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再会

何かが磨耗していってしまっている。神経なのか、感情なのか、自我なのか、魂なのか、磨り減っているということしか わからなかった。真綿で首を絞められている。いつから、いつからこんな風になったんだろうか。


自分の根本にあった何かが腐りついてしまっている。かさかさに渇き、ぼろぼろと崩れ、さらさらと砂粒になって消えていく。わけのわからない 錯覚、桜の枯れ木のビジョン、網膜に焼き付いている。


白月村、帰りたいとは思った。帰る理由、見当たらなかった。あそこにはもう自分が知る者は少なくなっている。居なくなって しまっている。それぞれが違う道を歩んでいる。それが摂理だと思った。


大学二年生――卒業まであと二年間は都会でくすぶっていなければならない。くだらないことをして、一時の享楽に身を任せ、 ヘトヘトになるまで体を酷使する。


静やかな夜、熱い夜、汗が毛穴から吹き出る。コンビ二までの距離、残り百メートル、くすぶっていた苛立ち――和らいでいる。真夜中の無音の空間が心を 落ち着かせてくれる。


コンビニ、ドアを押して入った。金髪の店員が眠そうな目を向けてきた。客商売の挨拶、声は間延びしていた。金、ほとんど陽一に渡した。 キャッシュカードを財布から取り出した。ATMに差し込んだ。暗証番号をプッシュした。機械の唸り声とともに札が飛び出る。


目的――アルコール、飲む気にならなかった。疲労感、押し寄せてきた。怒りが呼び起こしていたアドレナリン、 苦痛と疲労を忘れさせてくれていた。いまは残滓すら残っていない。


朝食用の菓子パンを買った。紙パックのジュースを買った。チップスを買った。


そんな生活してると死んじゃいますよ――幻聴、綾香の声だった。頭がおかしくなりそうだった。もっと 声を聞かせてくれ、俺をほおっておいてくれ――本音、建前、どちらかわからなくなっていた。どちらが 正しいかわからなくなっていた。

狂いそうな思考回路、遮断した。目をつむった。そこにある暗闇が安住の地だった。何もなければ、何もない。刹那的 な思考回路、笑う気にならなかった。


コンビニから出てアスファルトを踏みしめた。疲労感、足取りを重くさせている。帰ったら泥のように眠ろうと誓った。


誓った矢先、面倒事が視界に移った。アスファルトの向こう側、柵に囲まれた小さな森林と平地、市民公園、小さな人影があった。 ただの人影ならほおっておけばよかった。木のよりかかり、胸に手をあてて荒い息を吐いて座り込んでさえいなければ。


こんな時間に公園に独り居る者、住所不特定者、ホームレス、探せばいくらでも居る。いくらでも、転がっている。無視するのは簡単だった。いつもそうして きた。どうせ大したことじゃないだろうからほおっておいてもいい、足早に歩く人々の共通の思考回路。


目をつむった。チャリティー募金に寄付をするようなものだとこじつけた。偽善者が、自分自身を罵って歩き出した。柵に 手をかけた。呼びかけた。


「おい、じいさん、パンでも食わねぇか――それとも救急車でも呼んでやろうか」


「えっ」


驚いた声、雲の間から差し込まれた月光、人影の姿が映し出された。純一はその姿を見て額に手をあてた。目をつむった。うめいた。 神よ、どうか、愚かな俺を笑ってくれ。突然の祈り、理由はあった。胸に十字架のペンダントをつけている者だった。


「支倉君……?」


少なくとも会いたくはなかった者の一人――白井ひなが目を白黒させていた。












罵倒を聞き続けた。相槌をうった。謝った。すかした。なだめた。愚にもつかないお世辞をまくし立てた。機嫌をとった。取った後で、何をやっている のか自問した。くだらないことをまた繰り返しているんだよ、そう答える冷静な自分。襲われる睡魔に耐え続けた。午後二時、草木も 眠る時間。


