#7 血の呪縛② 神出鬼没
帝都を分かつように流れる川は、素知らぬ顔でいつも通り緩やかに水を運んでいる。マイペースな流れに少し身を委ねてみたくて、平坦な川面をぼんやりと眺める。
本当はアルフレートさんに会いたかったのだけど、今日は姿が見えなかった。いや、Sランクの最強勇者にふらっと相談事なんておこがましいのかもしれないけれど。
私はなんて無力なんだろう。仲間が魔人に襲われて、しかも無実の罪まで着せられているのに、何もできない。
お兄ちゃんなら、こういうときどうするんだろう。一にも二にも仲間を探し出して、魔人と戦うんだろうな。
私に戦う力はない。だから、勇者ではなく協会職員になった――いや、職員にしかなれなかった。
情けない自分の顔が映ったら嫌だなと思って、そっと視線を横に滑らせた。
そこで初めて、隣に誰かが立っていたのを認識した。
「――君がエステル・マスターズだね?」
いつの間にそこにいたのか、まったくわからなかった。幽霊みたいに突然現れたその人は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
浅黒い肌を長く波打つ銀髪が覆っていて、そこから特徴的な尖った耳が飛び出している。「いたずら妖精」とも形容される種族――ダークエルフ。
「あなたは誰ですか?」
「ボクはロキ。神出鬼没の情報屋さ」
ダークエルフは本名の他にあだ名のようなものをつける風習があると聞いたことがある。「ロキ」というのもその類いなのだろう。
「情報屋さんが、私に何か?」
「いやね……。実は君の仲間に少なからぬネタを提供したんだけど、お代がまだなもんで。でも今は、物理的に取り立て不可能になっちゃったからさ」
話の糸が繋がった。このロキという人は、スレインさんが言っていた「情報通」だ。ロゼールさんやマリオさん、ヤーラ君の話はロキさんから得た情報が元だったのだろう。
「……じゃあ、私が代わりに支払います。おいくらですか?」
「ああ、違う違う。『お代』ってのはお金じゃなくて、情報」
「情報?」
「そう。だから本人しか支払えない。で、いつ払えるようになるかなーって」
「すみませんが、まだわからないんです」
「だよねぇ。そっちも忙しいんでしょ? 仲間の1人が負傷して、1人が行方不明――どこにいるか、知りたい?」
「知ってるんですか!?」
ロキさんは髪と同じ銀色の睫毛の下から、何もかも見通しているような、いっそこちらの反応を楽しんでいるような怪しい瞳を覗かせる。
「いやね、正確にはわからないんだけど。ボクはある仮説を立てていて、それが正しければここにいるんじゃないかなー……っていう場所があって」
「ど、どこですか? 仮説って?」
「ま、落ち着こうよ。仮説については――情報屋って信用商売だから。はっきりしてないことは言いたくないんだよね。ただ……君の仲間にも同じことを考えている人がいるかもしれない。場所を言えば反応するかな」
「その場所って?」
彼は閉ざしたままの口元の笑みを深くして、あらかじめ決められていた台詞を暗唱するように言った。
「<黒き谷の遺跡>」
それは、<勇者協会>の関係者ならば知らない者はいない名前。私にとっても、忘れられない場所。
帝都を発ったお兄ちゃんが向かった――魔界に繋がるゲートがあるところだ。
「どうして……。ゲートが開かれたら、協会が気づくはずですよね?」
魔界へのゲートは常に開いているわけではない。ゲートを開くことができる魔王がその力を行使したとき、魔族がこの世界にやって来る。
しかし、それは勇者協会の賢者と呼ばれる魔術師たちが感知できる。そのタイミングで協会は魔王に勝てる力のある勇者パーティを魔界へと送り出す。
「これ、実は特ダネなんだけど……まあいいや、特別に。遺跡のゲートは大きい代わりに開くのも閉じるのも時間がかかる。だけど――実は、どこにでも繋げられる開閉の楽な小さいゲートってものがあるらしいんだ。これを使えば、魔族はこっそり人間界に忍び込むことができる」
「そんな……。協会はそのことを知ってるんですか?」
「ああ。それを突き止めた調査員がいたんだけど、その話が広まったら賢者たちの沽券にかかわるから。その調査員はクビになって、極秘事項ってことになってる」
