#38 鉄壁の戦士⑨ 悪い癖
マリオを抱え上げたゼクはほとんどヤーラを置き去りにしながら超特急で村に戻り、エステルの実家の適当な寝室に怪我人を放り込み、母親にろくに事情も説明せずに手当の道具を持ってこさせた。
遅れて到着したヤーラが手際よく処置を施し、母親は彼の頼みを受けて薬の素材を集めに行ったところだった。
幸いにしてマリオの負った傷はそれほど深くはなく、受けた毒も手早い治療が奏功してほとんど消えているようだった。それでも痛みは残っているようで、彼はベッドの上で包帯の巻かれた傷口を押さえながらじっと耐えている。
「……ごめん。油断した」
この隙のない男が油断するなど信じられないことだったが、常人であればファイアサーペントに頭から食われているであろうところを、腕の負傷だけで済んでいるのは持ち前の並外れた反射神経のお陰だろう。
「マリオさん、大丈夫ですか!?」
遅れて駆けつけてきたエステルが部屋に飛び込んでくるなり、焦燥感を全面に出しながら叫んだ。後から入ってきたスレインとロゼールは、対照的に落ち着いた足取りだった。
「ひとまず、命に別状はありません」
「よかった……」
ヤーラの報告を聞いて、エステルはとりあえず安堵したらしい。
「マリオが不覚を取られるとは珍しいな」
「どうせぼんやり考え事でもしてたんでしょう? で、即座にゼクが魔物を一刀両断して急いで戻ってきたってところかしら」
スレインの疑問に、ロゼールが適当な調子で的確に答える。事の次第を空から見ていたのではないかと思えるほどの正確さに、ゼクには彼女が妖怪か何かに見え始めていた。
「おそらくまた土着のものではない魔物だと思うが……敵は何だった?」
「ファイアサーペントが1体だけです」
「今回は単体か。増援がなかったところを見るに、侵入者を追い返すのが目的だったのだろうな」
「で、まんまと追い返されちまったのかよ。クソッ」
ゼクが誰にともなく悪態をつくと、図らずもマリオがその文句を受け取ってしまった。
「ごめん。ぼくのせいだね」
「いや、別にそうは言って――」
「気をつけるよ。余計なことは考えないように……」
あんまりしおらしい態度だったので、ゼクはかけるべき言葉を見失ってしまった。その横から、エステルがそっと割り込んでマリオの肩にそっと手を添える。
「焦らなくてもいいんですよ。ゆっくり慣れていきましょう? 傷、痛みませんか」
「……うん、まだ……痛い、かな」
「じゃあ、今は休んでいてください。我慢しなくていいですからね」
母親が小さい子供を慰めるような言い方で、彼女はこの場に差していた暗い影のようなものを柔らかな光でそっくり包み込んでしまった。この芸当だけは、ゼクにはもちろん他の仲間にも到底真似できないだろうと認めざるをえなかった。
しかし、何もしないまま引き下がるのはゼクの性分には合わない。彼はいきなりマリオに向かってビシッと人さし指を突きつけた。
「今度テメェがボケボケしてやがったらな、いいか? 俺が先に敵をぶち殺す! だから安心してボケっとしてろ」
――その堂々たる宣言の後、数秒の間が横たわる。
「……ふふふっ、あははははっ!」
エステルが笑い出した途端、おかしみが伝播していくように小さな笑いが噴出していった。
「なんだよ」
「いえ、ゼクさんらしくていいなって……ふふっ」
「戦術的には、ゼクが防御に回ってくれたほうがいいと思うんだけど」
「なんでテメェがケチつけてくんだ細目コラァ」
「私もそっちのほうがいいと思います。ゼクさんはすごくタフだから」
「ム……」
「殺しても死ななそうだものねぇ」
「ああ!?」
ゼクはロゼールの嘲笑的な顔をひっぱたいてやりたくなったが、エステルの無邪気な笑い声を聞いていると、そんな熱も一気に冷めてしまった。
マリオに付き添っていたいというエステルとヤーラを部屋に残して、ゼクはスレインとロゼールに家の外に連れ出された。魔物と遭遇したときの状況を細かに聞きたいという名目だったが、別の狙いが潜んでいるような雰囲気だった。
