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#36 露に濡れる薔薇⑨ 華嵐

 男性優位の価値観が色濃く残っているこの土地で、先代当主の夫妻に男の子が生まれたのは不運だった。夫妻はすでに長女であるオリーヴに家督を継がせる用意をしていたからだ。男子が生まれたと知れれば、その子を次期当主にすべきだという意見が領民の間で持ち上がるだろう。


 家督争いの火種になりかねないと悟った当主一家は、生まれた子供を女の子だと偽装した。なるべく人前に出さないようにし、一部の口の堅い人間以外には触れさせないようにしていた。


 そして、いずれ時期を見計らって、事故に見せかけて始末するつもりだった。たまたま屋敷の庭園に生えていた毒草を摘んで食事に入れてしまったという筋書きで。


 その計画を、オリーヴは両親に対して実行したのだった。


 ルネを消すよりも両親を始末したほうが、家督の相続が早くなる。世間に馴染めないルネは軟禁しておけばよい。おまけに親を失った不幸な女として、周囲の同情も誘える……そんな計算が働いた末の決断だった。


 毒殺が決行されたとき、ルネはわけもわからず苦しんで死にゆく両親を呆然と眺めていた。事前にオリーヴが根回しを済ませていたことで病死として片づけられ、疑念を差し挟む余地もなかった。


 が、ロゼールの話でルネは気づいたのだ。彼女が仕えた奥方と両親の死に方がまったく同じであることに。

 ちょうど姉が帝都に出向して屋敷を空けている隙に、ルネは両親の死の真相を告発したのだった。


 ロゼールはルネの性別は初対面で見抜いており、本人にも告げて動揺を誘っていた。しかし、姉を告発するかどうかはすべて彼の意思に委ねた。果たして、この賭けは勝利に終わったことになる。


 しかし、簡単に負けを認めないのがオリーヴという女である。


「ルネ……あなたいったいどういうつもり!? そんな変な恰好して、わけのわからない嘘でこんな騒ぎを起こして!!」


 決死の形相で詰め寄る姉に、ルネは小動物のように怯えながら後ずさりをする。すかさず憲兵が彼を庇う。


「あんたたちも!! あの子のでたらめを頭から信じてるっていうの!?」


「証人は他にもいる」


「は!?」


 次に現れたのは、腰の曲がった老婆――屋敷の料理長だった。


「4年前の春ごろだったと思います。オリーヴお嬢様が厨房にいらっしゃって、料理のお手伝いをなさりたいとおっしゃいました。お嬢様は庭で摘んできたという青い花を膳に添えておりました。旦那様と奥様が亡くなったのは、その直後でございました」


 耄碌していたはずの老婆は、信じられないほどしっかりとした言葉遣いで、主人の悪事を裏付ける事実を淡々と述べた。ボケたように見せていたのは、演技だった。


 その演技も看破していたロゼールは、料理長にオリーヴが留守にしている隙を見計らってルネを助けるよう密かに頼んでいたのだ。少女にしか見えなかったルネの髪を切り、少年らしい服装に仕立てたのもこの抜け目のない老婆だった。


 他にもオリーヴが花を摘んでいる様子を目撃した元使用人の話や、その花の毒性と先代夫妻の症状が一致していたことなどから、憲兵は事実とみなして逮捕に踏み切ったのだ。


「こんな……こんなの、嘘よ……」


 オリーヴは呆然として、崩れ落ちそうになる膝をどうにか支える。ほとんど本能的に、目に涙を浮かべた哀れな顔を民衆たちの前にさらけ出した。


「お願いです、信じて!! わたくしは今日まで民のために尽くしてきたつもりです!! こんな、ありもしない罪を着せられるなんて……!!」


 舞台の上ならば、観客も落涙を禁じ得ないであろう見事な演技。しかし、民衆の中にいた一人の少女が侮蔑の眼差しで応えた。


「いい加減、そういうお芝居はやめにしたらどうですか?」


「……え?」


「外でいい顔してても、お屋敷の中じゃどんなふうに振る舞ってるか、みんな知ってるんですからね。どうせ私のことなんて覚えてないんでしょ? ロゼールさんは私たちのこと覚えててくれたし、忙しい中でも仕事も手伝ってくれたのに!」


 この少女は屋敷の使用人の一人だと、ようやくオリーヴは思い出した。貧しい領民の娘を救う名目で雇い入れ、下働きをさせていた。そんな娘たちが何人も、使用人の服を脱いでオリーヴを取り囲んでいる。

