#38 鉄壁の戦士⑪ 守る力
それから幾日かまたいで、ゼクとスレインは再び村の広場で対峙していた。といっても、以前のように激しく火花を散らせているわけではない。数人の村人が物珍しそうに覗いているが、見ているのはおもにエステルをはじめとする<ゼータ>のメンバーたちだった。
「おい!! もう1回だ!!」
「わかったわかった」
ゼクの怒号を飛ばすような要求を半ば呆れながら了承したスレインは、鞘に納まった剣の柄を握る。
光が閃くようなわずかの隙に、スレインの剣がゼクに迫っていた。
――が、切っ先が触れたのは耳の先のあたりで、急所はどうにかかわしていた。
「どうだ、見切っただろ!」
「ゼクさん、すごいですよ!」
エステルの声援を受けて、ゼクはますます得意顔になった。しかし、スレインは兄譲りの厳格さでそれを退ける。
「見切ったのは初手だけだ。そのまま体勢を崩すように斬り込んでいけば、いつかは崩れる」
「どっかで反撃すりゃいいだろ」
「どこで?」
「どっかだ」
スレインは眉間を押さえながら長い溜息をついた。ヤーラはそれに同調するように顔をしかめ、ロゼールは笑い出しそうになっていた。
「マリオさんなら、どうします?」
無言のまま2人の模擬戦闘を観察していたマリオに、ヤーラが質問する。
「そうだね。見たところ、スレインは相手に視認されないギリギリのところで常に動いてる。素早い動きで先に有利な位置を取って、それから攻撃に繋げてるんだ。だから最悪、相手は何をされてるかもわからないうちにやられちゃうだろうね」
「それじゃあ、スレインさんより速く動くしかないってことですか?」
「それができればいいけど……もっと確実なのは、位置取りで有利を取られる前に逃げちゃうことだね。距離をとれば、動きも見やすくなるし」
「なるほど、理屈としてはわかりますけど……ゼクさんが逃げるとは到底思えないですね」
ヤーラの予想を裏付けるかのように、ゼクはぶっ飛ばすだの叩っ斬るだのとスレインに攻撃的な暴言を浴びせていた。
「まだかかりそうですね、これ。エステルさんのお母さんに帰ってこいって言われた時間まで、あと5分もないですよ」
「お母さんはそこまで時間気にしないから……」
ヤーラが懐中時計を神経質に睨んでいる横で、エステルは苦笑している。
「あの突撃馬鹿はね、言って聞かせようったって無駄なのよ」
それまでのんびりと見物に興じていたロゼールが立ち上がり、ゼクとスレインのほうへ歩み寄っていく。
「頭を使うのが苦手なゼクのために、いい作戦を教えてあげようかしら」
「ああ? なんだババア、すっこんでろ」
「いいからそこに立ってなさい」
「?」
なんやかんや言う通りにその場に立っていたゼクに、ロゼールはしなやかな人さし指を向ける。そこから強い魔力がほとばしり――その先にいる大男を瞬く間に氷漬けにしてしまう。
「な、何してるんですか!?」
これにはエステルをはじめ見ていた全員が仰天していたが、ロゼールは涼しい顔で自分が拵えた氷塊を眺めている。エステルの目が2人の間を何往復かしているうちに、氷の表面にピシリと亀裂の走る音がした。
やがて、窓ガラスがハンマーで割られるような音が響き渡り――
「……何してくれんだこのクソババアァァ―――ッ!!!」
全身の血管を怒張させたゼクが、氷の殻を破って絶叫を轟かせた。
仰天していたエステルたちも、これにはますます驚かされた。そのすさまじい声量に、ではなく、ロゼールの氷からあっさりと出てきてしまったことに。
「おかしいと思ってたのよね。あんなふうに首を切り裂かれてピンピンしてるなんて」
「なるほど、そういうことか」
「確かにそういう場面は何度かあったよね」
「いや、でも……本当に、こんなことありうるんですか?」
「ああ?」
スレインとマリオはどこか納得したふうで、ヤーラは半信半疑といった様子だったが、エステルとゼクはまだ合点がいかずに置き去りにされていた。そんな2人にもわかるように、スレインがはっきりと言葉にする。