暴力、疲労、罵倒――今日のピックアップすべき出来事ベストスリー。並べ立てて、明日は平穏であ

れと願った。


「いくらなんでもそれはないと思ったなぁ、お爺さん扱いされたことなんて私の人生で今までなかったですよ」


ピンッと指を立てて凄まじいほどに引きつった形相で叫ばれた。怒りは収まる気配を見せなかった。同じことを繰り返し言われ 続けた。いい加減、眠りたかった。


部屋に案内したのは間違いだった。その場からすぐに駆け出して逃げればよかった。いや、そもそも、コンビ二などに行かなければよかった。 ならば、啓二の誘いを断ればよかった。後悔の嵐、それでも現実しか見ることができそうにない。


「悪かったよ――っで、具合はいいのか」


座り込んでいた理由、何か病気や怪我だと思っていた。違うようだった。


「あっ、うん……ちょっと走りすぎちゃっただけですから」


「マラソンランナーにでもなったのか」


軽口を叩いた。不自然な微笑が返ってきた。人間が何かを隠している時に見せる笑みだった。純一は尋ねる気にならなかった。


これ以上面倒はごめんだ――紛れもない本音、疲労が足腰から胸まで襲ってきている。


「っで、住んでるとこはここから近いのか」


「あっ、ちょっと遠いかな」


「どのくらい遠い」


「えっと……高速道路を使って三時間ぐらいかな」


「3百キロ以上あったらちょっとじゃねぇよ」


「あっ、発見。支倉君なんか口調と仕草が荒っぽくなってる」


「昔からこんなもんだ」


「そうだったかな、じゃあ訂正してワイルド」


「悪いことを言った後に良い風に言うな――って話がずれたな」


ひなの意図、読めやしない。所在なさげにゴシックの黒スカートをつまんでいた。帽子はかぶってはいない。帽子好きだと 誰かから聞いた――眉唾ものだった。いや、好みが変わっているのかもしれない。


「持ち金は?」


「ええっと、三千円ぐらいかな」


「なんでそんなに貧乏なんだよ」


「カードもたない主義ですし、必要な時に必要なお金をもっていれば無駄遣いしません」


偏頭痛が襲ってきた。純一は何がしたいのかわからなくなってきた。部屋に連れ込んだ。若い男と女、本来なら甘いシュチュレー ション、全身には疲労感と脱力感が充満し、欠片も緊張感が存在していない。何もやる気は起きやしなかった。


このわけのわからない女をどうにかしてさっさと眠れ――本能からの命令、従わない理由はない。


「車でビジネスホテルにつれてってやる。足りない金は貸してやる。交通費がないならそれも貸してやる」


「うーん、あんまりお金借りたくないなぁ」


「じゃあもう――やるよ。地元よしみだ。しょうがねえ」


「いくらかかるかもわからないのに?」


「女に騙されて数十万ドブに捨てた奴を知ってる。俺は数万で済む」


「うわぁあ……じゃあ、ハワイに住んでるってことにしてたかろうかな」


「ぶっ殺され てぇのかテメェ」


「感じ悪いよぉ~」


幾分か殺意を滲ませた恫喝に関わらず受け流された。迫力、眠気に侵された顔、ふらついた足、消え失せてしまっている。女 一人おどせない、情けなかった。だが、悔やんでいる暇はない。


「ひな、お前俺にうらみでもあるのか」


「ないですって。ないない。あるはずないよ」


大げさに手を振る。純一は目を据わらせた。真剣な顔を作った。


「じゃあ俺の言うことに従え」


「なんだかえっちな響きだね」


「帰ってくれ――頼むから」


天を仰いだ。ここまでコケにされたのはここ数年間あっただろうか、目の前のひな、悪戯っ子のような瞳の色、楽しんでいる。 胸がむかついた。だが、それも一瞬のことだった。怒りを呼ぶにもエネルギーが必要だった。怒りすら、沸く気にならなかった。


「まあもういい。好きにしてくれ。金はここにおいとく。今更ビジネスホテルに行きたいなんて言うなよ。行くなら 自分で行け。俺はもう車を運転する気力なんてない」


「あっ、了解っす」


テーブルにおいた財布をひなは取ろうともしなかった。踵を返した。純一は寝室に向かった。そこでならひなの顔を見なくて済む、自分ひとりでは 広すぎた2LDK、初めて住んでいて良かったと思った。


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