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陽一


来るかと言った。行くよと言われた。服、ジーパンとシャツを渡した。下着、用意できなかった。助手席に乗せた。顔、笑っていた。だが、相変わらず何も読めない。陽一のビジョン、 ひなとダブった。全く別物だというのに。


「何人ぐらい、この席に女の子乗せたの?」


くだらない問い。数、覚えちゃいない。顔、思い出せない。スタイル――今、横に居る奴よりは上の奴はいなか った。


ハンドルを切った。スピードをあげたままカーブを走った。ひながよろけた。笑えた。笑ったのは心の中だけだった。


「覚えてねぇ、ひなが告白された数には負けるだろうな」


ひなの目、細められた。何かを探ろうとしている目だった。純一はポーカーフェイスには慣れていた。慣れすぎていた。イヤでも 身についた技術だった。陽一、隙をつくれば何でも悟られる。綾香、純一の感情に過敏になりすぎる。それがたまらなくいやだった。


ひなは肩をすくめた。諦めた顔だった。


「わかんないな、支倉君。何考えてるんです?」


「赤頭巾ちゃんをどうやって食ってやろうか思ってな」


思ってもいないことが滑らかに口に出る。ひなは口元に指をあてて思索していた。


「定番は丸呑みですね」


「味付けしなきゃ、なんだってうまくねぇ。素のままうまいのは高級素材だ」


「私、安物?」


「高すぎるから買えねぇ。食えねぇ。好みに合わねぇ。前にキャビア食ったが塩っ気がありすぎてクソまずかった」


「食べ物に例えられても困りますが……」


「だからとりあえず様子を見る。腐ってるか、毒があるのか、そもそも食えるのか――考えてる」


ぎらついた目を向けた。獣の目を向けた。シャツからうっすらと浮かび上がるひなの乳房を見た。欲望、感じていないわけじゃない。うまく誤魔化せるだけだった。そこにある根本たるものは 啓二と何も変わらない。変わっちゃいない。変われない。


「なんかちょっと支倉君、怖いね……そんなに女の子が好き?」


ひなだからだ――口説くならば言うべき台詞、熱病に侵されたなら言うべき台詞、思い浮かんだだけで口から はでなかった。代わりに言った。


「ひなを抱きたくないなんていう奴は男が好きかよほどの変態野郎だよ」


顔に左手をあてて表情を隠して笑った。顔の筋肉が痙攣した。口から声がもれる。久しぶりに心底、狂ったように笑い声をあげつづけた。












大型デパート、チェーン店、郊外にある。広い敷地と豊富な品揃えが売りの小売店、駐車スペースは平日のおかげでがらがらだった。


車から出た。鍵をロックした。ひな、困ったように笑っていた。何かを誤魔化す時に浮かべる笑みだった。恐らくは 自分の感情。


俺が怖いか――問うても良かった。答えは返ってこないと思った。ただすがりつかれているだけにすぎない。他の いい条件があればすぐに手のひらを返される。それでも良かった。どうでも良かった。どうでもいいことをしているのが 純一の日常だった。


「えーっと、なに買うの?」


「ひなの日用品」


「えーっと……なんで?」


「行くトコねぇんだろ。俺の部屋にいていい。もうどうでもよくなってきた」


自分の領域を他人に犯される。我慢ならなかった。だが、例外にした。暇つぶしになればいいと考えた。ひなは嬉しそう に笑みを浮かべた。それが偽りなのか、本音なのか、わからなかった。


「先生、上限はいくらまでですかっ」


「俺の中の価格設定を超えたら借金にしてやるよ」


「こわっ!」


「遠慮しなくていいぞ」


「それって暴利ですよね」


「年率29,2%は超えることは違いないな」


「払えなかったら?」


「昔から借金取りが女によくいう台詞を言ってやろうか?」


「……遠慮するっす」


ひなは入り口に向かって歩き出した。表面上とはいえくだらない会話をすることで本来の調子が戻ってきているのだと純一は思った。口元に笑みが 浮かんだ。何かが戻ってくる感触――綾香でなければダメだと思っていた。