「どうやら君は、常人よりも魔術に対する耐性が高いようだ」
「……は?」
近衛騎士団との戦いで、ゼクはラルカンが授かった魔族の力によって首に斬撃を受けたはずだったが、その後元気に生還していた。本人は「めちゃくちゃ力んで耐えた」とおよそ人間とは思えない理屈を持ち出していたが、本当のところ、ただ生来魔術への耐性があったためだった。
「魔族は人間よりも魔力が高いと聞くが……君の場合は、その力が守備のほうに偏っていたらしいな」
「……」
ゼクは氷を難なく叩き割った自分の手のひらをまじまじと見つめる。直接敵を倒せる力ではないが、何か光が差し込んだような、視界が開けるような感覚が起こっていた。
ふと顔を上げると、期待に輝くようなエステルの目に迎えられた。彼女もまた、同じような思いを抱いているらしかった。言葉はなくとも、2人の間で何かが通じ合ったような気配が生まれたたとき――
「あんたたち――ッ!! いつまでやってんだいッ!!」
落雷のような声が、この場に形成されていた空気をすべて打ち壊した。
その声の主は、大きな籠に溢れんばかりの野菜を積んで片手で抱えているエステルの母だった。
「そろそろ終わりにしてくれなくっちゃあ、お昼に間に合わないよ!!」
「お母さん、今ちょうど切り上げようとしたところだから。……いいですよね?」
「しゃーねぇな」
最近はおもにゼクがごねるせいで訓練の時間が延びることが多く、エステルの母も業を煮やしていたらしかった。この母親を怒らせることは得策ではないとさしものゼクも理解しており、今日は素直に従った。
――が、エステルたちが戻る準備をしていたとき、向こうから慌ただしい足音と声が近づいてきた。
「お―――い!! 勇者様がた!!」
見るからにただごとではない様子で、村人の若い男が息も絶え絶えに駆け寄ってくる。
「どうしたんですか?」
「ああ、エステルちゃん……い、今、山菜を摘みに行こうとして……そしたら、み、見たんだよ!」
「何を……?」
男は乾ききった喉に唾を流し込んで、弾む息の間から言葉を押し出した。
「どっ……ドラゴンだ……!」
この辺境に現れるはずのない魔物の名に、エステルたちは表情を変える。
「それも1体だけじゃない……たくさんのドラゴンが、空を飛んでて……他の魔物も、大勢……こっちに、向かってる……!!」
いよいよ、敵は本腰を入れて村を狙うつもりらしい。
不安、恐怖、緊張――そんな感情が湧き起こってもおかしくない場面だが、<ゼータ>の中でそんな顔を浮かべている者は一人もいなかった。
ゼクはエステルの母のほうを振り返った。自信に満ちた赤い瞳を、母の包容力がしっかりと受け止める。
「おい……昼飯、もうちょい後にしといてくれや」
「ああ。ゆっくり時間かけて用意しとくさ」
そんなやりとりの傍らで、村の若い男はおろおろと戸惑ったままだった。
「ど、どうすればいい? みんなを避難させたほうが……」
「必要ねぇよ」
ゼクが背中の大剣を引き抜いたのを合図に、仲間たちが一斉に動き出す。
「虫1匹たりとも、この村に入れるつもりはねぇ」
遠方の空に、翼を広げた大きな影が現れる。その周囲に羽虫の大群のような影が点々と増えていき、影の一団は巨大な暗雲となって徐々に徐々に村のほうへ迫っていた。
それに合わせて村の中で異変に気づく者がぽつぽつと現れ始め、事態を理解した何人かが恐怖と焦燥を露わにすると、その動揺が村中に伝播していき、騒ぎとパニックが膨らんでいく。
うろたえ、ざわめき、混乱する人々の間を、6人の勇者たちが堂々と通り抜けていく。曇りのない眼で遠くの影の一団を見据え、迷いのない足取りで、真っすぐに進んでいく。彼らを見た村人たちは、嘘のように落ち着きを取り戻し、その背中を見送っていた。
最後列にいたリーダーが、途中で人々を振り返り、光の弾けるような笑顔を見せた。
「大丈夫です。この村は、私たちが守ります」
 




