婚約解消の申し出
彼女は自分が見た夢を予知夢だと確信しているようだ。
船が大嵐にあって難波するーー僕も見た夢だ。
彼女にナイフで腹を刺された衝撃があまりに大きく、リチャードや船員たちのその後を気にする余裕はなかった。
だってどうせ夢の話だ。
しかしあれが正夢になるなら、確かに僕一人の問題ではない。
皆の生死を左右する。
彼女曰く、僕が死ぬのは別にいいそうだけど。
ほんと身に覚えがないのに、いつからそこまで嫌われていた?
「君が見た嵐の夢って、船上パーティー当日だった? それともその2週間前の、航路巡りの探索船?」
「それが何か?」
「僕も見たんだよ、船が嵐に遭う夢を。探索船での出来事だった。2人で同じ夢を見るなんて、偶然にしては出来すぎだ。神のお告げだろうか」
「殿下も同じ夢を?」
彼女の顔つきが変わった。単なる驚きではない、不穏な表情だ。
探るような瞳で僕をじっと見た。
「ああ」
「どこから、どこまで見ました?」
変な質問だが、聞きたいことは分かる。
「君にキスして刺されるところから、船が岩にぶつかって、その衝撃でふっ飛ばされるところまで」
「その後は……?」
「その後? 壁に強打して視界が暗転して、目が覚めた。僕はそこで死んだんだろうね。君は? 本当に全く同じ夢?」
彼女は逡巡し、頷いた。
「はい。わたくしも同じ夢を。恐ろしい夢でした。殿下の仰るようにこれが神のお告げであるなら、わたくしたちは夫婦になるべきではないという暗示ではないでしょうか。夢とはいえ、殿下を殺そうとした女と安心して一緒になれますか?」
「えっ、だってそれは夢だし。殺される夢は悪いものじゃないってリチャードが言ってた。現状をリセットして、良い方向へ向かう暗示だって」
「わたくしたちが全く同じ夢を見たのは、偶然にしては出来すぎだと殿下が仰ったんですよ」
「そうだけど……だからって、えっ何、まさか結婚をやめようってこと?」
話が思わぬ方向へ転がった。
船上パーティーを取り止めるだけでは事足りず、結婚もやめる?
「婚約を白紙に戻すってこと?」
秒で頷かれた。躊躇がない。
「現状をリセットする、まさにそういう暗示ではございませんか?」
「ちょっ、ちょっと待って。それこそ僕の一存では。今すぐは何とも言えないし、よく考えさせてくれ。一旦持ち帰る」
逃げるようにして公爵家の客間を後にした。
待っていたリチャードが僕の顔を見て、心配そうな顔をした。
「殿下、どうかされましたか?」
「いや、何でも……ある。あるけど、今は心がぐちゃぐちゃだ。落ち着いたら話すから、相談に乗ってくれ」
「了解しました」
王城まで馬を走らせながら、気持ちを落ち着かせた。
まさに青天の霹靂だ。
学生を卒業して仕事にも慣れてきたし、彼女との付き合いも長年安定していて、来年に結婚することは既定路線だ。順風満帆だと安心しきっていたのに。
なんでこうなった?
あの夢のせいだ。
さらに解せないのは、彼女のあの態度。怖い夢を見て、不安になるのは分かる。
殿下怖いですわ、と甘えてくれればいいのに。甘えるどころか、完全なる拒絶モード。
婚約を解消する良い口実が出来たとばかりに。
僕が何をしたというんだ。
刺されたのはこっちだぞ?
僕が彼女を嫌いになるのなら分かる。僕が彼女に嫌われる意味が分からない。