「支倉君が買うものはないの?」


振り返って微笑みを浮かべられる。悪い気はしない。くだらないことを繰り返してもいい。


「酒と食い物と雑貨ぐらいだ」


「結構あるんじゃないの、それ」


「ねぇよ。俺独りくらい――いや結構あるかもしれないな。ひなは結構喰うほうだったか?」


「なんかデリカシーって言葉なくなってない?」


「昔はあったな」


「過去形なんですね」


「わかるだろ。俺は白月村に居た時とは変わってる」


「わかりますよ、わかりすぎるぐらいです。刃物が研ぎ澄まされてるみたいに見えます」


刃物――バタフライナイフを啓二は持っていた事を思い出した。復讐、考えられない話ではない。買うものリスト、項目に いくつか増えた。


「どうしたの、急に怖い顔ですよ」


「俺が優しい顔をしていた時があったか?」


「うっ、無いかも」


「ベッドの上では優しい。試してみるか?」


「一人でベッドの上で寝てるところをウォッチしますよ」


かわされた。だが、その姿を想像して笑えた。欲望――どうでもよく思えてくるから不思議だった。












荒縄を買った。短刀を買った。細いが実の詰まった角材を買った。そんなの、どうするの、ひなは言った。備え あれば憂いなしと言うしな、拷問用だよ。平然と答えた。ひなの整った顔がひどく歪んだ。


「そーゆー趣味あるんですか……」


恐々と訊ねられる。首を振った。啓二、執念深いと言った陽一、徹底的にやらなければいけないかもしれないと思っただけ の話だった。自分一人が痛めつけられるなら我慢できるかもしれなかった。一緒に住むことになる目の前の女が痛めつけられるなら我慢ならなかった。


どうしてそう思う――自問した。わからない、わからないが、頭にクルからだ。そう問いには答えた。


「俺はノーマルだ」


「未知の領域ですね」


「曲解するんじゃねぇよ。俺を恨んでいる馬鹿がいるかもしれないんで対策してるだけだ」


「なんかワイルドを通り越して凶暴と認識しました」


陽一はなだめてやると言った。金も渡した。何事にもしくじったことのない陽一、無駄な対策かもしれなかった。事実、 無駄な対策だと思った。熱病、気がつかないうちに侵されているかもしれなかった。


「だからな、俺は別に――」


言葉、途中で途切れた。視界に見知った人影が見えた。ランニングシャツとエドウィンのジーパン、皮肉ったような 口元、鋭い眼光と涼しげな整った顔つき、陽一だった。あちこちをものめずらしげに見つめていた。暇を潰しているのだと わかった。


