。


「スライムに襲われたらどう責任とってくれるんだ」


 モンスターは人を襲う。

 普通の人にとってモンスターは恐ろしい存在だ。ドロルはたまたまテイムのスキルがあるから平然と世話をできるだけで、それは特別なことだった。牧場のスライムはドロルのテイムにより人を襲いはしないが、それを言っても普通の人は信じてくれない。


「……そういえばリタイじいさんは元冒険者だもんなぁ」


 リタイはモンスターの扱いに慣れていたから、ドロルのお願いを聞いてくれていたのだ。そんなお願いを今まで聞いてくれていたことが奇跡だったのかもしれない。

 ドロルは暗澹とした気持ちになった。


 ひとまず、まだ数日分の餌はある。

 だから今日明日で困るというわけではない。それに、荷馬車であれば一日がかりだが、それがなければ夜の餌の時間までに往復は可能だ。毎日小分けに買い付ければ、あるいは……。

 いや、そんな仕入れを商人が許してくれるとも思えない。


 どうしたものかと悩みながら悲嘆にくれていると、自宅の前に一人の幼女が立っていた。

 

 え、誰?

 十歳くらいだろうか。こんなところにこんな小さな子がいるなんて珍しい。


 リタイのお孫さんだろうか。

 引っ越しだと言っていたし。


「こんにちは。お嬢ちゃん、どうしたのかな? 迷子?」


 尋ねると、彼女はまっすぐドロルの方を見た。その幼女のあまりの美しさに驚かされた。

 白っぽい髪が、赤や黄色に輝き風にたなびいている。目が大きくて、色白だが血色がよく頬は赤みが差している。肌がよほどキメが細かいのかピカピカだ。


 白くてシンプルなワンピースも質が良さそうで、もしかすると貴族か何かかもしれなかった。

 そうだとして、貴族様にこんなふうに話しかけてよかったか後悔したのも束の間。


「違うよ。ドロルを待ってたに決まってんじゃん」


 幼女はドロルの名前を知っているようだった。

 ぽかんとしてしまう。こんな派手な見た目の幼女であれば、忘れるはずもない。誰かの子供だったとしても、この歳の子供がいる知人なんていただろうか。そもそもドロルは、小さな頃に両親が他界しており他に兄弟もおらず、辺境の地に住んで長いため知り合いも少ない。


「そうなんだ。君の名前は?」


 幼女は首を横にひねったと思ったら、不思議なことを言った。


「ドロルがつけるんじゃないの?」

「…………なんで?」

「タレッタも、シャルロッテもドロルがつけた名前でしょ。あたしにだけつけてくれないなんて、ズルいじゃん!」

 

 なぜこの幼女は牧場のスライムの名前を知っているのだろう。

 ドロルの世話の様子をどこかで見ていたら知っている可能性もあるが、なぜそんなことをしていたのかも疑問だ。


 いずれにせよ、深入りは危険な気がする。

 しかし、こんな場所で幼女を一人で放置することもできない。


「ご両親は、近くに住んでいるのかな?」

「そうといえばそうだし、違うといえば違うかな」


 謎解きだろうか?

