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#38 鉄壁の戦士⑥ 最後の試練

 村の近辺に出る魔物なんて、ゴブリンが2、3頭ほどふらりと現れるくらいのものだった。森の奥まで行ってしまうと危険な魔物も棲息しているが、森の中を少し歩いたくらいでこの規模の群れに遭遇することは絶対にありえなかったはずだ。


「明らかに異常だな。我々を待ち伏せていたかのようだ」


「あーあ、すぐに帰れそうにないわね。とりあえず――」


 ロゼールさんがふわりと右手を掲げると、後方に巨大な氷壁がせり出して、何体かのウェアウルフを飲み込みあるいは弾き飛ばし、魔物たちの包囲に大きな穴を空けた。


「さ、こっち」


 また腕を引かれた私はロゼールさんに氷壁の陰にいざなわれ、すみやかに避難が完了する。氷を逃れたその他大勢はゼクさんとスレインさんに委ねられた。


「皆殺しにしてやる」


 魔族への憎悪と殺意を剥き出しにしているゼクさんを、私は久しぶりに見たかもしれない。彼の操る荒々しい鉄塊が縦横無尽に暴れ回れば、たちまち魔物の肉片が飛び交い、一帯に血の海が広がっていく。


 ――その凄惨な光景とは隔てられた別世界から現れたかのように、スレインさんが彼の前へ躍り出る。

 血に染まった水面の上を一歩、二歩と踏み込んだかと思うと、幾筋かの銀色の光芒が閃きながら世界を区切った。


 それは漂う血生臭さとあまりにもかけ離れた優美さで、私たちの目の前に繰り広げられた。飛び散る鮮血は花吹雪のようで、崩れ落ちる魔物の肢体は舞い下りる落葉のようで……。戦闘の一場面とは思えない美しさに、私だけでなくゼクさんまでもが目を奪われていた。


 あれは、ラルカンさんと剣を交えたときのスレインさんだ。涼しげな眼が私たちのほうを一瞥すると、すぐさまあの夜の再現が始まった。


 何をしているのか目で追えない、そばを通り過ぎただけで敵が勝手に散っていくようにさえ見える、不可解な光景。唯一確かな理解をもって頭に残るのは、スレインさんの圧倒的な強さだけ。


 気がつけば、五体満足で残っている敵の姿は消えてなくなり、血の絨毯の上に綺麗なままの白いコートをたなびかせた騎士だけがそこに立っていた。


 いつもなら荒っぽい文句のひとつふたつぶつけるはずのゼクさんは、険しい顔つきで見開いた目をじっとスレインさんに突きつけていた。そこには単純な怒りや対抗心とは別の何か激しい感情がこもっている気がした。


 その視線に気づかないふりをしているスレインさんのすまし顔は、急に危機を察知した獣のような鋭さを帯びて上を向いた。


 私もつられて空を見上げると、無数の黒い塊が隊列をなして飛んでいるのが目に入った。その塊の正体を理解した瞬間、私は戦慄した。


「グリフォン……!?」


「そうだな。そして奴らが向かっているのは――村の方角だ」


 スレインさんのやけに冷静な言葉が終わるか終わらないかのうちに、もうゼクさんは駆け出していた。


「ウェアウルフの群れは陽動だったということだな」


「はっ……早く、戻らないと!」


「そう慌てるな。ロゼール、村にいるマリオたちに連絡を取っておいてくれ」


「はいはい」


 短い言伝を残して、スレインさんも続くように駆け出した。森の奥に消えようとしているゼクさんの背中に、すぐにでも追いついてしまいそうだった。


 ロゼールさんは気怠そうな嘆息を挟んで、言われた通りに<伝水晶>で通信を始める。


「ごきげんよう、マリオ。二日酔いは治った?」


『薬でだいぶ良くなったよ。君が連絡してくるってことは、緊急事態だね? 敵がこっちに向かってるっていう認識でいいかな』


「世間話くらい付き合いなさいよ」


『そんなことしてる場合じゃないんだろう? ヤーラ君も動けそうなら動いてもらうよ。気をつけてね』


 マリオさんの理解が高速すぎてあっという間に話が済み、ロゼールさんはやや不満そうにしながらも私の手を取った。


「まあ、だいたいのことは向こうがやってくれるでしょ。まだ近くに魔物がいるかもしれないから、それだけ注意して戻りましょ」


「は、はい」


 ロゼールさんは落ち着いた声で私をなだめ、まだ震えの残る手を優しく包んで外まで連れて行ってくれた。



 ゼクさんとスレインさんが人並外れて強いのはわかっている。マリオさんやヤーラ君も万全ではないながら、手際よく村の人たちを避難させてくれているだろう。頭ではそう理解していても、自分の村が襲われるという状況でどうしたって冷静ではいられない。


