柔らかい抱き枕
スーはその後も食べ続け、あたりの貴族たちに『爆食幼女』と名付けられていた。
そして食べ終わったあとは眠くなったのか、テーブルに突っ伏して名前の通りスースー寝息を立て始めてしまった。
「あの……ドロル様がよければ本日のお宿にご案内いたしましょうか?」
◆ ◆ ◆
ドロルはスーを背負って、リュナと二人で歩いていた。
礼服からチュニックに着替えてしまったので、豪奢なエリアでなんだか浮いているようで居心地が悪い。
「ところでスー様とはどんなご関係なのですか?」
「いえ、本当に迷子を拾っただけなんですよ。探すあてがまったくないので一緒に暮らしているんです。今回王都に連れてきたのも、なんとかこの子の親なり知り合いなりを見つけられればという思いもあるんです」
「……ドロル様は、お優しいのですね」
「いえ、そんなことは」
「ご謙遜なさらないでください。ロールズ公爵からたくさんドロル様のことをお聞かせいただきました。昔は同じパーティで冒険なさっていたのでしょう。ロールズ様は何度もおっしゃっていました。『ドロルはモンスターを守る優しいやつだ』って」
それをエドマンドはどんな表情で言っていたのだろうと、ドロルは思う。
ドロルは使役するスライムが傷つくことに耐えられなかった。そのせいで、パーティの回復役がドロルにかかりきりになってしまうこともあった。
だからそれは、たぶん優しさじゃない。
それはドロルの、甘えに過ぎない。
「お恥ずかしい思い出話です。僕はパーティの足を引っ張るばかりだった」
「恥ずかしいなんて、そんなことありません!」
リュナは似合わない強い声を出した。
「とても素晴らしいと思います! ダメージを受けるって、とっても痛いじゃないですか。それを肩代わりできるなんて、なかなかできることじゃないです!」
力いっぱい肯定してくれるリュナに、ドロルは少しだけ心が洗われる気がした。
「きっとドロル様に助けられた人や魔物が、たくさんいますよ! スー様みたいに」
「……実は、スーには僕の方が助けられているんですよ。僕が森で魔物に襲われて大怪我をしたのですが、その怪我を治してくれたんです。おそらく魔物を追い払ったのもスーで。ああ見えて彼女はすごい魔導士なんですよ」
「スー様の言っていた繋がりっていうのは、それなのですね」
実際にドロルがスーと繋がったと感じたのはもっと前の話なのだが、ややこしくなるので黙っておく。
リュナは憂いを帯びた表情でさらに続けた。
「なんだか……妬けてしまいます。わたくしもそんな風に……いいえ、ごめんなさい。初対面で、厚かまし過ぎました」
鈍いドロルでもわかるほど、リュナは自分に好意を向けてくれていた。
ドロルはただのおっさんブリーダーで、貴族のお嬢様に好かれる要素など皆無だ。いったいエドマンドに何を吹き込まれたのか、ドロルは不安に思ってしまう。
しかし、その好意に正面から対応できるほどドロルに恋愛経験もなく、ドロルは話を逸らすのに精一杯だ。
「と、とにかくスーの知人を探したいのですが、王都で人探しだったらどこにいけば良いのでしょうか。よければ明日、案内していただけますか?」
「あ……いえ」
バツの悪そうな表情をリュナは浮かべた。
「ドロル様が王都に辿り着いたら、翌日にもロールズ公爵の元へお連れするよう言われておりまして……」
ドロルは忘れかけていたが、そもそもこの王都にやってきたのだってエドマンドの手紙がきっかけだった。とはいうものの、エドマンドは守衛にさえドロルの世話を焼かせるくせに本人はまだ現れもしない。
「……そもそも僕は、なぜここに呼ばれたかもわかっていないのですが、ロールズ公爵は何か言ってましたか?」
「少しだけ、聞いております」
「なんなのでしょう」
「詳しくは、ロールズ公爵から直接お話しいただいた方がよろしいです」
言いづらいことなのだろうか。
釈然としないが、それ以上突っ込むのはやめておいた。
◆ ◆ ◆
宿は再び庶民のドロルには似つかわしくない豪奢なものだった。
床にはふかふかの織物が敷かれ、ドロルのドロドロの靴であるくのは躊躇してしまう。部屋はわざわざ二つに分けてくれた。スーがくるだなんて知られていなかったはずだが、融通してくれたようで本当に至れり尽くせりである。
旅でよほど疲れたのか、スーはずっとぐっすり眠ったままだったのでベットに転がした。ドロルも非常に疲れていたので、浴場でお湯に浸かった後にあてがわれた部屋のベッドにダイブした。
「あー疲れたー!」
