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#37 不死身の騎士④ 騎士の忠誠

 その日、近衛騎士団の練兵場はいつもより熱気に満ちていた。団長のラルカンが珍しく練習風景を視察に来たからだ。彼の傍には当然のようにスレインが付き添っていた。常に自分を傍らに置くことで<ゼータ>介入の隙を与えないようにする狙いだと、スレインは解釈した。


 もっとも団長の姿に気合が昂ったのは中堅以上の騎士たちばかりで、新米らしき若者たちはかえって萎縮してしまった。これはひとえにラルカンの「教育」の浸透度合いの差を示すもので、彼はさっそく教え込みの足りない新米たちに稽古をつけてやった。


「この程度で音を上げてどうする!! それでも近衛騎士か!!」


 空気を引き裂くような怒号を、ラルカンは床に這いつくばって嘔吐している新兵に容赦なくぶちまける。他の新兵たちもその光景にすっかりすくみ上ってしまい、顔色を青くしていた。


 しかし、恐怖を植えつけるだけでは終わらないのが彼のやり方だった。鬼のような形相を大きなため息とともに改めると、「すまない」と謝罪を添えながら新兵に手を差し伸べる。


「だが、わかってほしい。我々近衛騎士団が守るのは、国家の中枢に最も近い方々――国家そのものと言ってもいい。我々が倒れれば、それはすなわち国が倒れるということだ。だからこそ、生半可な覚悟で務まるものではない。我々の後ろには、誰もいないのだから」


 真摯な眼で語りかけられるその言葉に、怯えていた新兵たちははっと顔を上げる。彼らばかりでなく、他の騎士たちもうんうんと頷いている。


「何も君たちを怖がらせたいわけではない。むしろ、私だってこんなことをするのは心苦しいんだ。だが、いざ戦いの場で君たちが命を散らすようなことがあれば……ひいては国が傾くようなことがあれば、その苦しみは今の比ではないだろう。君たちに、死んでほしくないんだ。わかってくれ」


 その感動的な演説は騎士たちの心をしかと掴み、意欲の炎を灯させる。そこに彼の本心など微塵も含まれていないことを知るのは、スレインただ一人だった。


 火のついた騎士たちはさっそく訓練を再開し、燃えたぎる気合をそれぞれ披露し合った。ただし、先ほど怒号を浴びせられていた若者はどこか煮え切らない様子だった。団長のやり方に疑問を持つ者が現れることは珍しくはないが、声を上げる者はほとんどいない。


「今期の新人はどうだ? ルアン」


 ラルカンは、中央で静かに腕を組んで佇んでいた男――ルアン副団長に友人のように気さくに話しかける。ルアンは古くからラルカンの右腕を務めてきた男で、盲信とも呼べるほどの高い忠誠心を誇っている。


「は。例年並みか、それ以下……といったところかと。最近は、家柄は申し分なくとも実戦経験の少ない者が増えたように思います」


「甘やかされたボンボンが増えたというわけか」


「言い方を選ばなければ、そうなりますな」


「はははっ。ついこの間、宮殿が襲撃を受けて皇帝陛下の命までもが危機に晒されたというのに」


 それはサラという魔王の娘にあたる魔族が、トマス皇子の妹を操って皇室を乗っ取ろうとした事件のことだ。


「あのときは情けないことに、近衛騎士団は文字通り蚊帳の外だったからな。勇者たちの活躍のほうが目覚ましく、有能な若者たちはそっちに流れちまったんだ、きっと」


 ルアンの眉間がわずかに反応を示す。彼はラルカンへの忠誠と同じくらい、近衛騎士団そのものにプライドを持っていた。


「そうだ。ルアン、近衛騎士団代表として、<勇者協会>代表のスレインと手合わせしてみないか」


 唐突な提案に、名指しされた2人は同時にラルカンの顔を見た。


「私が協会代表、ですか?」


「アルフレート君たちが不在の今、実質トップに立つのはトーナメント準優勝のお前たち<ゼータ>だろう?」


「ならば、近衛騎士代表は団長殿がふさわしいのでは?」


「ダメだ。僕が相手だと、こいつは猫みたいにヘナチョコになっちまうからな」


 図星を突かれたスレインは、それこそいたずらが見つかった猫のように気まずそうな顔をした。


「なるほど。いいでしょう」


 ルアンは腰に差した剣をすらりと抜いた。無駄のない美しい所作だが、ラルカンの期待と近衛騎士団の名誉を背負った彼の内心は、並々ならぬ闘志で燃え盛っているはずだ。


「僕をがっかりさせないでくれよ」


 その一言が、ルアンの瞳をさらにギラつかせる。ラルカンは誰にどんな言葉をかければ思い通りに動くかを熟知している。そこに本心などひとかけらもない。それがわかっていてもなお、スレインは兄の期待を裏切れなかった。たとえ嘘だとしても、兄の評価を求める自分を否定できなかった。


