#12 チームワーク⑤ 空腹と泣き声
何回も同じ手をやられると、さすがのヤーラも慣れてきていた。
「そろそろ敵は攻め方を変えてくるかもしれないね」
地面に突き刺さった矢を引き抜きながら、マリオは呟く。
いろいろなことを想定しておけと言われたものの、実際にやられたのは鉄の矢を放つ罠だけだ。すべてマリオが察知してよけてくれるので、もはや脅威ではない。
本当に脅威なのは、別のことだ。
「いっぺんに何発も撃ってこないってことは、魔力の問題か何かで撃てる回数が限られてるのかもしれないね。敵はピンポイントでぼくらを潰す気なんだと思う」
「はあ……」
話半分で聞いていたのが気づかれたのか、マリオはいぶかるような視線を投げてきた。
「……疲れちゃった? 休む?」
「あっ……い、いいんですか?」
「体力を消耗しすぎて隙を作るよりは、遥かにいい。罠はぼくが警戒しておくよ」
反論のしようがない。マリオの前では遠慮や慎みなど、もはや何の意味もなさない。
荷物を置いて、無機質な壁と床に身体を預ける。長々と歩かされたぶんの疲労感はわずかばかり癒えた気がしたが、「本当の脅威」は去っていない。
ヤーラは今までの短い人生の中で味わった、最も恐ろしい――しかしそれは、ありふれた日常的な――感覚に襲われていた。
空腹感。
かつて、自分を死に追い込もうとしていたもの。
あのときと同じ状況を作ってはいけない。また自分が自分でなくなるような気がする。大量殺戮をする悪魔になってしまう。
無意識にガリガリと爪を噛んでいた。
「大丈夫?」
異変に気づいたマリオが尋ねる。何でもないと答えても、嘘だとすぐにわかるだろう。
「あの……すいません。……お腹、すいちゃって」
「――ごめん。ぼくは何も持ってないんだ」
ただ事ではないと理解しているのか、真剣に応じてくれた。
食糧はすべて拠点に置いてきてしまったので、2人の手元には何もない。
「食用でなくとも、足しになりそうなものはないかな」
ヤーラは自分の鞄の中に何があったかを思い出そうとする。ほとんどが薬品や素材となる植物で、気休めにもならないものばかりだった。
魔石に収納しているのも、実験器具やただの水、あるいは――
死体。
宿屋でゼクたちが殺した、敵の刺客。おそらく30歳前後の、肉付きのいい男だった。
――何を考えているんだ、僕は!!
必死でその尋常ではない考えを頭から追い出そうとする。あの時とは違うんだ、人の死体なんて……。無意識に鞄を遠ざける。
ふと、親指の爪から血が出ているのに気がついた。
「敵の魔力もそう多くはないと仮定すれば、これは我慢比べだ。敵が直接手を下しに来たら、必ずぼくがやる」
非常に頼もしい、殺しのプロの言葉だ。自分にできるのは彼の邪魔をしないことだけだ、とヤーラは半ば情けなくなる。
薬を作るという本業もかろうじて残っているが、回復薬はもう十分にあるし、そもそもマリオがいれば負傷のリスクはかなり低かった。
しかし――それは油断でもあった。
変な考えを起こして、鞄を遠ざけたのがいけなかった。ヤーラのアイデンティティともいえる薬や器具の入ったそれは、何かの力で向こうの暗がりに引っ張られていった。
「あっ」
空腹で注意力が散漫になっていたのかもしれない。考えるより先にその鞄を追ってしまった。
それが罠だと悟ったマリオは、咄嗟にヤーラの身体を引き戻す。
バン、という忘れていた音。
そこでヤーラは自分が狙われていたことを思い出す。痛みがなかったことに安心したのも束の間、後ろを向いて血の気が引いた。
「マリオさん!!」
鉄の矢がマリオのふくらはぎを貫通して、べっとりと血を纏っている。
間髪入れず、通路の前後を塞ぐように壁が下りてくる。
2人はその小さな空間に閉じ込められる格好となった。回復薬の入った鞄は、壁を隔てた向こうにある。いや、もう敵に奪われてしまったのかもしれない。
「やられたなぁ。本命はぼくだったか」
「すいません、僕のせいで……!!」
「君のせいじゃないよ。敵のほうが一枚上手だったんだ。それだけ」
至極客観的な結論を出され、ヤーラは冷静さを取り戻す。まずは矢を抜かなければ。
「抜きやすいように、矢じりの形をいじりますね」
その鋼鉄に触れた途端、バチッと電気が走ったような感覚があって、思わず手を離した。
「っ!?」
矢をよく観察してみる。何も見えない――見えないはずはない。矢を構成する物質は何ひとつわからず、傷口からも、血液の成分は1つも観測できない。
「魔力を反発する術がかけられているのかな」
「そうかもしれません。……これじゃ、ポーションも効かない」
「まあ、普通に抜くぶんには問題ないでしょ」
と、マリオは自分の足に刺さった矢を掴む。突き刺さった矢じりの返しが肉を引き裂き、そこから血が噴き出ようとも、表情は微塵も動かない。そのまま手持ちの布で止血している。
「……痛く、ないんですか」
「うん、平気ー」
痛みに耐えている様子はない。以前、アモスという魔人に襲われたときもそうだった。マリオは腕を切り裂かれたが、平然としていた。痛覚が麻痺しているというのは本当らしい。
「その壁に穴を空けることはできるかな」
はっとして壁を見る。手で触れてみてもわかるが、ここには魔力反発の術はかけられていない。
「できます。ここからは出られます」
さすがに元の場所への道をつくることは不可能だが、少なくとも閉じ込められているという状況を打開することはできる。
「よかった。じゃあ、君だけ脱出してくれる?」
ヤーラはマリオの顔を見つめる。間違っても、こんなときに冗談を言う人じゃない。笑ってはいるが、本気だ。
「なんで、僕だけ……」
「これじゃ歩けない。足手まといになるだけだ。君1人のほうがまだ助かる可能性がある」
「僕1人じゃすぐに殺されます! 2人でここにいたほうが――」
「敵は動けないぼくから仕留めに来ると思う。君はその間に逃げるべきだ」
「そんな……」
ヤーラは反論できなかった。冷静沈着なマリオの言葉は、すべて合理的で正しく覆しようのないもののように聞こえた。
「マイナス2よりはマイナス1のほうがいい」
その冷たさに、さっきのような安心感はない。
ヤーラは自分が数字の「1」として扱われるのはいっそ歓迎していたが、他の人が――とりわけ身近な人間がその扱いをされると、改めて抵抗感があった。
――マリオさんの言うことが正しいのなら――僕がアーリクを殺したのが「正しい」ってことになっちゃうじゃないか。僕のほうが「マイナス1」であるべきだったのに。だって、アーリクはまだあんなに小さいんだ。あんなに幼いんだ。僕が助けなきゃ……。
お腹がすいた。
僕がそうなら、アーリクはもっとお腹がすいて苦しんでるってことだ。
ああ、どうして父さんと母さんは僕らをこんなところに閉じ込めるんだろう? きっと僕が悪い子だからだ。幼い弟まで巻き込んでしまった。最低だ。
そんなことを考えてる場合じゃない。早くアーリクに何か食べさせてやらないと。急がないと……。
大きな泣き声が聞こえる。
アーリクが、泣きながら僕を呼んでる……。




