#38 鉄壁の戦士④ 陽気な宴
翌日は朝から村中が浮足立ったような雰囲気で、バタバタと準備にいそしむ気配が家の中にいる私にも伝わってきていた。
村の宴会は、いつも中央にある酒場の前で開かれる。村人ほぼ総出で食べて飲んで大騒ぎをするので、晴れているときはだいたい開放的な屋外で際限なく騒ぎ立てるのがこの村の習わしだ。
私たちが軽く支度を済ませて合流する頃にはすでに、乱雑に設置されたテーブルを料理やお酒が無秩序に占領し、その周りを人々が陽気な顔で取り囲んでいる光景が広がっていた。大多数のおおらかな村人たちは、主役が揃うまで待つ気はあまりなかったようだ。
お母さんは大きな鍋を抱えて酒場の中に行ってしまった。宴会のときは村中の女性たちが料理を持ち寄って、みんなで好き勝手食べ合うことになっている。テーブルに出ている料理のほかは酒場にストックされており、足りなくなったらそこから適当に持っていくシステムだ。
「おーう、勇者様のお出ましだ~~~!!」
私たちがテーブルにつくと、主役を目にした村の人々がわーわーと囃し立ててくる。私は誕生日とか帝都に出発する日とかでみんなにお祝いされるのは慣れてるのだけど、仲間たちはこういう扱いに困っていたり困っていなかったりしている。
「エステルちゃーん! 一発景気のいい乾杯を頼むよ!」
私たちに誘いをかけてくれた3軒隣のおじさんに促されて、私は自分の飲み物をぎこちなく掲げる。
「えーと、じゃあ……<ゼータ>とこの村に乾杯!」
『乾杯!!』
わっと爆ぜるように沸き立ったその声を合図に、本格的な宴が始まる。盃をあっという間に空にする人、目の前の料理にかぶりつく人、大声をあげて笑い合う人……。
うちのテーブルでは、ゼクさんが右手でお酒を飲み干すと同時に左手で料理にタバスコをぶちまけたり、スレインさんの自分には絶対飲ませるなという忠告をロゼールさんが聞き流していたり、マリオさんが驚くほどの正確さで等分に切り分けたピザをヤーラ君がお皿に盛りつけて配ってくれたりしていた。
私がそんな普段通りの光景を楽しく眺めていられたのは最初だけで、そのうち村の人たちが珍しい客人にわらわらと集まり、仲間たちを攫っていってしまった。
まず若い女性たちがスレインさんのもとに、鼻の下を伸ばした男性たちがロゼールさんのもとに群がり、黄色い声援と野太い絶叫の奇怪なハーモニーを奏でた。ロゼールさんのからかいにスレインさんが抗戦しはじめると、仲睦まじい痴話喧嘩が周囲を置き去りにしていく。
マリオさんは人形は帝都に置いてきてしまったものの、村人に渡されたギターで美しい旋律を紡ぎ出し、ちょっとした演奏会が開催されていた。その傍らを、生来の働き者気質を抑えきれなかったヤーラ君が料理のお皿を載せたお盆を抱えて慌ただしく通りすぎた。
そしてアルコールにより気が大きくなった様子のゼクさんは、村の力自慢を集めて腕相撲大会を開き、参加者たちを蹂躙していた。私の知っている腕相撲は手を握り合って押し合いをするものだが、ゼクさんにかかると合図と同時に相手の手の甲をテーブルに叩きつけるゲームに変わってしまっていた。
「兄さん、やっぱ強ぇな! あんたにかかりゃ、魔物なんてイチコロだろ?」
「ったり前よ。ドラゴンだって指1本で殺せるぜ」
「わはは、そりゃすげぇや! 兄ちゃんらがうちの村を守ってくれりゃあいいのに」
「最近魔物も増えてきたしなぁ」
私とゼクさんは同じ考えに行き着いたように目を合わせた。
「あの……実は私たち、しばらくこの村に滞在しようと思ってるんです。だから、村の警備くらいなら引き受けますよ」
「本当かい!?」
村人たちに湧き起こった歓喜は追加のお酒と料理という形でゼクさんに還元され、私もおこぼれとしてサンドイッチをいただいた。場の熱が徐々に上がっていく中、誰かがこんなことを言った。
「兄さんが強いのはわかったけどさ、エリック君とだったらどっちが強いかな?」
その名前に私とゼクさんが反応したのは言うまでもない。
「……今なら、俺が勝つ」
その宣言は、いつもの自信に満ちた豪語とは少し違う響きを持って聞こえた。勝てるという自負ではなく、勝たなければならない義務感のようなものが、彼の言葉の奥底に潜んでいる気がした。
「エステルちゃんとしてはどうね?」
「えー? どっちにも負けてほしくないですよ」
