#36 露に濡れる薔薇⑪ 再会
雪崩が収まったタイミングで、どこかに隠れていた店長さんがひょっこりと顔を出し、私とロゼールさんを半壊した小屋に避難させてくれた。負傷したロゼールさんに薬を分けてもらい、雨風だけを凌げるよう壁を補修して、そこで一晩過ごさせてもらった。
翌朝になってもオリーヴが姿を現すことはなかった。彼女は雪の下に埋もれてしまって、もう二度と出てこないのだろう。日光を照りかえす真っ白な雪の絨毯を、ロゼールさんは何の感情も含んでいないような、しかし虚ろというわけでもない不思議な目つきで眺めていた。
すべてを終えた私たちは、山を下りて再びプレヴェール家の屋敷を訪れることにした。その後の報告と、店長さんの目的のため、なのだけど……。
「なんで店長までついてくるんです?」
「認可を貰うまでが僕の依頼なので、済んだら報酬をお渡ししようと」
ロゼールさんの不審そうな目つきが、店長さんの背に担がれている大きな袋に注がれる。
「そんな荷物で? その場で営業始めたら追い出しますからね」
「はいはい」
かけられた嫌疑を店長さんはのらりくらりと受け流す。内心の読みづらい人だけど、少なくとも悪意らしいものは彼からは感じ取れない。
「君がどうやってあの屋敷の人間に取り入ったのかも、興味がありますね」
「店長には絶対にできない方法ですよ」
「ほう」
オリーヴが逮捕されてからは、領主の地位は唯一残った弟さんが継ぐことになったようだ。ただ、弟さんは歳も若すぎるうえに長年幽閉されていたという。ロゼールさんは信用できる人や仕事のできる人を選んで屋敷に残したと言っていたけれど……。
屋敷の門の前に着くと、前に来たときとまるで雰囲気が違うのに驚かされた。出迎えてくれた使用人も以前とは違う人で、ロゼールさんの顔を見るなりぱっと顔を輝かせた。
「あ、ロゼールさん! 皆さんも、お待ちしておりました」
門をくぐると、通り過ぎる人々みんなが綺麗な蝶を見つけた少年みたいな顔で振り返っていく。
「ロゼールさん、おかえりなさい!」
「また戻ってきてくれるんですか?」
「バタバタしてるけど、ゆっくりしていって」
次々にかけられる声に、ロゼールさんはにこやかに手を振って応えていた。まるで国民に歓迎される女王様のようだ。
使用人の数は随分と減ってしまったようだけど、広い屋内は綺麗に保たれていた。むしろ華美な装飾が減ったぶん、シンプルになった内装が汚れのなさを際立たせていた。窓から見えた中庭の花園も、だいぶ落ち着いた色味になって整然として見えた。
この美しさを維持している使用人たちは、義務感というよりも善意で屋敷の美化に励んでいるようだ。それは彼女たちの楽しそうに仕事に励む表情や、仲が良さそうに協力する姿から見て取れた。
長い廊下を抜けて、私たちは当主の待つ応接間へ通された。
奥のソファに座っていたのは、色白で華奢な少年だった。女の子として育てられたという話も納得できる端正な細面で、綺麗に脚を揃えて膝の辺りに両手を添えた座り方も、どちらかといえば貴族のご令嬢に近かった。歳も、ヤーラ君とそう変わらないくらいに見える。
「お変わりありませんか? ルネ様」
ロゼールさんが優しく微笑みかけると、緊張気味の細い肩がすとんと下りた。
「ロゼール……」
安心したように表情を緩ませていた少年の傍で、目つきの鋭い付き人らしき女性が1つ咳払いをすると、彼は慌てて居住まいを正す。
「よ……ようこそ、おいでくださいました……」
ぎこちなさ全開の挨拶に、ロゼールさんは口元を覆いつつ苦笑する。それからその手をひらりと私の手前に持ってきた。
「ルネ様。こちらは私が所属する勇者パーティのリーダーです」
「あ、は、えと、エステル・マスターズと申しますっ」
急にロゼールさんに振られた私は完全に挙動不審な挨拶をしてしまい、ルネさんもきょとんとしたまま硬直してしまった。
「それで、こっちの男は勝手についてきた不審者です。出禁にしてください」
「おやぁ? 約束が違いませんかねぇ」
ルネさんは言うべき言葉を見つけられないみたいに、ただ水晶のような瞳を店長さんのほうに合わせている。店長さんは持ち前の営業スマイルを惜しみなく披露した。