 息を切らせながら、必死で村のほうまで走っていく。上空にいたグリフォンの群れの影はどこにもなくて、もう村に下りてしまったのかもしれない。不安がますます私の足を急がせる。


 入口のあたりまで来ると、潰れそうな肺にむせ返るような血の臭いが吸い込まれてきて、私はしばらく咳きこんでしまった。ロゼールさんに背中をさすってもらってどうにか持ち直すと、ここで起こったことを端的に物語る光景が目に映った。


 原型もわからないほど斬られ、殴られ、潰されたバラバラの肉片が辺り一面に撒き散らされた中で、痛いほどの殺気を放つゼクさんが佇んでいる。顔も武器も刷毛で塗りたくったような返り血にまみれていて、猛獣のような荒々しい光を帯びた白眼がくっきりと浮かんでいる。


 低い唸り声のような息を漏らす彼のそばで、ほとんど疲労の色も見えないスレインさんが腕を組んでいた。2人を遠巻きに見守るようにマリオさんとヤーラ君が民家の傍に控えていて、家々の窓には避難した村民たちの恐怖に染まった表情が並んでいた。


 人々の恐れは、明らかに魔物ではなくそれらを葬った人間に向けられていた。


 敵はもう残っていなかったが、残り香のようなゼクさんの異様な殺気がまだここを戦場たらしめていた。誰もがなすすべを失ったように、無言を貫いている。ここは私が何か言わなければと思うものの、疲労のせいか胸が詰まって言葉が出てこない。


 そんな私に代わるように、堂々と戦場のど真ん中に出てきた人がいた。そして、ひときわ大きな声を村中に響かせた。


「あんたたち、命助けてもらっといてなーんて顔してんだい!! お礼のひとつでも言って、後片付けくらいしてやるのが礼儀ってもんじゃないか! 魔物の血なんて牛やニワトリとそう変わりゃしないんだから。ほら出てきた出てきた!!」


 お母さんはあっという間に戦場を我が家に変えてしまい、手を叩く軽快な音だけで窓辺からおそるおそる顔を覗かせていた人々を家の中から引きずり出してしまった。


「ありがとうね。さあ、顔洗ってきな。男前が台無しだよ」


 そんなふうに肩を叩かれては、さしものゼクさんの角張った気配もすっかり消え失せてしまったらしく、井戸のほうにずかずかと向かって行った。

 遠のいて小さくなっていく背中にかけるべき言葉を、私は箱の中をかき分けるように探ったが、とうとう見つからなかった。



 村の人たちが総出で村内に飛び散った魔物の死体を片付けている最中、スレインさんとマリオさんとヤーラ君の3人は比較的原型をとどめている1体を検分していた。周りからは死臭にえずくような声や嫌悪感を露わにした声が断続的に上がる中、3人は冷静に調査を進めている。


「胃の内容物や付着していた植物の断片から……この魔物は、魔界から来たものだと思われます」


「魔界からこっちに魔物を送ったのなら、ゲートを経由したんだろうね。送り込んだのはレメクかな」


「我々がここにいるのは筒抜けか。私たちが森で出くわしたウェアウルフも同じだろうが……2つの群れが部隊のように連動していたのが気になる。群れを操っている頭目がいるはずだ」


「それがレメクなんじゃないんですか?」


「奴はこんな形で直接手を下しには来ない。我々がここまで逃げたとしても、『試練』を継続するつもりなんだ」


「……そう言える根拠は?」


「勘だ」


 スレインさんは場違いな爽やかさでそう言い切った。


 魔界から魔物がここに送り込まれている。しかも、群れを操っている何者か――おそらくレメクの手先がいる。私が故郷に帰るなんて言い出さなければ……そんな後悔がふっと胸を掠めるが、悔やんでも仕方がないとすぐに切り替えた。


 これがレメクの試練なら、受けるのは間違いなくゼクさんだ。だけど、今まで仲間たちがそうだったように、彼が変わるチャンスでもある。そうなることを確信しているからこそ、スレインさんは爽快に笑ったのだ。

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