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#38 鉄壁の戦士⑩ 敗北

 スレインの神業的抜刀に度肝を抜かれていた観衆たちは、じわじわとその感激を噴出させ始めた。村の若い女たちの黄色い声が空をつんざき、もう酔いが回っているらしい男たちがわーわーと囃し立てる。


 ゼクはそんな声を遠くに聞きながら、呆然としていた。動きがまるで目で追えなかった。もしスレインが敵だったら、自分は確実に喉を掻き切られていただろう。


 完全なる、敗北。


 ラルカン・リードにやられたときは、ロゼールを人質にとられて言わば身動きを封じられた形だった。が、今回は他に言い訳のしようもなく、実力で相手に上を行かれたという逃れられない事実に直面せざるをえなかった。


『君は、君が思っているほど強くはないんだよ。ゼカリヤ君』


 あの憎い騎士団長の声が、嫌になるほど明瞭に耳の奥で反響した。


「……も――もう一度だ!」


 その声をかき消すように、ゼクはスレインに食って掛かる。


「やめておけ。何度やっても同じ結果になる」


「何だと!?」


 さらに噛みつこうとしたゼクの牙は、スレインの閃くような鋭い眼光によってへし折られた。


「私の剣は、兄上の剣だ」


 腹の底にずしりと響くような声で、騎士は言い放った。


「この剣で負ければ、それは兄上の名誉を傷つけたも同然。この剣を持ちながら、無様を晒すことは許されん。私は常に兄上の名を背負う覚悟で戦っている」


 言葉のひとつひとつが、魂の芯からそのまま出ているかのように響く。いつの間にか、周囲の喧騒はなりを潜めていた。


「お前が背負っているものは、何だ」


 その問いにぶつかるのは2度目だった。本当は、もう人生の中で何度もぶち当たっているのかもしれないとゼクには思われた。


 甲高い手拍子が2回鳴り響き、その場にいた人々が夢から覚めたようにはっとする。


「はいはい、見せもんじゃないんだから帰った帰った! 勇者様がたの訓練を邪魔してんじゃないよ!」


 エステルの母親は一連の勝負を訓練の一環ということにしてしまい、野次馬を無理やり帰らせてしまう。


「あんたたちも寄り道しないで帰って来なさいよ。すぐ夕飯だからね」


 母親は子供に言って聞かせるようにそう声をかけて、すたすたと帰路についた。まったく無頓着に見える気の遣い方だった。


 スレインは用は済んだと言わんばかりに腕を組み、ロゼールはずっと無言で座っている。ゼクはエステルの顔はまともに見られなかった。勝負に負けた恥とは別の、何か後ろめたさのようなものがそうさせているのだ。


 それでも、ここで大人しく引き下がるようなエステルではない。俯けたゼクの顔をそっと覗き込んで、包み込むような柔和な微笑で、穏やかに声をかける。


「腕相撲だったら、勝てたと思うんですよ」


 数秒間、言葉を失った。やがて額に青筋が浮かぶ。


「……バカにしてんのかオイコラ」


「いひゃいいひゃい! ちがいまひゅ~~~!!」


 一応加減はされたものの両のほっぺをひっぱられたエステルは、解放されてから赤くなった頬をさすった。


「だって今の勝負って、スレインさんがゼクさんのことをよくわかってて、足が速いから勝ったんじゃないかなって」


「……は?」


 ゼクが懐疑の眼差しを向けると、スレインはあっさり白状した。


「まあ、そうだな。真正面から突っ込んでくるゼクの視界に入らない懐のあたりに潜りこんで、素早く一太刀浴びせただけだ」


「それでも十分神業なんですけど……」


「よく知っている相手だからできたことだ。正直、最初から守りに入られていたら綺麗には決まらなかっただろうな」


「それで挑発するようなことを言って、イノシシみたいに突撃させたのね」


「……」


 ロゼールの指摘によって自分が手の上で転がされていたことを知ったゼクは、怒りを通り越して信じられないものを見るような目つきでその悪党を凝視した。


「ともかく、そういうことを考えながら戦えるのがスレインさんで――正面から力で押せるのがゼクさんなんですよ」


「俺がアホみてぇに突っ走るだけの脳筋みてぇじゃねぇか」


「実際そうでしょ」


「殺すぞババア」


 いつもの小競り合いが始まりそうな気配をのん気な笑顔で受け流したエステルは、さらに続ける。


「でも、それぞれ得意なことがあったほうがいいですよ。誰かが苦手な敵が出てきたら、別の誰かが戦えばいいし……自分の勝てない相手がいても、仲間が助けてくれる。仲間が勝てない相手は、自分が戦う。そうすれば、無敵じゃないですか」