陽一も純一を見つけた。歩み寄ってきた。瞳、面白いものを見つけたと言っていた。


「よぉ、サボり魔」


一時間目と二時間目をサボった。陽一のいる講義だった。現在の時刻、昼過ぎ、大学からこのデパートは近かった。


「あとでノート見せてくれよ」


「いいぜ、彼女に俺のことを紹介してくれたらな」


陽一の視線、ひなに飛ばした。ひなは困惑した顔で純一を見た。純一は口を開いた。


「俺の知人だ」


「わかりやすいようでわかりにくい答え方だな。俺は白銅陽一だ。ええっ~と」


わざと、考えるふりをしていた。陽一の手管、手に取るようにわかる。


「白井ひなです」


「オーケー、白井さん。純一に講義をサボらせるくらい深い関係みたいだけど今日は洋服でも見に来たのかい?」


「それもあります」


「うーん、俺、警戒されてる?」


「俺の友人だからな」


陽一は笑った。目はこれっぽっちも笑ってなかった。何もかも話せよ、じゃないと俺が楽しめないだろうが、と言っている。 話す気になどなるはずがなかった。


陽一は柔らかい笑みをひなに向けて浮かべた。無邪気な笑顔、ひなの頬、弛緩した。気を緩めたとわかった。


身を焦がすような嫉妬――馬鹿げていると吐き捨てても胸の中を渦巻く。


「陽一、聞きたいことがあるんだ」


「なんだよ」


「啓二はどうなった」


「白井さんの前で言っていいのか?」


「構わない」


ひなの顔、よくわからないという顔、無視した。陽一は口笛を吹いて楽しそうに口を開く。


「目が覚めた瞬間からお前をぶっ殺してやるって言い続けた。傑作だったぜ。一方的にボコにされたくせに」


「まあ普通はそう思うだろうな」


「おいおい、トモダチからトモダチの罵声を聞いてるんだぞ。なんで平然としてるんだよ」


「言っただろ俺は別に好きじゃねぇって」


「俺は好きだぜ。お前が好きだ」


ひなの顔、困惑が広がっていた。陽一の顔、面白くてしょうがないと言っていた。


「っで、どうなったんだよ」


「啓二の奴、二年来のトモダチであるお前をぶっ殺すと言ったんだぜ。悲しいことだよな」


答えになっちゃいなかった。肩をすくめた陽一――ポーズ、悲しがっているふり、何もかも虚飾でできている。


「純一が詫びを入れたと知った時の啓二の顔、少し頬を緩めた。お前の金で淫売まで抱いた。だが、目の奥の暗い炎は消えちゃいねぇ。馬鹿は執念深い んだよな。どうしようもなく」


「トモダチを馬鹿扱いか?」


「馬鹿を馬鹿と言ってなんで悪いんだ。事実だろ?」


陽一の瞳、本当にわからないと言っていた。


「まあいいさ、っで、啓二の馬鹿は俺をぶっ殺す。お前はどうするんだ」


「どうするって純一、本気で訊いてるのか」


「わからねぇよ。教えてくれ」


「お前は啓二を半殺しにした。啓二はお前をぶっ殺したがってる。お前らだけ輪になって踊ってる。俺も輪に加わって踊らないといけない だろ」


陽一の瞳、熱気を帯びていた。熱に浮かされていた。トチ狂っていた。


「わからねぇよ陽一」


「だから、俺も何かしないといけないよな。啓二をぶっ殺したよ」


「イカれてるぜ」


唇がカラカラに乾いた。ぶっ殺した――陽一なら本当に殺したかもしれなかった。


「何言ってんだよ――お前も啓二をぶっ殺すつもりだっただろ。俺が代わりにやってやっただけだ」


荒縄、袋からはみでている。陽一、全てを理解している。気に食わなかった。頭にきた。だが、殴りかかっても無駄だと 思った。殴り合い、そんなものを超越していると思った。