 ただでさえ問題に直面しているというのに、再びドロルは頭を抱えてしまう。


「じゃあ仮に住んでいるとして、ご両親はどこに?」

「そこ」


 指差した先は、スライム牧場の大草原だ。ドロルの可愛いスライムたちがぴょんぴょこ跳ねている。


「なるほど……ね」


 幼女の頭はだいぶエキセントリックなようだ。エキセントリック幼女。

 もしこの幼女に会ったことがあれば忘れるわけがない。おそらく地域の子供ではないだろう。だとすれば、旅行中に迷子になってしまいここに流れ着いたのかもしれない。


 少しでも人の多い街にとどけることこそが、幼女のためになるだろう。


「ところで、これからガヤイの街にいくんだけど、君も行く? 結構な時間馬に乗ることになるんだけど」

「うん」


 間髪入れずに幼女は頷く。

 なぜ知らない男との馬の旅を躊躇わないのだろう。本当に不思議だ。



 ◆   ◆   ◆


 この日は晴天で気持ちのいい気候だった。

 ドロルは幼女を馬に乗せ、抱くように後ろに乗った。


「馬は怖くない?」

「はぁ? 魔物でもあるまいし、怖いわけないじゃん」

「強気だねぇ」


 確かに動物は魔物とはまったく別の存在だ。魔物とは体内に魔石の埋め込まれた生き物であり、目的もなく動物や人間を襲う。

 ドロルのようなテイマーは、その魔石と繋がり、エネルギーを抑制することで魔物をコントロールするわけだが、そうでなければスライムでさえ人間の命を脅かす存在である。


 ドロルが手綱を操り馬を走らせるが、幼女には余計な力が入っておらず、確かに怖がってはいないらしい。


「乗馬の経験があるの? ……ええと」


 やはり、名前がわからないのは不便だ。


「名前を教えてくれないかな」

「ドロルが付けてって言ってんじゃん」


 よくわからないこだわりがあるのだろうか。

 ややこしいが、どうせ街くまでの関係だ。付けてしまった方が話が早い。


 ドロルは幼女の遊びに付き合ってあげることにする。

 どんな名前が幼女に合うだろうか。


「君のご両親はうちの牧場にいるんだったね」

「まぁ」


 だとすれば彼女の両親はスライムなのだろう。

 バカな話だ。


「じゃあ、君の名前はスーにしよう。スライムのお嬢様だ」


 ドロルはなんとなしにそう言った。

 深い意味はなかった。

 本当に遊びのつもりだった。


 快感が、貫いた。


 ドロルの体の中心に。

 まるで初恋の女の子に受け入れられたような高揚感。温かくて、寂しくなくて、細胞の一つ一つまでが喜びに包まれるような。


「……なんだ、これは……」


 いいつつ、ドロルはこの感覚を知っていた。

 これはまるで、モンスターを使役したときの感覚だ。

 モンスターと繋がって通じあい、一つになるような。それはテイマーにとって万能感を伴うものだった。


 ただし、それはドロルの知っている感覚よりも遥かに大きく、数百、数千、数万倍もの幸福感がドロルに雪崩れ込んできた。


「えへへ。スー。スーって、素敵な名前だね」


 手綱を握る内側。

 ドロルの胸元でスーと名付けられた幼女は振り返り、太陽のような笑顔を見せた。それは快感を増幅させ、ドロルは気絶しそうにさえなる。

 ——ああ、もうこのまま死んでしまっても


「ちょっと、しっかりしてよ」


 バチン、と頬を叩かれた。

 ドロルははっと我に返り自分が手綱を握っていることに気がつく。馬に乗っているのだ。落馬したらスーに怪我をさせてしまう。


 スーはこちらをまっすぐ見ていた。

 吸い込まれるような、淡い色の虹彩だ。


「……ごめん。なんだか僕、おかしくて」

「気を付けてよね。スーと一緒にお馬に乗ってるんだから!」


 スーはとても楽しそうに笑っている。

 不思議なことだ。なぜ自分は、この幼女と繋がったような錯覚に陥ってしまったのだろう。


「何か変なことでもあった?」

「い、いや……ないけど」

「ふふ、あたしはあったけどね。でもとにかく、お馬に集中するように!」

「そ、そうだな」


 ドロルは改めて手綱に力を込めた。


 きっと気のせいなのだろう。胸元の幼女と繋がった感覚なんていうのは。

 確かにスーは、派手な見た目をした不思議な幼女だけれども。それでもこんなにも普通の女の子じゃないか。



 ◆   ◆   ◆


 昼にはガヤイの街に辿り着いた。

 ドロルは驚いた。それは何せ、これだけ長時間の乗馬をスーがまったく問題なくこなしたからだ。体幹も強く、忍耐力もある。見た目よりもずっと根性があるのかもしれない。ドロルのスーへの見方が少し変わった。