 剣を抜いた2人が対峙すると、他の騎士たちが興味を示して見物に集まった。大勢の部下たちに見守られる中、副団長は剣を構えたまま柱のように屹立している。ラルカンには及ばずとも、彼も相当な実力者だ。スレインは柄を握る手に力をこめる。


「始め!」


 ラルカンの合図からほんの一瞬を経て、激しい金属音が鳴り響く。スレインの電光石火の一太刀をルアンが刹那に見切って弾き返したのだった。


 息をつく暇も与えず、スレインは二撃目、三撃目を打ち込む。ルアンはほとんどその場から動かず、己の剣と体幹のみでその猛攻を捌いていた。見学の騎士たちはもうすでに目で追うことすら難しくなっている。


 あまりにも堅固な守りにスレインの剣の勢いがやや弱まったそのわずかな隙に、ルアンの反撃の一突きが放たれる。光の矢のような刃を、スレインは素早く身を翻して紙一重で回避した。続けて襲い来る剣の一振りも、その細身を後ろに反らして一回転、掠りもさせずにやりすごす。


 スレインの剣は強固な守りに弾かれ、ルアンの剣は風を相手にするかのように空振り続ける。高度な剣戟の応酬に、騎士たちは息をするのも忘れて見入っていた。


 その剣技に圧倒されているのは、スレインも例外ではない。ルアンは強い。兄に実力を認められるほどの男なのだから。

 では、そんな彼らが<ゼータ>の敵に回ったとしたら――?


 恐ろしい想像が、スレインの反応を一寸遅らせる。眼前に迫っていた白刃に、反射的に自分の剣を差し出す。防御とも呼べない防御は、強烈な力によって甲高い音とともに崩れ去り、頼みの武器も手を離れて高く宙に舞い上がった。


 空中を回転する銀色の軌跡に目を奪われていたスレインは、その先にあるものを見てはっとした。ルアンのとどめの一撃があと少しで到達しようとしているのに目もくれず、敵に背を向けて駆け出した。


 先ほどの新兵の少年が、ちょうど剣の落下点にいたのである。まだダメージが残っていたのかうつむいていた彼は刃物が降ってくるのにも気づいていなかった様子で、スレインが飛び出してきたときに初めて自分の危機を理解したらしかった。


 スレインは少年に覆いかぶさり、2人は地面に転がる。そのすぐ横に、銀の直刀が突き刺さった。


 全員の視線が2人に注がれる中、拍手の音がひとつ、高らかに響く。ラルカンが満足そうな表情で手を叩いていた。


「この勝負はルアンの勝ちだ。見事だった」


「は。もったいないお言葉」


「だがスレイン。お前は騎士として正しいことをした」


 その賞賛も微笑も、彼の心から生まれたものは何ひとつなかった。作り物の言葉と表情で、相手を意のままに操作したいだけだ。それでもスレインは、胸の底から湧きあがる喜びを抑えきれなかった。


 申し訳なさそうに謝罪する少年に「気にするな」と一言添えてから起き上がったスレインに、ルアンが依然厳格な顔つきで立ちふさがる。


「だが、戦いの最中に考え事は良くないな。集中を欠くべきではない」


「それは……おっしゃる通りです」


 あの攻防の最中、一瞬だけ邪念がよぎったのをルアンは見抜いていた。さりとてその隙がなければ彼に勝利できたかといえば、スレインは容易に肯定することはできないだろう。まして、彼よりも遥かに強い自分の兄になど。


 近衛騎士団と<ゼータ>が敵対したら、自分はどちらにつくべきなのか? そんな恐怖がよみがえって、いや、そうならないために動いているのだ、とスレインはその想像を振り切った。

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