#37 不死身の騎士⑦ 死ねない運命
「うわあああああっ!!」
「なんだあの化物は!?」
すさまじい腕力を振りかざす災害のようなホムンクルスに、近衛騎士たちは戦力も戦意も完全に打ち砕かれ、辺り一帯阿鼻叫喚の地獄となった。
怪物の一撃を左腕の籠手で受けたルアンはどうにか起き上がると、混乱の渦中にある部下たちに大声を飛ばした。
「落ち着け!! 奴は魔物と変わらん!! 距離を取って隊列を――」
その指示を中止させたのは、1本のナイフだった。矢のように飛んできた短い刃を、ルアンは間一髪のところでかわす。すかさずそれが放たれた方向へ視点を移した。
そちらに誰もいないのをみとめたときには、すでにマリオはルアンの背後に潜んでいた。マリオが左腕を引き抜くようにすると、ルアンの太い首に糸の束が急速に食い込んでいく。
「!?」
呼吸を封じられたルアンはしかし剣を手放すことはせず、むしろそれを使って躊躇なく首の表面を切り、糸を切断する。解放されたルアンは激しく咳きこみながらも、戦意を失わぬ力強い眼差しを彼の敵に突きつける。
意想外の方法で糸を切られたマリオは、ルアンの首筋から流れる血をまじまじと見つめた。
「……痛くないの?」
「笑止! 任を遂行するためならば、痛みなど些事に過ぎん!」
「なるほど」
自身の言葉に鼓舞されてか、ルアンはほとばしる闘志をその剣に乗せて攻勢に転じた。
次々に襲い来る斬撃をかわしながら、マリオは彼の実力を測る。剣速はスレインと同程度でありながら、掠りでもすれば肉を抉り取られるであろう破壊力を併せ持っている。しかし太刀筋は単調で読みやすい。
回避に徹している間に張り巡らせた糸が完成形に近づき、ルアンが最後の一歩を踏み出したところで、糸巻を作動させる。
が、ルアンは脛のあたりに食い込んだ糸に抗い、地面から足が離れぬよう踏ん張った。
「小賢しい!!」
吠えるような声と同時に、ルアンは自分に絡んだ糸を掴んで思い切り引っ張り上げて、力負けしたマリオが逆に転倒させられた。鬼神の如き面相の騎士が剣の柄を力強く握りしめる。その背後から、大きな影が月の光を覆い隠した。
騎士たちの連帯を完全に崩壊させたホムンクルスが、隙を見計らってルアンの背後を取ったのだ。が、唯一戦う意志を燃やし続けている男の眼光はひるがえって後ろの怪物を刺す。
「同じ手は食わん!!」
振りかざされたホムンクルスの腕を、ルアンの剣が一刀両断する。切り離され、宙に浮き上がろうとする怪物の前腕。
ルアンが二撃目に入ろうとするその刹那、闇の奥から金色の光が閃く。
するとたちまち、切断されたはずのホムンクルスの腕が、時が逆巻いたかのように元に戻ったのだ。
「なっ!?」
わずかな動揺の隙、腕を取り戻したホムンクルスはそのまま攻撃を続行し、拳をハンマーのように振り下ろした。鉄を打ち砕いたような音が轟き、ルアンの身体が地面に沈む。衝撃で手放した剣は回転しながら彼のもとを離れていき、固く縛りつける糸によって身動きを封じられた。
この場において、もはや近衛騎士団の中に戦闘を継続できる者はいなくなった。依然鼻息を荒くしているホムンクルスの傍へ、主であるヤーラがやや青い顔で近づいてくる。
「大丈夫かい?」
「これくらいなら、平気です」
そうは言いつつも、病み上がりのヤーラはあと1つ大きな術を使えば限界を迎えてしまいそうな状態に見えた。
「この男は薬で眠らせておこう」
マリオはヤーラから注射器を受け取り、ルアンの顔を覗き込む。憤怒と憎悪が溢れんばかりの眼を血走らせ、砕けそうなほど喰いしばった歯の隙間から唸り声が漏れている。首筋にくっきりと浮かび上がっている太い血管に、注射器の針が冷たく触れる。
瞬間、おびただしい血飛沫が飛び散った。
頬に数滴の赤い雫を付着させたヤーラは、呆然とその光景を見送っていた。今の今まで平然と動いていたマリオが、その身に幾筋もの創傷を走らせて、多量の血を流して倒れているのだ。まばたきをする暇もない、ほんのわずかな隙に。
