#37 不死身の騎士⑬ さらば帝都
夜が更けていくのに反して、街は騒がしさを増していた。遠くで近衛騎士の残党が何か喚いている声が時折風に乗ってくる。ここには長居しないほうがいいとスレインが判断したちょうどそのとき、野獣の咆哮のようなものが近づいてくるのを感知した。
「……ん、の野郎オオオオオッ!!!」
怪獣みたいな足音を立ててやってきた野人が知り合いだとわかったので、スレインは警戒を解いた。
「おい、あのクソ兄貴はどうした!? ぶっ殺してやる!!」
「ゼク、ひとまず落ち着け」
「落ち着いてられっかァ!! 許さねぇぞあいつらァ!! ……あ?」
怒りと興奮で脳みそが沸騰していたらしいゼクは、スレインとロゼールの姿と、辺りに散乱する騎士たちの亡骸を見ていくらか冷静になったようだ。
「なんだ……? おい、その女は生きてんのか」
「万全ではないが、命に別状はない」
「というか……あんたこそ、なんで生きてるのよ」
「あ?」
ロゼールが嫌味ではなくそう尋ねたくなるほど、ゼクの首筋には大きく切り裂かれた痕が残っている。
「騎士団長さんにズバッとやられたのを見たんだけど」
「あのクソ野郎に殺されてたまるかって、おもっくそ力んで耐えてやったんだ」
「……そう」
人知を超えたゼクの驚異的な生命力に、2人は閉口するしかなかった。
「で、あのクソ野郎はどこだ?」
「私が殺した」
再び闘志が着火したゼクだが、スレインのその返答にたちまち炎を消されてしまう。
「……お前が? 兄貴を?」
「そうだ」
夜の影に縁取られた鋭い双眸がその肯定に確かな真実味を与え、ゼクはそれ以上追及することができなくなる。
「つまり、あらかた事は片づいたということだ。お前はロゼールを連れて、エステルのところまで行ってくれ」
「お前はどうすんだよ」
「後で追いつく。一応、薬は全部渡しておこう。私にはもう必要ないからな」
闘争心のぶつけ先を失くしたゼクは舌打ちを一つかまして、言われるままに薬を受け取り、ロゼールの身体を担ぐ。
「それで……向こうに着いたら、1つやってほしいことがある」
「ンだよ」
スレインが告げたのは、まさしくゼクにしかできないような、突拍子もない作戦だった。
◇
夜の騒ぎが膨れ上がり、遠雷のように鳴りひびくのを耳に感じながら、私たちはスレインさんが戻ってくるのを待っていた。帝都を囲う大きな城壁の近くに身を潜めて。
スレインさんと別れた後、マリオさんとヤーラ君に連絡してこの場所まで来てもらい、しばらく待機しているとロゼールさんを担いだゼクさんが走ってきた。2人ともひどい怪我だったけれど、ロゼールさんはギリギリ無事といった様子で、ゼクさんに至ってはむしろ力を持て余していそうなほど元気だった。
治療の助けとしてマリオさんが密かにアンナちゃんを呼んでくれていたので、2人のことも診てもらった。手当の間に何があったのかを聞き、おおまかな情報を共有した。
「敵の総大将は討ったんだからよ、俺らの勝ちってことでいいんじゃねぇのか?」
「あなたは忘れてると思うけど、私たち脱獄犯でもあるのよ」
「チッ、めんどくせぇ。結局俺らはケツまくって逃げ回るしかねぇってことかよ」
ロゼールさんに指摘されて、ゼクさんが逆立った髪の毛を乱暴にかき回す。
<ゼータ>は近衛騎士団を壊滅に追い込んだ悪者で、私たちはもはや帝都を追われる身となってしまった。でも、こういうシナリオでなければスレインさんは兄の支配から抜け出せなかっただろう。
「……この話ってぇ、アンナが聞いてもいいやつ?」
「君なら追及されても上手くごまかせると思ったんだ。巻き込んでごめん」
「う~~~ん、まぁ……」
マリオさんの淡々とした謝罪を、アンナちゃんは珍しく煮え切らないような調子で受け止める。
「アンナはべつにいいんだけどぉ……なんてゆーか、こちらこそごめん」
気まずそうにそらした視線の先に、建物の陰にほとんど溶けている人影が2人分あった。そこからほの白い煙がふわりと揺れたかと思うと、煙草をくわえたカミル先生が姿を現す。その足元にいるのは――
「マトリョーナ……?」
土気色の顔で座り込んでいたヤーラ君が、驚いて立ち上がった。鼻血はもう治まったみたいだけど、足元は少しふらついている。
