#7 血の呪縛⑤ この中で一番
ドラゴンでも引きずられたかのように一直線に抉られた地面、巨大な鉄球がぶつかったかのようにへこんだ断崖、元々枯れていたのが焼け焦げて真っ黒になった木々――激しい戦闘の跡が残る遺跡の手前で、私たちはアモスとの戦いで受けた傷の治療に取り掛かっていた。
見慣れた人間の姿に戻ったゼクさんは、あれだけの炎に焼かれたにもかかわらず、それほど深手ではなかった。ところどころ焦げ跡はあるが、彼はポーションをお酒みたいにあおって平然としている。
「あー、まだ頭がぐらぐらするわ。魔力全部抜くとか信じられない、あの男」
ロゼールさんはいつも以上にだるそうで、蒼白い手に頭をもたげてどうにか起きている状態だった。
「ヤーラ君、具合はどう?」
「僕は平気です。ご心配おかけしました」
何らかの魔術で一度意識を失ったせいか少し元気がなさそうに見えるけれど、特に障りはないみたい。
一番重傷だったのがマリオさんで、鋭利な爪に切り裂かれた腕はポーションでようやく出血が収まったが、痛々しい裂け痕を残している。それでも彼はいつもの笑顔を寸分も崩さない。
「傷、大丈夫ですか?」
巻いたそばから黒ずんでいく包帯を傍目に尋ねてみると、マリオさんは何でもないように手を握ったり開いたりを繰り返す。
「うん。手は動くしね」
「いや、そうじゃなくて……痛くないんですか?」
「ううん、そんなに」
スレインさんと違って、無理をしている感じは全然なかった。そこでロゼールさんが何度目かのため息を漏らす。
「無駄よ、エステルちゃん。その男は感情どころか痛覚まで麻痺してるんだから」
「あはは、そうだねー」
あまりにもあっけらかんとしているけれど、笑っていられる話じゃないですよ……。マリオさんはもし死に瀕する瞬間があっても、痛みも感情もなく笑顔を浮かべているのだろうか。
一通り手当も済んだところで、次に移らなければならないのを躊躇する。みんな、リーダーである私の言葉を待っている。わかってはいても切り出す勇気がなかなか起こらなくて、中心となるべき人物を一瞥した。彼は黙ったままポーションの空き瓶をもてあそんでいる。
「ゼカリヤさん」
ぴくっ、と顔を上げる。
「――って、いうんですね。本名」
「……ああ」
「なんか、慣れないなぁ。『ゼクさん』っていうほうが、しっくりきます」
再び、沈黙。でも心なしか、さっきより空気が柔らかくなった気がする。だからか、いろいろなことを思い返す余裕が生まれた。
「ロゼールさんは、どうして知ってたんですか?」
「あなたにも話したでしょう?」
「え?」
「昔々、あるところにとても美しいお姫様がいました」
「――ああ!」
あの日のことはよく覚えている。廃城でオークに捕まったときに聞いた、昔話。
「真っ白な髪と真っ白な肌で――魔族に攫われてしまった、っていう……」
「なんだ、お袋のこと知ってんのか?」
「え?」
私はゼクさんの顔を凝視したまま、思考がぷつんと止まってしまった。逆立った白い髪、よく見れば薄い色の肌――それらをゆっくりと認識していくにつれて、頭の中で断片的に散らばっていたことが次第に繋がっていった。
その、魔王に攫われたお姫様が、ゼクさんの母親。
「お会いしたことがあるのよ。昔、旦那様方とご一緒したときにね。とっても……素敵な方だったわ。たかが奴隷の私を丁重に扱ってくださって……」
ロゼールさんの遠くを見つめるような目には、そのお姫様の姿がありありと映っているのだろう。途切れた言葉の後には、深い悲嘆が尾を曳いているようだった。
「……ごめんなさい。そのあと、魔人の子供の軍が攻めてきた話もしたわよね」
「はい……。もしかして、それが――」
「古い話を蒸し返しやがる」
苛立ちと憎しみのこもったような舌打ちが、1つ。
「他にもお袋みてぇに攫われた女がいてよ、そのガキどもで部隊を作ったんだ。親父の気まぐれさ。結局俺以外残らなかったけどな」
「ひどい……」
