3.お困りですか?
「……な、何これ」
通報があった場所へワープした私とタロ先輩の目の前に飛び込んできたのは、ただの白い丸のスタンプが大量に押された噴水広場だった。
しかもそのスタンプは背景グラフィックだけではなく、ドワーフのおじさんアバターの人にも押され、しかも大量のスタンプのせいでスタックが起きているらしくドワーフアバターのユーザーがスタンプに閉じ込められているようだった。
“スタンプはコミュニケーションのひとつとして簡易チャットに追加されている機能だけど”
だがこのスタンプは使用者がその場を離れるとすぐに消えてしまうもの。
使える範囲は約一メートルほどとかなり狭くなっているのだが、このスタンプの近くにはこのドワーフアバターのユーザーしかいない。
しかもスタンプ自体もCC側が作った公式のものしか使えない上に、そのラインナップの中にこんなシンプルな丸だけのものはないはずだった。
“でも、本人のスタンプでスタックなんて起きるもの?”
確かに違法スタンプを使っているならそんなエラーが起きてもおかしくないが、それにしてはこんな広場の真ん中で大量に自分にスタンプし、ペナルティが科せられることになることを承知で通報すしたということに違和感を覚え怪訝な顔をしてしまう。
「大丈夫ですか! すぐに助けますからね」
「! だ、大丈夫ですか!」
ついその異様な光景に唖然としてフリーズしていた私は、すぐさまタロ先輩が駆け寄ったのを見て慌てて後に続いた。
「このスタンプは……」
「心当たり、あります?」
犬アバターなのに表情豊かなタロ先輩が顔をしかめる。
しかし今はそこを突き詰めるより早くこのユーザーを救出するのが優先だと考え直した私は、再び視線をこのスタンプの檻へと戻した。
「何重にもスタンプが重ねられてますね、ひとつずつ消していくしかないかなぁ」
使用者がその場を離れたらすぐに消えてしまうこのスタンプ。
だがそのスタンプを改造して長く残るように加工し、壁などにイタズラをするという遊びが一時期流行ったことがあった。
“あの時はひとつずつ≪デリート≫していくしかなくて大変だったって聞いたのよね”
そうなれば今回も同じようにひとつずつ≪デリート≫作業をしていくしかないだろう。
「これ、どれくらい時間かかるかな……」
「仕方ないだろ、とりあえず一点集中でユーザー救出を優先しよう」
タロ先輩の指示に頷いた私は、すぐさまその場にしゃがみ閉じ込められたユーザーを解放すべく≪デリート≫をかけようとした私の真後ろから突然スタンプが押される。
「!?」
驚きその場から飛びのくと、消えないように細工された丸スタンプの上にチェスのナイトをかたどったスタンプが次々と押される。
「なるほどな」
「タロ先輩、離れ……」
「はい、これで完了。俺ちょっと離れるんで確認して貰っていいですか?」
「あぁ」
「?」
戸惑っている私とは対照に感心した様子のタロ先輩と、私の背後から突然現れた騎士服衣装を着た赤髪のアバターユーザーがナイトのスタンプを押したあとその場から離れた。
「……なっ!?」
ナイトのスタンプは騎士服衣装に付属する公式スタンプ。
当然使用者である彼がスタンプを押した場所から離れるとナイトのスタンプは消えてしまうが、なんとさっきまであった違法の丸スタンプごと一緒に消えたのを見て愕然とした。
「ど、どういうこと……?」
「どうですかー?」
「成功だ、協力感謝する」
「いーえ。ついでなんで俺もこのまま手伝いますね」
「えっ、えっ、えっ」
“この大量のスタンプの≪デリート≫作業、めちゃくちゃ時間かかると思ったのに”
公式スタンプを重ねるだけで一緒に消えるその光景に唖然としつつ、だが私だって電脳セキュリティのメンバーなのだ。
理屈はわからなくともただ見ているだけなんて訳にはいかず、慌てて二人の側に戻る。
「とりあえずアユも片っ端からスタンプ重ねて離れてくれ、データを上書きする」
「あ、はい」
指示されるがままスタンプを押し、その場を離れる。スタンプが消えたのを確認したらまた戻ってスタンプを押し、また離れる。
三人がかりで作業したお陰で五分とかからずその場のスタンプはすっかり無くなり、元の美しい噴水広場に戻った。
「貴方には少し事情を聞きたいので、この後電脳セキュリティの本部までご一緒願えますか?」
「はい、ありがとうございます」
ドワーフアバターのユーザーは自由に動けることに安堵しつつタロ先輩の言葉に頷いた。
「じゃ、俺はこれで」
「待って!」
そのまま去ろうとする騎士服アバターのユーザーに思わず声をかける。
だが、反射的に声をかけたせいでその続きの言葉が何も出なかった。
「あ、えーっと、その……。な、なんでスタンプを重ねれば消えるって知ってたの?」
「あぁ、知ってた訳じゃねぇよ。でもほら、スタンプって基本上書き形式でどんどん重ねられるだろ? だから消えない小細工がされたスタンプも、重ねて上書きしたら本来と同じスタンプの性能に上書きされねーかなって思っただけ」
“確かに、本来のスタンプの性能に上書きできれば、使用者が離れれば消えるという特性でまとめて消せるかも”
というか、現に消えたのだ。彼のその推測は正しかった。
「他には?」
「え? えーっと……」
聞かれて戸惑う。本当になんで私は彼を呼び止めてしまったのか、と頭を抱えたくなった私の耳に、ピロンと通知音が鳴った。
「ま、何か話したいことあるならまた連絡してよ。そっちは仕事中だろ? ナンパはほどほどにな」
「なっ、ナンパなんか……!!」
していない、断じてしていないが、状況だけ見ればそう言われてもおかしくはない訳で。
私ははぁ、とため息を吐きながら、彼から送られたフレンド申請に『許可』を押した。
“ユーザーネーム:エス、ね”
フレンドになれば、相手に個人チャットを送ることができる。
私は何故彼を呼び止めてしまったのか首を傾げつつ、タロ先輩の元へ駆け戻ったのだった。