「ひどい……!」
今回の件で、協会上層部への不信感が募っていく。たかが新人職員が文句をつけたところでどうしようもないけれど。
「それにしても、<黒き谷の遺跡>って……まさかゼクさんは、魔王を倒しに行ったわけじゃないですよね?」
「さあね。なんとも言えない」
本当は知っていてごまかしているのかと疑ってしまう含み笑いだが、これ以上は何も引き出せない気がした。
ゼクさんが魔界にいるかもしれない。今はそれだけで十分だ。
ふっと視線を離した一瞬、ロキと名乗った情報屋の姿は消えていた。
◇
スレインさんの意識が戻ったという知らせを聞いて、私たちは再び診療所に集まった。もう起きあがって喋れるくらいには回復していたが、まだ顔色はそれほど良くなさそうだった。
事情を聞くと、ゼクさんと話すためにあの牢屋に行ったときに魔人と遭遇して戦闘になった、と至極簡単な説明をしてくれた。詳細に触れるのをためらっているようにも見える。
ひとまずロキさんに会ったことを伝えると、スレインさんの青い顔がわずかに陰った。
「……あの男をあまり信用するな。情報屋としての腕は確かだが、何を企んでいるのかわからん奴だ」
「無理よ。エステルちゃんが人を疑うなんて、天変地異が起こってもできないわ。ねぇ?」
「うぅ……はい」
ロゼールさんの指摘にはぐうの音も出ない。
依然辛そうにしているスレインさんに、ヤーラ君が上目がちに尋ねる。
「あ、あの……スレインさん、本当にお身体は大丈夫ですか?」
「無駄よ、ヤーラ君。この人、心配されても『大丈夫』としか言えない呪いにかかってるの。言っておくけど、3日間は安静だってアンナちゃんに聞いてるんですからね」
「……わかっている」
もはやロゼールさんに逆らえる人間はここにはいないだろう。でも、スレインさんは放っておくと無理をしそうなので、しっかり釘を刺しておくくらいでちょうどいい。
ただ、それでも聞かなければならないことがある。
「それで……ロキさんが言うには、ゼクさんは<黒き谷の遺跡>にいるんじゃないかって……。何か心当たりはありますか?」
ピン、と張りつめるような沈黙。
それを最初に破ったのは、鋭い瞳を素早く動かしたマリオさんだった。
「――スレインとロゼールは、何か知っているね?」
彼の観察眼は、私の言葉への反応を恐ろしい精密さで捉えていたようだ。
「やぁね、人のことジロジロ見て」
「ロゼールもしょっちゅう見てるじゃないか」
「見るのはいいけど見られるのは嫌なの」
「……詳細は伏せるが――ロキの言う通り、遺跡にいる可能性が高いな」
「君たちが魔人に襲われた以上のことは話せない?」
スレインさんは腕を組んで黙りこくってしまっている。話すかどうか迷っているのだろうか。
代わりに口を開いたのはロゼールさんだった。
「私は全部本人から聞くべきだと思うわ」
「確かにそうだが……」
2人の知っていることは、ロキさんが立てた「仮説」と合致しているのかもしれない。
それにしても、現場にいたスレインさんはわかるけど、どうしてロゼールさんまで? 彼女特有の勘の鋭さで突き止めたのか。
「ふーん……。じゃあ、ぼくたちが遺跡に行くうえで気をつけることはあるかな?」
「……私たちを襲った魔人がいたら、すぐに逃げろ。髪の長い奴だ」
「わかりました」
「まあ、危なくなったらこの男を囮にして逃げるとして。その遺跡とやらに行きましょうか、4人で」
ロゼールさんは「4人」というところを強調した。
「マリオさんを囮にするなんて、僕は嫌ですよ……」
「大丈夫。頑張るよー」
マリオさんの笑顔は冗談なのか本気なのかよくわからないので、ヤーラ君も困っている。
「すまないが、任せた。何か私にできることは――」
「寝てなさい、この働き蜂」
「……。そうだな、あとはゼクの無実を説明するくらいか」
「ああ、憲兵は聴取に来ないと思うよ」
みんなで一斉にマリオさんの顔を見る。彼はあっさりと恐ろしいことを言ってのけた。
「ポール君に聞いてみたんだけどね、彼らはもうゼクを犯人として逮捕する方針を固めてるみたいだよ。これ以上の捜査はしないってさ」
 




