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#37 不死身の騎士③ 天秤

 どこをどう通ってきたのかわからない。気がつくと、帝都の見慣れた煉瓦造りの道が壁のように私の目の前に立ちふさがっている。息が上がっているから、おそらく走ってきたんだ。あの恐ろしい館から。


 恐怖で動けなくなっていた私に、ラルカン・リードは追い打ちをかけるかのごとく脅迫を重ねた。早く出て行かなければ、さらに妹を痛めつけてやると。スレインさんも自分は大丈夫だからと私に帰るよう促して、最後まで兄を庇っていた。


 あの血だらけの痛々しい顔がいつまでも脳裏に貼りついていて、思い出すたびに胸を刺されるような嫌な気分になる。


 私は腰をかがめたまま、泡のように次々と浮かび上がる記憶と思考に沈んだ。兄の話を誇らしげに披露していたときのスレインさんの姿に、偽りはなかった。心から兄を尊敬し、敬愛していたのは間違いない。


 じゃあ、どうして? ラルカンさんはレメクと出会って変わってしまったのだろうか。……いや、それも違う気がする。根拠はないけれど。

 たぶん、あの兄妹は今までずっとああだったのだ。暴力的な主従関係。表には出ないよう、2人で巧妙に隠し通していたのだ。そう、2人で。


 スレインさんは、兄に絶対の忠誠を誓っている。それこそ自分の身が破滅しようとも、兄を守ろうとするだろう。あの病的なまでの自己犠牲精神も、その前提を考えれば頷けることだ。


 今すぐ家を出て、兄と離れたほうがいい――なんてことは、スレインさんには軽々しく言えない。でもこのまま放っておけば、スレインさんはその身が朽ち果てるまで使い潰されてしまうかもしれない。そのとき、あの近衛騎士団長は微塵も罪悪感を覚えないだろう。


 どうすればいい? どうすれば……? 私の足はふらつきながらも自然と動いていた。頼るべき、仲間たちのいるほうへ。



  ◆



 スレインは今しがた飲み干したポーションの空き瓶を棚の上に置いた。この家に帰ってから棚には同じような空き瓶が急速に増員し、ずらりと隊列を成している。


 薬を拵えたのはいずれもあの若き錬金術師で、皮肉にもその効力の高さを何度も思い知ることになった。「スレインさんは使用頻度が高いから」とヤーラは他のメンバーよりも瓶を多めに渡してくれていたのだが、それでも在庫はもうわずかになっていた。


 ほとんど薄らいだもののまだ全身に残る痛みを抱えながら部屋を出ると、待ち構えていたように兄が顔を出した。彼は何事もなかったかのような爽やかな笑顔で、妹をお茶に誘った。


 リビングのソファに腰掛けて、ラルカンはティーカップを片手で小さく揺らす。


「すまなかったな。ああでもしないと、あの少女は諦めないだろうと思ったんだ」


「わかっています」


 言い訳にもならないような適当な理屈だったが、スレインは反論も抗議も一切せず受け入れたし、ラルカンも妹ならそうするだろうとわかったうえで言っている節があった。


「これで大人しくしていてくれれば、<ゼータ>に手を出さずに協会をぶち壊せる」


 この騎士団長は己の力を増やすためならば悪魔とも手を組む男だ。その悪魔というのが、今回はレメクだった。どうやらレメクは<勇者協会>を滅ぼそうとしていて、ラルカンもその話に乗ったらしい。壊滅した組織を自分が引き取って立て直し、手中に収めようという魂胆で。


 その際に邪魔をするものがあれば、妹の所属パーティであろうと排除する。したがってスレインはなんとしてでも<ゼータ>を兄から遠ざけねばならない。そのためなら、自分がどうなろうと構わないという覚悟があった。


 要するにラルカンは、エステルたちを人質にとることでスレインを思い通りに操ろうという腹なのだった。スレインはすべてを理解したうえで、兄の手駒になることを選んだのだ。不本意ながら、というのではなく、自ら望んで。


「兄上。協会の標的はもう決まったのですか?」


「そうはやるな。これからじっくり見繕っていくさ。しばらくお前の出番はないから、うちでゆっくり寛いでいてくれ」


 兄はレメクの正体を知っていて、うまくいけばその手がかりが掴めるのではないか――などというスレインの目論見は、ラルカンのとぼけたような態度でひらりとかわされてしまう。


