#37 不死身の騎士① 空の牢
およそ優美さとは無縁の薄暗い牢獄の中、女王陛下のような気品を漂わせながらひらりと組んだその艶やかな脚の先端、鋭利なヒールのすぐ先に伏す後頭部と三つ折りに畳まれた身体――要するに、足を組んだロゼールさんの前で綺麗な土下座を披露するトマスさんの姿があった。
「本っっっ当にすまなかった……」
彼は先のクエストで魔族の手先となったオリーヴ・ド・プレヴェールを帝都におびき寄せる作戦の際、敵の術中にはまって失態を演じてしまい、今日はその謝罪に来てくれたのだ。一国の皇太子が、こんな牢屋に。
「本当ですわ! あなたがしっかりしていれば、お姉様にご面倒をおかけせずに済んだものを……」
「おーじさま、何してるのー?」
付き添いに来たノエリアさんは腕を組みながらトマスさんに追い打ちをかけ、ミアちゃんは彼の真似をしてかその横で香箱を作っている。他のメンバーは今日は同席していないようだ。
皇位継承者の異例の土下座を受けている当のロゼールさんは、謎の気品とついでにほのかな湯気を纏わせながら、まだ乾いていないしっとりした長髪をかきあげる。
「気にすることはないわ。相手の出方を見誤った私の落ち度でも……ふふっ、くくくっ。ダメ、我慢できない」
堂々たる風格を見せていたロゼールさんはとうとう堪えきれずに笑い出してしまった。事情が呑み込めていないミアちゃんもつられて笑っていた。
「まあ、お姉様の寛大なこと! 聞くところによれば、あの魔族の手先を計略に陥れ、見事勝利を収めたとか。こんなご立派な働きをなされたお姉様がこんな小汚い牢に入れられるなんて、不条理の極みですわ! この憎き鉄格子を今すぐ焼き切ってしまおうかしら」
「ノエリアさん、番兵さんも見てますから……」
「ええ、承知の上ですわ。あなたたちも疑問に思わなくて? 魔族を退け人々を救う勇者が、このような不当な扱いを受けていることに!」
ノエリアさんの熱気を浴びせられた番兵たちは、気まずそうに黙って目をそらしている。彼らも思うところはあるのかもしれないが、そう簡単に任務を放棄できないのだろう。
「そーいえば、騎士さんいないねー?」
ミアちゃんが首を伸ばして空の牢を覗き込んでいる。スレインさんがいたはずの場所。
「ええと、確か次のクエストが決まって先に準備をしてるみたいなんだけど――」
「違ぇな。あの野郎は兄貴の伝手で出ていきやがったんだ」
私の言葉を、ゼクさんが不機嫌そうに訂正した。
「どういうことですか?」
「そのまんまだよ。あいつの兄貴がクエスト持ってきて、それからトントン拍子でこことおさらばだ。兄貴が何か仕組んだに違いねぇ」
確かにラルカンさんは近衛騎士団長という立場だし、スレインさんを牢獄から助け出す策を講じたとしても不思議はない。でも、どうして今になって?