あまりにもむごたらしい仕打ちだ。どれだけの人が、その「気まぐれ」で犠牲になったことだろう。アモスは表面上紳士ぶっていたけれど、そんな魔王の味方なんて絶対にしたくない。
「ところでさー」
深刻な空気に水を差すような間延びした声に、ロゼールさんは眉をひそめる。
「ロゼールみたいに、ゼクの母親を知っている人が正体に気づく可能性はあるかな?」
「ほぼありえないわ。王女殿下のお顔を間近で見た人なんてもう死んじゃってるでしょうし……子供の頃はどうだったか知らないけれど、こんな凶悪な人相であの方と結びつけるなんて、普通は無理よ」
「じゃあ、ロゼールはどうしてわかったの?」
「勘」
改めて、ロゼールさんの恐ろしさを思い知った気がする……。
「他にゼクの素性が知られそうな可能性はあるかな」
あくまでリスクを明確にしたいマリオさんの質問に、ゼクさんは何か言いづらそうにうつむいてしまった。
代わりに、ヤーラ君がはっとして話を切り出した。
「もしかして――マニーさんたちは、ゼクさんが魔人だと知って襲い掛かったんですか」
また1つ繋がった。ゼクさんの元仲間、<アブザード・セイバー>の人たちは魔族憎しのパーティだったという話だった。
そんな彼らに、ゼクさんの正体がバレてしまったら?
「そうだ。全員返り討ちにした」
「そう……ですよね。あの人たちなら……ああ……」
残酷な運命を嘆くように、ヤーラ君が頭を抱える。
「たまたま俺のことを知ってる魔人に遭遇しちまったんだよ。そいつはぶっ殺したから問題ねぇ」
「……先輩たちには、何も言いません。無理に聞き出そうとする人たちじゃ、ないですから」
「ああ……わかってるよ」
ヤーラ君の言う通り、レオニードさんたちなら信用できる。けれど――
「で、どうするの? 協会は魔人の所属なんて認めないと思うよ。なんならその場で処分するだろうね」
マリオさんがさらりと言ってのけた「処分」という言葉が、生々しく脳裏にこびりつく。
「エステルちゃん。スレインも含めて、私たち全員はあなたの決定に従うわ。彼を受け入れると言うなら、私たちは死んでも秘密を守るし――拒むと言うなら、まあ、それも仕方ないでしょうね」
ロゼールさんは私がどういう決断を下すか、すでにわかっているにちがいない。それでもあえて聞いている。私の覚悟を試すかのように。
私が口を開くまで、永遠に時は動かない。そんな沈黙。
でも、重くは感じなかった。1人1人の顔がはっきりと見えた。ここにいないスレインさんも含めて、みんなが傍にいるような温かい感覚。
気負いもなにも必要なく、言葉は自然と口を突いて出てくる。
「――ゼクさん、嘘つきましたね」
名前を呼ばれた彼は、気まずそうに目をそらす。
「前に私、『いい魔族もいる』って言ったとき、ゼクさん否定しましたよね」
その顔が、戸惑いに変わる。
「いるじゃないですか、ここに」
私が言った「いい魔族」は、きょとんとしたまま動かない。ロゼールさんはぷっと噴き出し、マリオさんは変わらず笑っていて、ヤーラ君は爪を噛むのをやめて顔を上げる。
「……そうですね。僕も先輩たちも、ゼクさんの人柄を慕っているわけですから。人間とか魔族とか、関係ないんで」
「魔族と友達っていうのも、そう悪くはないねー」
「あなたが人間の敵だなんて、誰も思ってないわよ。私を殴ったときも、あんなに嫌そうな顔していたものねぇ」
「殴られちゃったの?」
「殴らせちゃったの」
そういえば、ゼクさんがロゼールさんをぶってしまったことがあったっけ。ロゼールさんはあのお姫様のことを知っていたから、それでカマをかけたのかもしれない。
いずれにせよ、ゼクさんは簡単に人を傷つけるような人じゃないんだ。以前から信じていたことが明確になって、ちょっとだけ嬉しくなった。
「私、ゼクさんのことがもっと知りたくなっちゃいました」
ようやく、その強張った顔から力が抜けていくように見えた。
「……このパーティで一番イカレてんのはお前に違いねぇよ、エステル」
「光栄です」
それは、初めて名前を呼んでくれたことも含めて、ですよ。
 