「そうだな。ひとつ言うなら――<ゼータ>の連中がお前を諦めていないようなら、全力でつっぱねろ」


「……はい」


 紅茶を飲み干したラルカンは、満足した様子でリビングから立ち去った。取り残されたスレインは、自分がティーカップに一口もつけていなかったことに今さら気がついた。赤褐色の水面に、傷だらけの顔が映る。


 エステルが、こんな自分を放っておくわけがない。彼女が動けば、他の仲間たちも追従するだろう。

 そしてあの心優しい少女は、自分の馬鹿げた兄への忠誠すら受容してしまうのだろう。



  ◇



 私はスレインさんの家であったことを、包み隠さず仲間たちに伝えた。牢屋にいるゼクさんとロゼールさんには対面で、診療所のマリオさんとヤーラ君には<伝水晶>を通して話した。


 途中からゼクさんの眉間の青い筋がぴくぴくと痙攣し始め、ペンダントの向こうでヤーラ君の息を呑む音が漏れ聞こえた。マリオさんは始終物静かで、ロゼールさんだけは最初からこうなることがわかっていたかのように落ち着き払っていた。


「……ッだよそれ」


 話が終わった途端、鉄格子の向こうからゼクさんの猛獣のような眼光が閃く。


「ふざけやがって、あのクソ兄貴!! 俺がぶっ殺してやる!!」


「馬鹿ねぇ。魔族の男が近衛騎士団長に手なんか出したら、あんたが大悪党よ」


 ロゼールさんの正論に、ゼクさんは地下全体に反響するほどの舌打ちをした。


「ともかくあのキザ野郎、兄貴に脅されて出てこれなくなってんだろ? ムリヤリにでも連れ出せねぇのかよ」


「今度は私たち誘拐犯ね」


「じゃあどうすんだよ!!」


 ゼクさんが怒りに任せて鉄格子を殴りつけると、食器棚をひっくり返したような音が響き渡り、鉄の棒がわずかにひしゃげる。


『スレインさんがお兄さんを説得して、戻ってくることはできないんでしょうか』


 手の中のペンダントからヤーラ君の自信のなさげな声が漏れてくる。次に、マリオさんの沈着な声音が続いた。


『ラルカンはスレインやぼくらが少しでも怪しい動きをしたら、悪者に仕立てて帝都にいられなくするだろうね。投獄されているぼくらの言い分より、近衛騎士団長のほうが発言力は圧倒的に強い』


「そもそも、あの子は絶対にそんなことしないわよ」


 ロゼールさんが確信めいた調子で断言する。ゼクさんが不思議そうに片目をすがめるが、私も同意見だった。スレインさんは絶対に、兄には逆らわない。


 じゃあ、どうすればいい? このまま放っておくなんて絶対にできない。でも、画期的な打開策を考えつくような脳味噌も持ち合わせていない。

 私がやれることは――


「……スレインさんと、もう一度話したいです」


 それはまぎれもない、私の本心が結晶して落ちてきた言葉だった。スレインさんを説得しようとか、何かを聞き出そうとか、そんな魂胆は何もない。ただ、会って話したい。それだけ。


 ほんのわずかな静寂が風のように流れて、それはペンダントの光にかき消された。


『スレインを秘密裏に連れ出すだけなら、策はある』


「本当ですか?」


『ぼくとヤーラ君がいればできる。この方法なら、ヤーラ君が力を使いすぎる心配もない。だけど……』


 マリオさんの淡々とした言い方の裏には、かすかなためらいが潜んでいる気がした。指名されたヤーラ君は病み上がりにもかかわらず、意欲を燃やしている。


『僕にできることなら、なんでもやりますよ』


『うん。だけど……さっきぼくは、ラルカンなら簡単にぼくらを帝都にいられないようにすることができるって言ったよね?』


 マリオさんの言わんとすることを悟ったのか、ヤーラ君の勢いはそこで止まってしまった。


『下手すると、しばらくここから離れないといけなくなる』


『……』


 それが何を意味するのか、ヤーラ君には痛いほどわかっているのだろう。彼の中で、私たちの命運と彼が一生守っていかなければならない少女とが天秤にかけられているのが目に浮かんだ。

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