「おとーさんが、最近のコノエ騎士団はクサイってゆってたよ。みんなおフロ入ってないのかな?」
ミアちゃんの不穏な発言を受けて、トマスさんが目つきを鋭くして立ち上がる。
「ロキなら何か掴んでるかもな。……どこにいるかは知らんが」
私も少し調べてみたほうがいいかもしれない。ロキさんの居場所はわからないが、彼に通じる人なら知っている。
◇
「あー……エティ? 悪いけど今、ちょいビジーってゆーか、立て込んでるってゆーか」
ロキさんと繋がりがあって本人も事情通といえばアンナちゃん、と思って診療所を訪れてはみたものの、出迎えてくれた彼女はいつもの明朗さが3割ほど減退しており、顔には少し疲労が残っている。
「何かあったんですか?」
「タンテキにゆーとぉ……リョーにゃんが具合悪くなっちゃって、ヤーきゅんがハリキって治して、ハリキリすぎてダウンしちゃったカンジ」
「え?」
心配になった私はアンナちゃんに連れられてヤーラ君のところへ急いだ。ベッドのある個室で、彼は椅子に座ったまま赤い布を真っ青な顔に押し当てていた。その布の色は染料ではなく、血だった。
「ヤーラ君、大丈夫?」
「エステルさん……」
徹夜明けのようなやつれた目がこちらを向く。その丸まった背を支えているのはマリオさんで、向かいでは静かな怒りを眉の間に滲ませているカミル先生が、吸い殻の溢れた灰皿に煙草の灰を落としていた。
「何度も言ってるわよね。あんまり無茶な術使ってたら、そのうち本当に死ぬわよ」
「……すみません」
「わかってる? あんたがいなかったら、あの子を助けられる人間なんて誰もいないのよ」
「……」
カミル先生の言葉の重みに耐えるように、ヤーラ君は苦い顔で押し黙っている。部屋の奥のベッドでは、何も知らないであろうマトリョーナちゃんが安らかな寝息を立てていた。
彼女は身体の半分がホムンクルス化していて、その部分がひとたび誤作動を起こせば命に関わるという非常に不安定な体質だ。それを制御できるのは、今のところヤーラ君ただ一人。2人はもはや運命を共にしているといっても過言ではない――カミル先生は、そのことを念押ししているのだろう。
ヤーラ君もそんなことはわかっているはずだ。わかっていて、それでも無理をしてしまう癖がなかなか抜けない。きっと、マトリョーナちゃんを助けたいという気持ちが強いせいなのだろう。その自省すら、彼は一人で抱え込んで自分の中に押し込もうとしてしまっている。
「ヤーラ君……」
少しでも荷が軽くなるように、私はそっと柔らかな茶髪を撫でた。すると、アンナちゃんがあらぬ角度から指摘を入れた。
「エティがそんなことしたら、ヤーきゅんの鼻血ひどくなっちゃうよ?」
「えっ? ……あ」
慰めてあげるつもりだったんだけど、そういえば私はヤーラ君に告白されてそれを突っぱねるという非常に心苦しいことをしたばかりだった。いや、そういえばで思い出すことじゃないんだけど、ヤーラ君があまり尾を引いていないふうだったので、そこまで意識していなかったというか……。
当のヤーラ君は見るからに顔を赤くしていて、恥ずかしさが私にも跳ね返ってくる。なんとも気まずい空気にすぐ音を上げた私は、無理やり話題を切り替えた。
「そ、そういえば……マリオさんは起きてても平気なんですか?」
「うん、もうほとんど完治してるんだ。でもしばらくは入院してることにする」
「え、どうして?」
「いざというときに、外で自由に動ける人間が一人はいたほうがいい」
はっとした。マリオさんの冷たい平常心は、私をさっと平熱に戻してくれる。確かにあの牢屋の中にいたのでは、緊急時にすぐに動けない。
「だから、ヤーラ君もなるべくこっちにいてくれるといいんだけど……しばらくは休んだほうがいいね」
「……そうします」
「まーまー。リョーにゃんは無事で、ヤーきゅんはきっちり反省してて、マーくんは元気になったわけだし? ……てか、エティは何の用事で来たんだっけ?」
からっと明るい光を差し込ませたアンナちゃんが、くるりと私を振り返る。そういえばそうだ、本来の目的を忘れていた。
「スレインさんの件で、ロキさんを探してたんですよ」
「ああ、ラルカン・リードが勝手に妹を連れ出した話かい?」
「そうなんです、それで――わあっ!?」
すぐ耳元で聞こえたその声に、私は飛び上がってしまった。
「神出鬼没のロキさん久々に登場~。そろそろボクを訪ねてくる頃だと思ったよ」
「いつの間にここに入ったのよ……」
「だいぶ前からいたよ」
マリオさんがさらりと告げた事実に、カミル先生は渋い顔をますます渋くする。ロキさんは舞台の主役のように部屋の真ん中を陣取って、衝撃的な発言を放った。
「結論から言うと、なんだけど――スレインが、<ゼータ>を抜けるかも」