負けず嫌いなゼクさんは、そこで大げさに鼻を鳴らす。
「俺が魔王を倒せば、俺の勝ちだ」
『おお~~!!』
「いいねぇ兄さん、世界救っちまえよ!!」
「この村から2人も英雄が出るわけだな! なあ、エステルちゃん」
「あはは……」
私たちを盛り立ててくれる村の人たちに、私は愛想笑いを返すことしかできなかった。
この話題はどうもゼクさんの闘争心に火を灯してしまったようで、さらにその火は別の方面に燃え移ったらしく、彼は急に立ち上がった。
「おいマリオ、飲み比べだ!! 酒も強ぇってことを見せてやる!!」
突然名指しされたマリオさんはギターを爪弾く手を止め、ぽかんとゼクさんを見上げる。
「別にいいけど……大丈夫?」
「うるせぇ、前みてぇにはいかねぇぞ!!」
以前、<ゼータ>のみんなで飲み会をしたときにはマリオさんの圧勝だった。お酒の強さがそんな期間で変わるとは思えないのだけど……。
「おーい、酒浴びるほど持ってこい!」
「なぁ、どっちが勝つか賭けようぜ!」
お祭り好きの村人たちはその勝負に乗っかって、ますます盛り上がっていく。
そして、当然のようにゼクさんは敗北してその巨体をテーブルの上に沈めていた。
「細目の兄ちゃんの勝ちだ~~!!」
「マジかよ、あんたやるなぁ!!」
おもに賭けに勝った人たちが、マリオさんの頭や肩や背中を叩きながら賞賛してもみくちゃにしている。おそらくもう意識がないであろうゼクさんを何人かが慰めていると、救護班ヤーラ君が飛んできて処置に取り掛かった。
私はとりあえず困ったような無表情でぐしゃぐしゃにされているマリオさんを救出し、空いている席につかせてあげた。ほとんど顔色は変わらないけれど、ゼクさんに付き合って信じられない量を飲んでいたので、休息が必要だと判断したのだ。
「大丈夫ですか?」
「うん……まあ……」
いつもよりぼんやりしている様子で、薄く開いた目はこちらではなくテーブルの木目のあたりに留まっている。そこに水の入ったコップが存在を主張するような音を立てて置かれると、小さな瞳がそちらに移動する。
「水くらい飲んだら?」
ロゼールさんが眼と口調だけは冷ややかに水を持ってきてくれた。一緒についてきたスレインさんがわざとらしいくらい大きく目を見開いてロゼールさんを凝視する。
「君がマリオに親切にするなんて、雪でも降るんじゃないか?」
「もうあなたには優しくしてあげない」
ロゼールさんは眉根を寄せてふいっとそっぽを向く。この2人は今ではどれだけバチバチしていても仲が深まる方向にしか行かないので、見ていて微笑ましい。
マリオさんはというと、コップにも手をつけずにぼーっとその表面を眺めていた。
「……あら、私の親切は受け取れないっていうのかしら。モーリス・パラディール?」
ロゼールさんが口にしたその名前に、彼はぴくりと反応した。
「ああ、ごめん」
思い出したように慎ましやかに水を飲み、ゆっくりコップを置いてから、切れ長の目がロゼールさんを見上げる。
「……なんで、そっちで呼ぶの」
「嫌だった? ヘルミーナちゃんはいいのに?」
「嫌、というか……。……」
この頃マリオさんがよく見せる、無言で固まったままじっと考え込むような素振り。自分の心の中に起こっていることに、言葉がうまく結びつかないのだろう。ロゼールさんはそんなことも見透かしてしまったように微笑む。
「考え込んでる時点で答えは出てるのよ。ねぇ、マリオ?」
彼女はそれで満足しきってしまったように、スレインさんとともにまた喧騒の中へ去っていった。
取り残されたマリオさんは、さっきと同じく自分の思考の中に潜っているかのように黙ってじっとしている。私はその思考を形にする一助のつもりで聞いてみた。
「何を考えてるんですか?」
「いや……ヘルミーナ、どうしてるかなって……」
私はその言葉に、静かな驚きと感動を覚えた。
「そう、ですよね。こんな遠くまで来ちゃったら、会いたくもなりますよね」
「会いたい……」
私の差し出した言葉を手に取って確かめるように、マリオさんは小声で復唱した。それが実感として実るまでは、まだ少し時間がかかりそうだ。
私もまた、帝都に残してきた人たちのことを思い浮かべた。じわじわと染み出すように湧いてきた寂しさを、村人たちの温かくて陽気な騒々しさがすぐにかき消してくれた。




