【SIDE エドマンド】愚鈍なコマ使い
ドロルは愚鈍で役に立つ。
それがエドマンド・ロールズの彼に対する評価だ。
エドマンド・ロールズは13歳のとき、10歳のドロルと出会った。
エドマンドが王立学園の実習で、田舎道を通ったときにたまたま見つけたのが少年のドロルだった。
少年はスライムと遊んでいた。
後から聞いた話によれば、それは屋敷のコマ使いの合間のわずかな時間だったらしい。ただし、遊んでいたスライムがハヤイスライムだったのが目についたのだ。
テイムなどの魔物を使役するスキルのある子供が魔物と遊んでいるのはさほど珍しいことではない。しかし、少年が遊んでいたのがハヤイスライムだったため、思わずエドマンドは声をかけてしまった。
「やあ。それはおまえの配下のスライムか?」
少年は警戒した視線をエドマンドに返したが、しかしすぐに片膝をついた。エドマンドが纏う王立学院の制服は見るからに上等なものだ。
庶民が貴族に楯突いたらどうなるか、少年はきっちりとわかっているのだろう。
緊張してか、少年は何も喋れなかった。
まごついている隙に、ハヤイスライムはどこかに行ってしまった。
ところでスライムには、非常に素早い種族が存在する。またそういったスライムは、倒すと非常に大きな経験値を得ることができる。当該種でもっとも有名なのはクイックスライムで、冒険者がクイックスライムをレベルアップに利用することは『クイスラ狩り』などと呼ばれている。
ハヤイスライムはクイックスライムとは比べようもないが同様の性質を持ち合わせ、レベルの低い冒険者にとってかなり『おいしい』スライムだった。
「いいのか、行ってしまったけど」
「はーちゃんがどこかにいくのは、その、自由、なので」
はーちゃん?
ああ、スライムに名前をつけているのだなと、エドマンドは思い至った。
「でも、おまえのスライムなんじゃ?」
「いえ、友達なだけです」
この種のスライムは警戒心が強いため使役するのが難しく、また戦闘で力を発揮するわけでもないので使役しているテイマーは少ない。
だから、少年のように一緒に遊ぶ姿は珍しかった。
——珍しさとは、価値そのものだ。
それはエドマンドの父がよく口にしていた言葉だった。もっともそれは、一芸を極めよという意味で言っていたのだと思うが。
「おまえ、うちのコマ使いになれ」
エドマンドは公爵家の貴族である。
なんとなく思ったことは、たいていその通りにする権力がある。このときのエドマンドは、この珍しい少年が欲しいな、とちょっと思ってしまったのだ。
しかし、当たり前ではあるが、少年は首を横に振った。
「……すみません。僕はフーワ男爵家で働かせてもらっているので」
フーワは知らないが、この地の男爵であれば間違いなくロールズ家の領地を分け与えられているに過ぎない。
「いや、違うよ。これは命令だ。男爵にはあとで俺から言っておこう」
少年はぽかんとした表情を浮かべている。
まぁ少年がどう思おうが、彼の働く場所に自由はない。庶民とはそういうものだ。
◆ ◆ ◆
少年——ドロルはロールズ公爵家の屋敷で働くようになった。
ドロルは真面目で一生懸命働くが、仕事ができるタイプではなかった。洗濯をさせれば服を破くし、給餌をさせれば皿を割った。
ドロルが屋敷内でいつも怒鳴られているのが日常になったころ、エドマンドの学園生活も上手くいっていなかった。エドマンドは公爵家の嫡男として将来を渇望されている存在ではあったが、それまで指定席だった学園での主席の座から追い落とされていた。
座学はもとより、実戦の戦闘訓練でどうしても敵わない相手が何人かおり『エドマンド家の御坊ちゃま』とバカにされることもしばしばあった。
エドマンドを凌駕したのは、庶民や自由人だ。
彼らは命の値段が安いので、単身魔物の森に入っていくことができる。彼らはポテンシャルはともかく獲得経験値が多く高レベルであり、実戦経験の少ないエドマンドとは比較にならない強さだった。
