#37 不死身の騎士⑤ 効果覿面
家に戻ってからは、いつも通り兄の折檻が待っていた。ルアンとの立ち合いの最中に隙を見せたことが気に食わなかったらしい。もっともなことだ、と執拗に蹴りを入れられたみぞおちの辺りを庇いながらスレインは内省していた。
「いったい何を考えていたんだ? <ゼータ>のことか?」
「……申し訳、ありません」
「返答になっていない」
ダメ押しの平手打ちを食らって、スレインは小さな声で「はい」と肯定した。平手がもう一発打ち込まれた。
「まだわかっていないのか。お前はあのパーティには戻れない」
「それは……わかって、います」
「奴らがどうなろうと、お前にはもう関係がないんだ。お前の主は誰だ?」
「兄上ただ一人です」
「そうだろう。だったら、奴らのことなど考えるな。いざとなれば、奴らを殺せるよう覚悟をしておけ。いいな?」
「……はい」
言うだけ言って殴るだけ殴ったラルカンはさっさと自室に戻り、痛みが引いてきた頃にスレインは遅れて立ち上がる。廊下で時たますれ違う使用人や警備兵は、見てはいけないもののようにつとめて視線を合わせないよう通り過ぎていく。
この家で働いている人々は主人であるラルカンに口出しすることはなく、中には彼の本性を知らないまま仕事に励んでいる者もいる。両親は故郷の田舎で隠居しており、彼の妻はこの兄妹のことを気味悪がってなかなか表に出てこない。実質、ラルカンに逆らえる者は誰もいないのだ。
自室に戻ったスレインは、最後のポーションを飲み干した。この良質な薬品はもう二度と手に入ることはないのだと、ふいにそんな実感が顔を出した。小さな芽が成長して大木になるように、その実感が膨れ上がり、方々へ枝葉を伸ばし、封じ込めていた思いに触れる。
いざとなれば、自分はエステルを斬れるのか?
できるわけがない、と首を振る。そんなことをするくらいなら我が身を切り裂いたほうが遥かにましだと思う。しかし、それで何も解決するわけではないことも十分に承知している。
――お兄さんとエステルちゃんのどちらかを選べって言われたら、どうする?
いつかロゼールにそんな問いをぶつけられた記憶が、鮮明に脳裏に蘇った。
――たとえば、お兄さんとエステルちゃんの利害が対立しちゃって、どちらかにつかなければならないって時。選ばれなかったほうは死ぬ運命にあります。さあ、あなたならどうする?
――『選べるわけがない』? 自分が犠牲になれば済む話だなんて思ってないでしょうね? どちらにせよ、目の前の問題から逃げているのは一緒よ。
こうなることを予見していたかのように、彼女は立て続けに問い詰めてきたのだった。あの深海のような、夜空のような両の瞳が、まさに今目の前で自分を見つめているような気がする。
『このままだと、あなた――死んじゃうわよ?』
その真っ暗な瞳に映っている自分と、目が合った気がした。
◆
夜になって、ラルカンは腹心のルアンを家に呼び寄せた。応接間には向かい合う2人の他には誰もおらず、主人に呼ばれなければ家の者は皆近寄ろうとはしないだろう。好奇心で2人の会話を盗み聞きなどしようものなら、二度と日の目を見ることはないと誰もが理解していたからだ。
「奴らが大人しくしているはずがない。じきに動き出す」
ラルカンは祝い事を前に期待を膨らませる子供のように笑う。
「そうなったあかつきには、奴らは近衛騎士団に仇なす逆賊になってもらう。そして、裏で糸を引いていたのが<勇者協会>の――」
「我々の真の標的、ということですな」
「そうだ。僕に取引を持ち掛けてきた魔族が消したがっている奴さ」
「しかし……魔族が随分遠回りな真似をする。協会ごと滅ぼしてしまえばいいものを」
「どうやらそいつは人間自体嫌いではないが、協会のお偉方が気に食わんらしい。僕には理解できん類いだ」