「僕はただの行商人です。あなたがまだ上手く会話ができないのも承知していますから、どうぞ楽になさってください」
はたと気づいた。口下手な子なのかなと思っていたけれど、彼は何年も幽閉されていたのだ。人と話す機会なんてそうそうなかっただろう。人の話を聞いて、言うべき言葉を考え、適切なタイミングで返す――というようなことに、まだ慣れていないんだ。
付き人の女性は、そんな彼のサポート役なのだろうか。険しい顔つきも、小さな主人を守ろうとしているがゆえなのかもしれない。
「今日はひとつご報告と、お願いがあって参りました」
わりと自由に振る舞っていたロゼールさんは一転、真剣な顔で本題に入る。
「オリーヴ様のことです」
その名前が出たとたん、ルネさんの顔がぎゅっと強張った。ロゼールさんは一呼吸おいて、ゆっくりと説明する。
脱獄したオリーヴが山奥の隠れ家まで追ってきたこと。そこで諍いが起こり、彼女が雪崩に巻き込まれてしまったこと。それから二度と姿を見せなかったこと。戦いの顛末はぼかしていたが、おおむね何があったのかは伝わっただろう。
自分を苦しめた相手とはいえ、実の姉の死を知らされるのは、複雑な思いがあるにちがいない。彼の長い睫毛に覆われた瞳が、不透明に濁っている。
「それでまあ、この胡散臭い商人にも協力してもらったんですけど……交換条件として、領内での営業認可を寄越せって言うんです。断ってもいいですからね」
「断られたら困るんですが」
暗い空気を吹き飛ばすように、ロゼールさんは店長さんの要求を若干の悪意込みでつらつらと語る。人との会話も覚束ない少年は、急な決断を迫られて困惑している様子だ。そこで、付き人の女性の眼が光る。
「ロゼール。あなたが連れてきたということは、信用のおける人間ということではないのかしら?」
「……完全に信用できるわけではないけれど。少なくともルールは守るし、下手な悪事を働く男ではないわ」
「なるほど。若様、認可を与えてもよろしいかと存じます」
それを聞いて、ルネさんは困ったような下がり眉はそのままにぎこちなく頷く。
「ありがとうございます」
こんな形でも当初の目的は果たされて、店長さんは深々と頭を下げた。それからにわかに立ち上がると、ここに来るまで背負っていた大きな荷物に手をかけた。
「これでようやく、あなたに報酬を支払える」
彼が取り出したのは、布のかけられた大きな板のようなものだった。壁のほうに並んでいた木製の椅子を1つ持ってきて、その板を背もたれに立てかける。板はキャンバスで、椅子がイーゼルだ。
布を取り払うと、一人の美しい女性が現れた。20代半ばといったところだろうか、どこかの貴族の肖像画のようだ。
ロゼールさんは、ほとんど無意識みたいにソファから立ち上がって、その肖像画に釘づけになっていた。誘われるように、一歩一歩ゆっくりと引き寄せられていく。絵の前で立ち止まると、その中の世界に取り込まれてしまったみたいに、無言でその女性を眺めていた。
綺麗に揃えた脚に両手を添えて椅子に腰かけたその姿勢だけで、十二分に匂い立ってくるような気品の高さ。端正に整った顔立ちに添えられた奥ゆかしい笑みは、どこか照れ隠しのようないじらしさを秘めているようでもある。見た目だけではない、内面から滲み出てくるような美しさ。
この女性は――
「まだ婚約が決まってすぐだったそうです。相手の若い貴族が、彼女と結ばれたことに舞い上がってこの絵を描かせたらしいのですが……彼があまりにその絵を気に入っていたもので、彼女は勝手に絵を売ってしまったそうです。自分が死んだら買い戻せばいい、と。結局買い戻されることはなく、長年倉庫の奥に眠っていたのだとか」
店長さんが淡々と説明するのが耳に届いているのかいないのか、ロゼールさんは微動だにしない。やがてその碧眼が潤みを帯びて、破顔した途端に光の粒がこぼれ落ちた。
「奥様……」
感極まったような声でそう呼び、震える指先でキャンバスの中の彼女に愛おしそうにそっと触れる。この場にいる誰もが、その再会の光景に目を奪われていた。