乗馬での旅で肉体的に疲れただけでなく、貴族に囲まれた中で過ごすことが普段の生活ではないことなので気疲れも酷かった。しかも、案内係が子爵のお嬢様だったのだ。リュナが悪いわけでは決してないが、ドロルはどう対応していいかわからなかった。そもそも年頃の女の子と喋ることだって、ドロルの人生でほぼない出来事だ。
ろうそくだけの薄暗闇で、柔らかく上等なベッドはこの上なく快適だ。せっかくだから味わっておこうかとゴロゴロ転がっていると、抱き枕まで置いてあったようで抱きついてみた。するとこれがまた堪らなく心地よく、触り心地はすべすべで、なんとも気が効くことに人肌に温めてあるようだった。
明らかに綿を詰めた布ではないため、いったいなんなのだろうとドロルは指先に神経を集中させた。場所によって柔らかい場所とそうでない箇所があるようで、柔らかい箇所の触り心地はとろけるほどの快感だ。マシュマロスライムに近いかな。それよりもずっと温かいけれど。ずっと触っていられるそれをナデナデモミモミしていると、「んふ」とか「いや」とかいう音が聞こえた。
いや、音ではない。声である。
「——って人じゃねーか!」
「きゃ! ごめんなさい————!」
ドロルはガバりとかかっていた毛布を剥ぎ取った。
そこには月明かりに青白く照らされた少女の姿があった。
そして、少女は裸だった。
一糸纏わぬ姿とはまさにこのことだ。
また少女は見知った顔でもあった。
それは先ほどまで一緒にいた貴族令嬢、リュナだ。
リュナは恥ずかしさを隠すように顔を手で覆っていたが、結果として他の部分は露になっており、そのマシュマロスライムにドロルの目は吸い寄せられた。が、歯を食いしばって後ろを向いて、ドロルはうずくまって煩悩を抑えつけた。
意味がわからない。
なぜ自分のベッドにリュナが?
そうだ!
きっと自分のベッドだというのが勘違いなのだ!
「すみません! 部屋を間違えてしまったようです! すぐに出ていきますね!」
「……ま、待ってください!」
決然とした声に、ドロルの足がとまる。
「ま……間違ってなどいません。わたくしが……ドロル様のベッドだとわかって待っておりました」
「……なぜ……」
「……はしたないなとは思いました。しかし、わたくしがドロル様に好いていただくには……これしかないものですから」
震えるようなリュナの声に、ドロルの心がぎゅっと掴まれる。
この娘はいったい何を言っているのだろう。
「あなたが何を考えているのかわかりません。僕はしがない田舎のブリーダーですよ。貴族であるあなたが僕を好きになる要素など皆無だ」
「そんなことはございません! ドロル様は優しいお人です。それに……わたくしは、ズルい女なのです」
ズルい?
リュナが?
話がまったく見えず、ドロルは沼の中でもがいている気分だ。
「あの……もう一度こちらにきていただけませんでしょうか。それとも……わたくしのような魅力のない女では……ダメでしょうか」
そんなはずはなかった。
いますぐ戻って、彼女に抱きつきたかった。
衝動を必死に堪え、なんとか言葉を探した。
「あなたは、魅力的です」
「ですがわたくしは、ドロル様から名前で呼ばれることすらありません」
そんなものは、失礼だから呼べないだけだ。
庶民の自分が、貴族のお嬢様を名前で呼ぶなど。
「……リュナさんは」
「『さん』は不要です」
「……リュナは……とても可愛らしくて、僕もずっと緊張しているんです。その、出会ったばかりですが、本当に、とても素敵な人だと思っています」
「……こちらにきてはいただけませんか?」
猛烈に喉が乾いた。
しかし、もしいったらリュナの何かを壊してしまう気がした。
その何かがなんなのかはわからないが。
「あまりにも魅力的な提案で、頭がパンクしそうです。すみません、僕は隅っこで寝ますね」
「……ドロル様」
「ああ、もちろん『様』は不要ですよ」
ドロルは壁に引っ付くようにして寝転がった。
胸はずっとドキドキしていて、頭も信じられないほど冴えていた。そして両手の中にはリュナの感触がずっと残っている。
ドロルはずっと女性に縁のない人生を送ってきた。
だからこれは人生最大のチャンスのはずだった。
「……どうか、どうかわたくしのことを嫌いにならないでください」
寂しい声が、耳に届いた。
「まさか……そんなことはありえません」
「明日も明後日も……きっと私を嫌いにならないでください」
「もちろんです。お約束します」
それきり二人の言葉は途絶えた。
しんと静まり返った部屋で、ドロルは自分の拍動だけがうるさくてしかたなかった。