近親憎悪――そんなフレーズが頭の中に躍り出た。


「俺はなだめてくれと言ったんだぜ」


「なだめてやったよ。最初は、それは不可能だった。お前の本当の望みは啓二をどうにかすることだったんだよな。 願いをかなえてやったんだ。お前が悪いんだぜ純一」


「ああ、俺が悪いな」


あっさりと答えた。陽一の瞳に宿っていた熱気、消えうせていく。


「つまんねぇよ純一」


「お前は自分を中心に世界が回ってるって本気で思ってる人種だよ」


「面白くねぇな。当たってるかもしれねぇ。今までどおりとはいかないがこれからは二人でつるむとしようぜ」


陽一と二人きり――ゾッとした。背筋が凍った。冷気が背骨を犯していく。


「お前と二人なんてつまんねぇよ」


「気にいらねぇか、あと一人か二人ぐらいは許容範囲だぜ。白井さんも加えてもいい」


陽一の視線、ひなに飛んだ。ひな、青ざめていた。未知の怪物を見るかのような怯えた目だった。純一は陽一の視線を体で 隠した。陽一、少しだけ顔をゆがめた。


「知人から彼女にしたのか?」


「そんなんじゃねぇよ」


「お前は誤魔化すのがうますぎるよ純一、俺でもわからないことが多すぎる」


「人間はわからねぇから楽しいんだろ?」


「その通りだ。成る程、教えられたな。感謝するぜ」


「感謝するならこの場は立ち去ってくれないか、せっかく女とのデートなんだよ。楽しみたい」


「オーケー、邪魔して悪かったな。白井さんも純一と仲良くしてやってくれ。こいつ意外に寂しがり屋なんだよ」


陽一、最初から最後まで笑顔を浮かべていた。立ち去ってゆく。エスカレーターに乗ったところまで姿を追い続けた。ひな、 ぐにゃりとヒザを折って崩れ落ちた。


「なに……あの人」


呟き、正確な答えは頭に浮かばなかった。ひなを腕で支えてやった。陽一の威圧感、純一も少しだけ足にきていた。


「言っただろ。俺の友人だ」


「支倉君……本気で言ってるの?」


顔、青ざめている。血を失っている。信じられないといっている。


「本当だ。トモダチを選べなんて言うつもりか?」


ひなは首を振った。


「ううん、縁切ったらいいと思うだけ」


その言葉を聞いて純一は笑った。縁、切れるはずがなかった。切るつもりもなかった。切れる時が来たとするならば どちらかがくたばった時だと思った。









車内、後部座席にはビニール袋で埋め尽くされている。必要なものを全て買った。陽一の出現でひなは調子を狂わされて いた。口数はめっきりと減った。今も黙っている。赤信号、ブレーキをかけた。純一は買ってきた煙草を取り出した。そして手を止めた。


「煙草、イヤか?」


「ちょっとイヤかな」


返事、意外に返ってきた。無視されてもおかしくないと思っていた。煙草を握りつぶした。


「悪かったな」


「なんで謝るの?」


「色々、ひなの前であいつと泥臭い話しちまったからな」


「いまの支倉君のことが少しわかったよ」


「皮肉か」


「そうだね、ちょっと機嫌悪いかもしれないです」


「俺が怖いか?」


問いたかった問い――口から出てしまった。ひなは首を振った。


「熊を見た後に野良犬を見ても大して怖くなくなります」


毅然とした声だった。嘘のない声だった。恐怖感の差異、ひなは純一の過去を知っている。陽一の過去を知らない。つまり、 そういうことだった。


陽一の過去――純一は何一つとして聞いた覚えが無かった。意図的に隠していることを知っていた。触れられたく ない何かだと理解できた。


「あんな奴でも、俺の友人だ」


「どうして庇うの。あの人、多分、最悪の人だよ」


ひなの憶測、一方で正しくて、一方で間違っている。純一にとって陽一は心地いい存在でもあった。だから二年近く付き合って これた。啓二をタネにして笑いあった日々があった。空虚な日々を紛らわすことができた。


今はただヒビが入っているだけで、また元通り修復されるものだと思っていた。傷は癒える。啓二が本当に消えたとしても誰かが代わり になる。同じようにトチ狂った誰かが加わる。終わらない連鎖、断ち切れない連鎖、空虚が胸の中にある限りは続く。


ひなの目、わからないと言っていた。トゲトゲしい有刺鉄線で作られた境界線が見えた。行ける場所と、行けない場所、立ち入れる箇所と、立ち入れない箇所。深海魚が 海の底しか住めないようにひなの居る浅瀬には立ち入ることができない。


それでも、行けない場所を見に行きたいと願った。だからこうしているのかもしれない。結論が出た。笑える結論だった。 だから小さく口をゆがめた。自嘲した。


ひなの目、憐れみの色を帯びていた。気にはならなかった。どうでも良かった。とっくに自分がトチ狂ってることに純一は気づいた。


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