「マリオさん……?」
ヤーラはふらふらと吸い寄せられるように、傷ついた仲間の傍らに膝をついた。腕から、脚から、脇腹から、頭から、とにかく身体のうちで血の流れていない箇所を探すほうが難しいほどの重傷だった。咄嗟に錬金術で回復を図ろうとするのを、マリオは震える手で制止する。
この戦闘においてはほとんど隙のない糸使いに、一瞬で重傷を負わせた人間がいる。ヤーラは辺りを見回した。ルアンは縛られて動けないままで、他の騎士たちもホムンクルスによって無力化されている。
へたりこんでいた騎士たちのさらに向こう側から、悠々とした足取りで近づいてくる者があった。彼は風呂でも浴びてきたかのように首に手を添えて軽くひねり、大きく息をつく。
「ようやく頭痛が収まってきたよ」
場違いなほどに爽やかな声。少年の瞳に恐怖が色づき、窮地に陥っていた騎士たちは希望を見出したように顔を上げる。
夜風に白いコートをはためかせ、兜の下から凛とした眼光を放ちながら、近衛騎士団長ラルカン・リードが戦場と化した街の一角を見下ろしていた。
「素敵な紅茶のプレゼントをありがとう。久しぶりにやられたよ。……その眼に何か秘密があるのかい? 小さな錬金術師くん」
「……」
朗らかで親しげな口調から、何一つ人間らしい感情が伝わってこない冷たさに、ヤーラは得体の知れない空恐ろしい気分がこみ上げてくるのを感じた。
「見てたよ、そこの化物の腕を治していたな。それは人間にもできるのかい? やってみせてくれないか。そうしないと……その男、死んでしまうよ」
その下には底抜けの空洞が広がっているかのような薄い微笑で、ラルカンは少年を脅迫する。彼にはわかっているのだ。ヤーラがマリオに術を使えば、体力が底を尽きてしまうだろうことを。
ヤーラは葛藤を抱えたままマリオのほうを見る。彼はもう以前のように、どれだけ傷を負っても平然としていられる男ではなくなってしまった。脂汗を滲ませ、眉間に苦悶の皺を刻み、血混じりの荒い息を吐き出しながら、じっと痛みに耐えている。
そんな姿を見せられては今すぐにでも治療に取り掛からねばならないという使命感に駆られるが、彼の切れ長の目が明確にそれを拒絶していた。
「早く、逃げて。君は……死んじゃ、いけない」
途切れ途切れのその言葉に、ヤーラは診療所に残してきた少女のことを思い浮かべる。カミルとアンナに頭を下げ、眠っている彼女を置いてここに来た。自分が永遠に帰れなくなれば、彼女の命は遠くないうちに潰えるだろう。
――そうだとわかっていながらも、ヤーラはマリオの命令を無視した。小さな手がそっと肩に触れると、そこに淡い光が宿る。
「あなただって、死んだらいけないでしょう」
毅然と言い放った少年に、マリオは何の反論も加えなかった。
2人を見下ろしながら、にわかにラルカンが剣を抜く。様子見に徹していたホムンクルスが、そこで主を守ろうとするように動き出した。ラルカンはその場で風を薙ぐように剣を大きく一振りする。
その刃から暗黒色の風が放たれ、ホムンクルスの巨体を吹き飛ばしながらなおも突進し、ヤーラとマリオのほうに襲いかかる。マリオは咄嗟に少年の小さな身体を跳ねのけた。
黒い刃が彼の身を切り刻もうとしたその刹那、巨大な氷壁が地面から突き出し、黒い風を霧散させた。
「!」
不意打ちを無効化されたラルカンがぴくりと身構えると、後方から凄まじい殺気と叫びが接近してくる。
「この、クソ野郎がああああああッ!!!」
ラルカンは咄嗟に自分の剣に魔族の力を纏わせ、襲い来る巨大な刃を跳ねのけようとするが、そのとてつもない破壊力が剣を伝って彼の身体ごと空中へ放り出した。着地と同時に地面を転がった彼は、起き上がってその来訪者たちを見上げる。
「……うるっさいわねぇ、こんな夜中に。近所迷惑」
「知るか! このクソボケ、1000回ぶっ殺してやる!!」
月明かりの下に堂々と姿を晒していたのは、投獄されていたはずの<ゼータ>の2人だった。