「敵がこの近辺に魔物を呼び寄せ、何らかの力で統率を取っているということはわかっているな?」
「なんだテメェ、バカにしてんのか」
「普通に確認しただけなんだが……」
そんなことはゼクにもわかっているが、彼にはスレインのとりすましたような態度が気に入らなかった。あの憎き兄のラルカンを連想させるというのもある。
「ともかく、これは我々がここにいることを知らないと成し得ないことだ。では、なぜ居所が掴まれたか? もっと言えば……誰がレメクに知らせたか、だ」
「……!」
馬車旅の道中で追手の警戒を徹底していたので、追跡されたという線はかなり薄い。とすれば、<ゼータ>がここにいることを知っているのは、ここにいる人間――すなわち、村人の中の誰かということになる。なるほどエステルには聞かせられない話だった。
「誰なんだよ、そいつは」
「まだわからん。額の痣を確認できれば一番だが……レメクの能力を与えられていない、ただの密告者という可能性もある」
魔族に操られているだけならまだしも、自発的に密告しているのだとしたら、ゼクにはそちらのほうに憤りを感じた。
「野郎……絶対見つけ出して、俺がぶち殺し――いででっ!」
ゼクの気合は、思い切り耳を引っ張ってきたロゼールの手によって断たれてしまった。
「何しやがんだババア!!」
「またあなたの悪い癖が出そうだったから、つい」
「はぁ!?」
「そうだな。一人で突っ走らないで、ここは協力して行動すべきだ」
スレインの言っていることは正しいが、その言い方が気に喰わなかった。このいやに落ち着き払った態度への反発心がむくむくと膨れ上がり、ゼクの中から飛び出してくる。
「俺一人で十分だっつってんだよ! 敵さえ見つけりゃ瞬殺してやる」
「見つける段階から難しいと言っているんだ。全員で事にあたったほうが早い。子供じみたことを言うな」
「お前らなんざ必要ねぇ、俺のほうが強ぇんだ」
スレインのすまし顔が、おもむろに不敵な笑みへと変わっていった。
「なら、勝負してみるか? どちらが強いか」
「上ッ等だコラァ!!」
売られた喧嘩を買わない道理はなかった。ゼクは熱光線のような眼差しをスレインに射つける。そんな2人のやりとりを、ロゼールは呆れ果てたような表情で傍観していた。
◆
ゼクとスレインは村の広場で相対していた。2人の勝負はあっという間に村中の全員が知るところとなり、興味を示した村人たちが取り囲むように見守っていた。
「ど、どうしてこんなことに……」
「ケンカなんて気が済むまでやらせりゃいいのさ」
話を聞きつけたエステルは戸惑いながらも観衆の一人となり、同じく母親も薬の素材集めを終えた足でそのまま見物にやって来ていた。
村に魔物の血をまき散らした件でゼクのことをいまだに恐れている者もいたが、何人かの陽気な村人たちはそんなことは忘れてしまったかのように酒を片手にどちらが勝つかの賭けに興じていた。下馬評はちょうど半々くらいになった。
ゼクは自分の大剣を固く握りながら、彫像のように立っているスレインを睨んだ。正確には、その姿に重なるラルカン・リードの面影を目で射殺すつもりで睨みつけた。
「早く抜けよ」
剣を鞘に納めたまま自然体で佇んでいるスレインに、ゼクは低い声を飛ばした。しかし、その手は剣の柄には触れることなく、ひらりと翻って日の下に晒される。
「必要ない」
瞬間的に沸騰した血が頭のてっぺんまで逆流し、合図も待たずにゼクは正面から突っ込んでいった。その勢いのまま、剣で斬るというよりは鉄塊で殴りつけるというような一撃を叩き込んだ――はずだった。
巨大な鉄が粉砕したのは、ただの地面だった。今の今まで眼前にいたはずの騎士は、ゼクの後方を悠然と歩いている。
やや遅れて、ゼクの首筋に赤い糸のような傷がうっすらと浮かび上がった。その線にそっと触れた指に、かすかな血が付着した。
騎士の剣は、依然として鞘に納まっている。おそらくこの場にいる誰もが、その剣が抜かれるところを見なかったはずだ。
 




