ボス
ガブリはまるで虫が這うようにドロルの背中を上り、彼を抱くように腕を回した。
立ち上がると、ずいぶん軽いなぁとドロルは思った。まぁそれもスーの身体強化魔法の影響だろうが。
「さすが勇者様のお背中はでけっす!
「そうですか」
しかしガブリを背負ったところで、ドロルはどっちに足を踏み出していいかはわからない。基本的にきた方向とは逆とは思うが、この広大な森でスーを探すのは困難を極めるだろう。
ただ、光明は意外なところからあっさりと差した。
「ところでオニーサン、人探しってもしかして派手な髪の幼女すか?」
「……知ってるのか?」
「ええ、オニーサンに会う直前にすれ違ったっす」
「ど、どこに行ったかわかる?」
「わかんねっす。でも調べられるっすよ? ウチは。ハンターなんで、探し物は得意っす」
なんという幸運。
ぷよがガブリに襲われたときはどうなることかと思ったが、怪我の光明とはこのことだ。
次の瞬間、背中にガブリの体がぼんやりと温まりだした。
「サーチ」
ガブリが言うと、むわんとその温かみがドロルの体を波のように通過した。
おそらくガブリはハンターのスキルを使ったのだろう。
しかし、彼女の反応は芳しくなかった。
「ああ、ええと……え? 何これ。嘘でしょ?」
背中のガブリは動揺したように微かに体を揺らした。
「……どうした、何かあったのか?」
ガブリは中空を指差した。
「と、とんでもない化け物が……」
顎を震わせるように彼女は言った。
ドロルのすべきことが、すぐさま決まった。
化け物のところに行かなければ。ドロルは一目散に走り始めた。
「ちょ、オニーサン、どこ行くんすか!」
「化け物がいるんだろ! そこにスーがいたらどうするんだ!」
「いや、やばいっす! やばいっすやばいっす。マジですよ? 死にますよ!!!」
直感で、そこにスーがいる気がした。
また、ガブリを背負い走るドロルをぷよが追い越した。クイックスライムの超感覚でもそっちにいると感じているのだ。そこに向かわない理由はない。
「いや本当に、まだ死にたくないっすよー!!!」
「じゃあ降ろすか?」
「ここで降ろされたら死にますってー!!!」
ガブリは体を押し当てるようにドロルにしがみついた。
彼女を気にして足を緩めることはできない。すると前方で爆発音が響いた。例の化け物が暴れているのだろう。
「オニーサン、わかりました! じゃあ、行くのは100歩譲って良いとしましょう」
「当然だろ!」
「でも……オニーサンがそこにいって、目的を達成したあとに、ウチを置いて行くなんていうのはなしですよ!」
「……そんなの……」
考えもしなかった。
最初に襲ってきたのはガブリだとはいえ、いま彼女が傷ついているのはドロルの責任だ。
当たり前。
ただし、そこに危険な魔物がいたとして、自分が死なない約束はできないかもしれない。
ドロルが言い淀んでいると、さらにガブリは付け足した。
「ガブリは役に立つ女っす! 絶対に、連れ帰って損はさせないっすから!」
はっきり言われる言葉に、なんだかドロルも当てられてしまう。
「もちろんだ。絶対に連れて帰るよ」
ドロルは胸が高鳴った。
スーが危ないというピンチに、連れて帰れと指示を出してくるガブリ。
それはドロルの普段の穏やかな生活とは別のものだった。20年、彼は繰り返される幸せな日々の中で溶けていた。
まるで十代の頃のようだ。
彼が冒険者を志していたときは、毎日がピンチや不遇の連発だった。
若返ったみたいだ。
あの日の続きにいま、飛び込んだみたいだ。
そんなことを考えるのは状況にそぐわないかもしれないが、スーと出会ってからすでに、ドロルの日々は明確に変わってしまったのだった。
◆ ◆ ◆
オークは一般的に4種類存在するとされる。
通常のオーク。それよりサイズがやや大きいハイオーク。さらに大きいグランデオーク。
そして、一番大きい上に賢く魔法を使う個体も存在するというエンペラーオークだ。
エンペラーオークはSランクパーティでも準備して討伐に望む魔物である。
ただ力が強いだけでなく人間のように知恵がまわり、犠牲を出さずに討伐するのは至難の技だ。もし街の近場でエンペラーオークの存在が確認されたら街ごと引っ越しが始まることもある。
見つけたら、逃げろ。
見つかったら、諦めろ。
エンペラーオークはほとんどの冒険者にとって手を出してはならない存在である。
ガブリがサーチで感じ取った魔力の激震地にドロルは辿り着いた。
そこにはグランデオークが5体と、さらにはエンペラーオークが存在した。
ドロルは木陰にガブリをおろし、ぷよに逃げるよう指示した。クイックスライムが本気を出せば狩られることの方がまれだ。
近場の木の枝を拾い、一歩近づいた。
様子がおかしかった。
そこにいたオークたちは、誰しもが両膝をつき一方方向を向いていた。
そしてドロルはスーを見つけた。
スーはすべてのオークの視線の先にいた。
行かなければ。
はやくそこに行って、スーを助けなければ。
震える足を叩き、ドロルは走った。一刻もはやく彼女を救うために。
しかし、ドロルが辿り着くよりも先にそれは起こったのだった。
すべてのオークが、頭を下げた。
スーに向かって。
スーは言った。
「はい! いまからこの森のボスはあたしね!」