 ガヤイは商人の街だ。

 いつも活発に人が往来しており、どの道を歩いても左右に露天が展開している。ドロルはいつも向かう畜産店を訪ねた。


「おう、ドロル。ずいぶん早いじゃあねぇか。 んん? なんだ、おまえ娘がいたのか?」


 恰幅の良い店主はマジマジとスーを覗き込む。


「いや、違うんですよ。うちの前で迷子になっていたみたいで」

「さらったわけか!」

「人聞きが悪いなー。そんなわけないでしょ。スーもなんとか言ってくれよ」

「そうよおじさん。あたしとドロルはもう繋がってるの。他人みたいに言わないで。とっても気持ちよかったんだから」


 店主の表情が一瞬で引き攣った。


「おいドロル……。おまえはこんな幼女と、お、おセッセ……おお、おセッセ」

「馬鹿なことを考えるな! てゆーか何考えてんだ! スーも人聞きの悪いことを言うんじゃない!」

「はぁ? 本当のことしか話してないじゃん」

「お、おセッセ……おお、おセッセ」


 それにしても。

 馬上で感じた快感は、スーも感じていたということだろうか。

 ドロルと同時に、強烈な快感を? それもまた妙な話だったが、しかし今はこの泡を吹いている店主を元に戻すのが先だ。


「すいません。買いものいいですか?」

「あ、ああ、なんだっけ?」

「毎月の飼料なんですけど、実は今日は荷台を持ってこれなくて」

「そういえばお前、ずいぶん身軽じゃねーか」


 牧場の餌やりを頼めず、急いできた事情を店主に伝える。


「だから今日は少量しか買えないんですが……」

「そいつは困るなぁドロル。おまえのために大量の飼料を仕入れてんのに、おまえが買わないんじゃ余ったやつはどうするんだ?」


 確かにそれはドロルのための仕入れ。


「それはもちろん。……仕入れ分は、お支払いします」


 ドロルの牧場経営にとってかなりの痛手だったが、背に腹は変えられない。


「明日もまた来ますが、置いておいてもらえませんか?」

「あのなぁ、ウチは倉庫じゃねーんだ。そんな商売はしてねーんだよ。帰んな。性犯罪者が」

「性犯罪は……してないんですが……」


 しかし前半はもっともな話だ。

 ドロルは毎月一定量を買い付けにくる契約をしている。そのために店主は仕入れ先を探し、こうやって準備してくれているのだ。それを反故にしたのは、他ならぬドロルの準備不足である。


「そのくらいいいじゃん、お金を払うっていってんだから。けちんぼ」

「毛ちんぽ……だと? 幼女が、そんなひどい言葉を使うんじゃありません!」


 この店主は、どうかしている。

 しかし、商売においては向こうに分がある。


「いいんだ、スー。仕方がないよ。僕が悪い」

「でもお金も払うって言ってるんだし、少しくらい融通してくれたって——」

「すみません、もう行きますね」


 ドロルはスーを引っ張って店を出た。


「二度と来るんじゃねぇ。うらやまけしからんロリコン野郎が!」


 後ろから店主の罵声が響くと、あたりの人の目がドロルへ向いた。


「聞いた? あの人ロリコンなんですって」「ってことは、この小さい子が?」「なんて酷い」「この幼女可愛すぎる……絶対に許せん」「衛兵さんを呼んだ方がいいのかな……」


 スーはドロルの腕に絡みつき放さない。


「みんながドロルを悪く言っても、スーは味方だからね!」


 満面の笑みはものすごく愛らしい。

 どうしてスーはそんな表情をドロルに向けるのか、彼自身まったくわからない。

 

 仲良くする様は、人々の偏見を呼び起こすだろう。

 この辺りにはもうこれないかもしれないなぁと、ドロルはげんなりしたのだった。


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