 その至極単純な理屈は、不思議とゼクの心に深く感銘を与えた。この悪賢い騎士も、皮肉屋の魔女も、倒すべき敵ではなく自分の仲間なのだ。そんな当たり前のことが、奇妙な新鮮さを伴って意識に上ってきた。


「たとえ負けてしまったとしても、何度でも挑戦するのがゼクさんのいいところですよね。ゼクさんのお陰で助かった人、これから助かる人がたくさんいるはずですよ」


「……」


 ゼクはこの少女が自分より一段高い視座にいることを素直に認められた。不思議なことに、エステルとエリックの兄妹に対してだけは、頑なな負けず嫌いが顔を出してこなかった。


「あとはもう少し、他人と協力することを覚えてくれればいいんだが……」


「なんだこの野郎、本当に腕相撲で勝負すっか?」


「私の腕をへし折る気満々の奴に言われてもな」


 いまだにスレインに対しては、このすまし顔に拳を叩き込みたいという衝動がつい飛び出しそうになる。どうにか拳を抑えていると、横から追撃が飛んでくる。


「悪知恵で嵌められたとはいえ、負けは負けでしょう? 大人しく認めたら?」


「あ!?」


 ゼクが眉を怒らせて振り向いた途端、からかい混じりのロゼールの瞳がにわかに夜の色を帯びた。


「それとも、あなたが負けたら何か悪いことでも起こるのかしら?」


「……!」


 彼の根底に長く根を張っていたものに、夜空のような瞳がじっくりと迫ってくる。誰にも負けてはならない。誰よりも強くあらねばならない。そんな、ある種の強迫観念の正体が引きずり出されようとしていた。


 負けたら、どうなる? もし負けたら――


「――あなたのお母様が、ひどい目に遭わされる、とか」


 薄い宵闇の向こうに、過去の光景が広がった。


 この世で最も憎むべき父親が気まぐれで拵えた、半魔人の軍。人間の母親を人質として、戦果を挙げられなければ親子共々処罰を受けた。その鬼畜の所業は、彼の魔族への憎しみを大いに肥大させるのに十分だった。


 当時の仲間のことはほとんど覚えていない。皆自分のことで精一杯で、いかに周りを出し抜いて成果を出すかということしか考えていなかった。仲間というよりは競争相手だった。


 だから、<アブザード・セイバー>の仲間どうしで競って敵と戦うスタイルはよく馴染んだ。仕事の後に飲み食いして騒ぐ楽しみはあったが、仲間と協力して戦った経験は思い返せば一度もなかった気がした。


 敵に負けたり、誰かに先を越されたりすることはご法度だった。自分が罰を受けるより、責任を取らされた母が虐げられるのを見て、自分の無力感に苛まれるときのほうが何倍も苦しかった。


 何もできない自分が嫌だった。誰も救えない自分が嫌だった。


 宵闇に映る景色は、長い睫毛に縁取られた白い瞼によって閉ざされる。次にロゼールが目を開けたときには、すべてを悟ったような慈悲深い微笑が浮かんでいた。


「あなたはずっと、お母様のために頑張ってくれたのね。……ありがとう」


 かつて魔族に攫われた不幸な王女をよく知っているロゼールは、彼女を深く慕っていた者の一人として、その息子に心からの礼を述べた。


 これを言うために、ロゼールはスレインと共謀してゼクの対抗心を煽るような真似をして、その根底にある過去を暴いてみせたのかもしれない――そんな想像が彼の脳裏をふっと過った。


「そろそろ帰りましょうか。お母さんがご飯作って待ってるでしょうから」


 エステルの一声で、その場の雰囲気が普段通りの状態にリセットされ、全員の足を帰るべき家へ向かわせる。


 ゼクの胃はそこで思い出したように空腹を訴え始めた。そして、家に帰るだけで食事が用意されているということのありがたみがじんわりと染み出してくるのを覚えた。

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