「いやー……しばらく会えないかなーと思って、気ぃ利かせたつもりなんだけどぉ……」
アンナちゃんが頬を掻きながら弁明するかたわら、ヤーラ君は心配そうに幼い少女を見つめている。
「身体はもう、大丈夫なの?」
「それ、こっちのセリフなんだけど……。あたしはもう平気なんだけどさ。何? <ゼータ>は脱獄囚で反乱軍でテロリストで魔族の手先になっちゃったみたいな?」
「どういう伝わり方してるの……?」
「ま、とにかくヤバイんでしょ? それならまず自分たちの心配しなさいよ。こっちは大丈夫だから」
マトリョーナちゃんはあえてなのだろう、人差し指を立てながらお説教をするように言い聞かせている。自分だって、ヤーラ君と離れるのは不安なはずなのに。
「……必ず、戻ってくるから」
ヤーラ君はふらつく足に力を入れて、まっすぐな瞳で見据えながら約束する。
「わかってるよ。あたしも健康に気をつけて生活するから。野菜とかちゃんと食べるし」
「ピーマンは?」
「あれは食べ物のカテゴリーに入ってない」
子供らしい変な理屈にヤーラ君が苦笑していると、気難しい顔つきのカミル先生が煙草の火を消して前に出る。
「とりあえず、術乱発する癖を治しなさい。でなきゃ、あんたに他人を心配する権利なんてないわ」
「……はい。気をつけます」
ヤーラ君はその重い言葉を真摯に受け止めている。ふと、後ろでゼクさんが<伝水晶>で誰かと話している声がした。
「……あ? おう、わーってるよ。……おい、そろそろ迎えが来るみてぇだぞ」
「スレインさんからですか?」
「ああ。お前らちょっとどいてろ」
ゼクさんに従って私たちは後ろに下がり、一定のスペースを空ける。彼は大剣を抜くと、肩をゴキゴキと鳴らして軽く深呼吸をする。そうして開けた空間に、地面を蹴り砕かんばかりの勢いで踏み出して、壁に向かって一直線に突撃していった。
「ぬおらああああああああっ!!!」
火山が噴火するみたいな絶叫とともに鋼鉄の塊が分厚い城壁に衝突し、無数の太い亀裂がその爆心地から逃げ回るように四方八方に走っていく。亀裂に荒らされた壁はとうとう堪えきれなくなり、瓦礫の滝となってガラガラと崩落していった。
こうして閉ざされた帝都に外に通じる開放的な大穴が生まれ、たいへん見晴らしが良くなった。
そこに馬の蹄が地を叩く音が近づいてきて、突風のように馬車が踊り込んできた。馬を御しているのは、騎士団長の白いコートをはためかせるスレインさんだ。
「乗れ!! ここから出るぞ!!」
帝都から脱出するために馬車を用意していたんだ。あらかじめ、逃走経路をゼクさんに作ってもらう取り決めをしていたのだろう。
まずロゼールさんを担いだゼクさんが飛び込んで荷台をぐらりと揺らし、次いで私が乗り込もうとしたところで、後ろを振り返る。ヤーラ君がまだ別れがたそうにマトリョーナちゃんのほうを向いている。
「帰ってきたら、あのイケメン騎士さん紹介してね」
彼女はまた気を遣って軽口を言ってくれている――と思ったけれど、半分くらい目が本気だった。ヤーラ君は苦笑しながら頷いた。
「そろそろ追手が来るかもしれない。早く隠れたほうがいい」
「そうね。今夜は誰にも会わなかったことにするわ」
カミル先生はマリオさんの警告に従って、女の子たちを連れてまた物陰のほうに消えた。ヤーラ君はそれを見届けてから、マリオさんに支えてもらいながら馬車に乗り込んだ。
これで全員。出発だ。
背後から兵士たちの怒号や馬の蹄の音が波のように迫ってくる。馬車は猛スピードでそれを振り切って、瓦礫の道を踏み超えて帝都の外へ飛び出した。どこまでも続く草原に一筋の軌跡を残して、無限に広がる世界を疾駆する。
「で? 俺らはこれからどこ行きゃいいんだ?」
「どこへでもいいさ!」
スレインさんの自由な風のような返答が吹いてきて、ゼクさんは呆れたように顔をしかめる。ここは、私がリーダーとしての務めを果たすところだ。
「私の故郷に行きましょう!」
「……いいだろう!」
逃亡者6人を乗せた馬車は、遠い辺境の村に進路を定めて、大海原のように広がる野を駆け抜けていった。