自分だって、経験値を積めば。
またしても学園で下級庶民にボコボコにやられた日の夜、エドマンドに魔が差した。
エドマンドは屋敷で隠れて泣いているドロルを見つけて言った。
「おいドロル。ここでの暮らしは辛いか?」
「……いえ、働かせていただいているだけでありがたいです」
「そうは見えないな」
実際彼は毎日のようにメイド長に怒鳴られていた。
「今の仕事は大変だろう。実はおまえに新しい仕事をやろうと思ってな」
「……なんでしょうか」
ドロルが縋るような目を向けてきた。
「おまえは魔物と仲良くなるのが得意だったよな。前に、ハヤイスライムと仲良くしていた」
「は、はい! 僕は、その、なんでか、スライムとだけは仲良くできるみたいで」
テイムがスライム限定で使えるのだろうか。
それを信じるとすれば、彼はテイマーとしての価値も薄いだろう。なぜならスライムは、魔物の中で最弱種と言われているのだ。
「その……おまえがテイムしたスライムを、俺に貨してくれないか?」
「……どうしてですか?」
「…………実は今度、学園で魔物戦闘訓練がある。魔物を使った戦闘の実践だ。しかし、俺には残念ながらテイムのスキルがない。なんというか、おまえと仲良くするスライムはいつも、いい表情をしているから」
ドロルの表情がぱぁあと明るくなる。
ドロルはロールズ家でも時折時間を見つけては、野生の魔物と遊んでいた。そして、彼はその特技で褒められたことなどほとんどなかったのだ。
「戦うなら、おまえのスライムがいいと思ったんだ」
「……でも」
公爵子息の言葉だというのに、ドロルの反応は芳しくない。
「友達を危険な目に合わせるのは……ちょっと」
「バカが!」
魔物は魔物であって友達なわけがない。そんなこともわからないドロルに、思わず声が大きくなってしまった。ドロルは明らかに萎縮している。
ダメだ。これでは。
冷静になり、エドマンドは咳払いした。
そうだ!
「ドロル、俺たちは友達じゃないか。友達のお願いは聞くべきだ。そうだ。おまえには特別に、俺と対等な口の利き方をする権利を与えよう」
公爵家の嫡男とタメ語で話せるだなんて、この上ない栄誉なはずだ。
庶民であれば小躍りして喜ぶに違いないと、エドマンドは思った。
「……でも魔物の気持ちもあるからね。彼らが本当に戦いたいかは、わかんないし」
タメ語になった上で否定するんかい。
エドマンドはキレそうになったが、ぐっと怒りを飲み込んだ。
「いいかドロル。これは魔物にとっても名誉なことだ。彼らが学園で成果を出せば立身出世も夢じゃない。ともすれば勇者の配下になって、人類を救う戦士になるチャンスなんだぞ」
「……そ、そうなの?」
「ああ、本当だ! 最初は嫌がったとしても、最終的にはよかったと絶対に思うさ。魔物だって。保証するよ」
ドロルは最後まで疑っている様子だったが、しかし最後には首肯した。
「わかった。エドマンドと一緒にいくように話してみるよ」
「あ、それでなんだが。実は試したい戦術があって、特定の種のスライムが欲しいんだ。戦闘の強いやつを選びたいから、何匹もいるとなお助かる。ええと、具体的にはハヤイスライムなんだが、可能か?」
「うん。まぁ、見つけるまでにちょっとかかるかもしれないけどね」
クイックスライムでは欲をかきすぎだと思い、ハヤイスライムと遠慮したのは間違いない。それにしても、ドロルはあっさりと可能だと頷いた。
エドマンドはごくりと唾を飲んだ。
学園での魔物戦闘訓練なんて、当然真っ赤な嘘だ。
本当はただ、ドロルの使役するスライムたちをレベルアップの糧にすることが目的だ。
その魔物たちは戦士にはなれない。
が、戦士の血肉にはなる。
そういう意味では、ドロルも間接的に戦士の役に立つようになる。
このなんの役にも立たないコマ使いのドロルが、である。
ああ、これぞ領主!
上に立つもの!
たった今この愚鈍な民を、役立つ装置に生まれ変わらせたのだ!
エドマンドの中にドス黒い清涼感が吹き抜けた瞬間だった。