ルアンは腕を組み、少し思案に耽った。真面目なこの男はその魔族が本当に信頼に足るかどうかを考えているのだろう――と悟ったラルカンは、ソファの背もたれに背中を沈め、気楽な表情を作る。
「そう肩肘を張るな。そうだ、茶でも淹れさせようか。これから忙しくなるからな」
「お気遣い、痛み入ります」
気さくな上司を見事に演じるラルカンは使用人を呼び、紅茶を2人分用意するよう言いつけた。まもなくティーカップが2つ運ばれてくると、ラルカンは自分の前に置かれたカップの赤褐色の液体をまじまじと見つめだす。
「待て」
そそくさと退室しようとしていた使用人の女を呼び止める。女は小さく肩を跳ねさせ、主人の命を待った。
「お前、これを飲んでみろ」
「は……?」
「いいから」
「し、失礼します……」
女はおそるおそる、湯気の立つティーカップに口をつける。静かに啜ったぶんを飲み下すのを、ラルカンは鋭い目つきで確かめた。女に異変はないようだった。
「……いいだろう。下がれ」
使用人は自分が毒味をさせられたことを察してはいたのだろうが、特に文句を言うこともなく会釈をして逃げるように立ち去った。
その直後にルアンが自分のカップをぐいっとあおってみせ、舌で転がすように味を確かめてから飲み込んだ。
「こちらも異常はないようです」
「お前も心配性だな。ネズミ一匹入り込めないこの家で、毒なんぞを仕込めるとしたら内部の人間だけだ。あの女は何も知らないようだったから、僕たちの杞憂だったというわけだ」
ラルカンは肩をすくめると、安全だと判断した紅茶を口に含む。
「さて、そろそろ本題に移ろう。事が起こったときの、近衛騎士団の動きとしては――」
そこで不自然に言葉が途切れた。何か違和感を察知したように顔を歪めて、みるみるうちに青ざめていくラルカンを、ルアンは深刻な眼差しで見つめる。
「どうなさいました? まさか……」
にわかに立ち上がったラルカンは、すぐに崩れるように膝をついた。床にうずくまったまま、立つことすらままならない様子だった。ルアンは泡を食って傍に駆け寄る。
「ラルカン殿!」
「違う! こっ、こっちじゃ、ない……スレインだ、スレインのところに急げ!!」
「は!」
命を受けて駆け出したルアンは、自身の身体への違和感に気づく。とはいってもラルカンのように体調に異変を来したわけではない。少しぼうっとするような、ふらつきそうになるような感覚。まるで、酒に酔っているような……。
――この2人には知るよしもなかった。スレインが<ゼータ>での酒の場で自分は酒に弱い家系であると明かしていたことを。
そして、<ゼータ>には――目で見ただけで水を酒に変えられる、優れた錬金術師がいることを。
ルアンがスレインの部屋に飛び込むと、中はもぬけの殻だった。閉まっている窓に鍵が掛かっているのをみとめた彼は、すぐさま踵を返した。
その窓の鍵の部分から、見えない糸が蛇のようにするりと外へ這い出ていく。次いで窓外の一面黒で塗りつぶしたような夜にほとんど溶け込んだ影が2つ、わずかなうねりを生じさせて瞬間的に通り過ぎていった。
騒ぎの火が徐々に広がっていく館から離れた帝都の一角。わけもわからぬまま連れ出されたスレインは、よく見知った顔ぶれを前にしてようやく状況を理解した。
「何を……してくれたんだ。こんなことをして、どうなるかわかっているのか!?」
「覚悟の上です」
錬金術師の少年は、凛とした声音で断言する。その真摯な眼差しは、今の言葉に一切の偽りがないことを物語っている。
「ぼくはエステルが望む通りにしただけだよ」
厳重な警備を見事にかいくぐって完璧にオーダーを遂行した糸使いは、淡々とリーダーのいるほうを示した。
薄闇の中に、少女の温かな微笑が小さな光のように灯った。離れ離れになった親にようやく再会できた子供のようなその笑みは、スレインの強張った心の鎧をぼろぼろと剥がしていく。
「……本当に、ごめんなさい。でも、どうしても会って話したかったんです」