 オリーヴが留守にしている間、彼女達への「洗脳」は解けてしまっていたのだ。


「うちの娘をコキ使いやがって、この鬼畜!」

「前の領主様を返してよ!」

「人殺し!」


 堰を切ったように湧き上がる非難の嵐。もはや抵抗するすべのなくなったオリーヴに、憲兵が手錠をかける。

 彼らに引かれて連行されていくオリーヴの視界の隅を、彼女を抜かりなく破滅させた女の小憎らしい笑みが掠めた。


「ッ……ロゼール!! お前さえいなければ……お前さえいなければ!!」


 地獄の亡者のような絶叫が遠のく中、ロゼールはそちらにはまるで目もくれず、怨嗟の声に青ざめて耳を塞いでいる華奢な少年を見た。なけなしの勇気を絞り切って、今にもくずおれそうになっているその細い身体を、ロゼールはそっと両腕で支えた。


「ありがとうございます、ルネ様。あなたのお陰で、私もこの地の民も救われました。……怖かったでしょう」


 色素の薄い瞳がみるみるうちに潤んでいき、ほとんど自然に流れ出た涙に濡れる顔を、ロゼールは優しく引き寄せた。



  ◇



 分厚い雪の壁に覆われた隠れ家を貫通してくる強風の音をときどき耳に挟みながら、私と店長さんはロゼールさんの屋敷での顛末に聞き入っていた。


「なんか……すごいお話ですね」


「いやあ、さすがはロゼール。上手く立ち回りましたねぇ」


 あっけにとられる私と真逆の感想を述べた店長さんは、のんびりと温かいコーヒーを口に含んだ。


「先代の死に不審な点があるというのはお伝えしましたが、犯人まで突き止めるとは」


「あの女がやることなんて手に取るようにわかりますもの」


「さすがロゼールさん……」


「それで、営業認可のお話はどうなりました?」


 店長さんの口からその言葉が出た途端、ロゼールさんは苦い物を口に入れたときみたいなしかめ顔をした。


「……当主は弟のルネ様が引き継ぐのでしょうけれど。しばらくはお忙しいでしょうから、少しくらい待ってあげてはいかが? 私から申し出ればいつでもお許しいただけると思いますので」


「次期当主にもちゃっかり取り入ったんですねぇ。重畳重畳」


 ロゼールさんは害虫の死骸を前にしたような嫌悪感剥き出しの表情になり、手で払うしぐさまでした。なんとか場を和ませようと、私が割り込んだ。


「ロゼールさんは、その弟さんをお手伝いしなくていいんですか?」


「お傍で支えたいのは山々なんだけど……今はちょっと、ね。いずれ帝都に戻らないといけないし。まあ、有能な人ばかり残しておいたから大丈夫だとは思うわ」


「ちゃんとその弟さんが後で困らないようにしてくれたんですね」


「……ああ、店長はエステルちゃんの爪垢を煎じて飲むべきだわ。ほら、カップに指つっこんじゃいなさい」


「ええ!?」


 私がロゼールさんの突然の無茶ぶりにおろおろするのを、店長さんは他人事のようにニコニコと眺めている。


「……でも、これでトマスさんも婚約破棄しやすくなりましたよね」


「そうだわ。帝都に戻ったらあのやらかし馬鹿皇子の顔も拝んでおかないと」


「トマスさん、本気で落ち込んでましたよ。これ以上追い詰めないほうが……」


「いいえ、その負い目を逆に利用するのよ。何をしてもらおうかしら」


「そういう発想、店長さんと似てませんか」


「いやだ、心外」


 そんな他愛もない会話を交わしていると、外の風がますます強くなっているのに気づいた。今夜は嵐だろうか。店長さんは、よほどのことがない限りこの家が壊れることはないと言っていたけれど。


 人の叫び声のような風の音は、しだいに大きくなっていく。――いや、これは本当に風の音……?


「――……ル……」


 岩が砕けるような轟音とともに家が揺れ、冷たい風が家の中に雪崩れ込んできた。


「なっ……何!?」


 突然のことに混乱する私の耳に、今度はその叫び声が痺れるほどに響いた。


「ロゼールゥゥゥッ!!!」


 あらん限りをこめた憎悪の声を突き通してきた大きな穴の向こうには、この世のものとは思えない恐ろしい形相の、魔族とも判別がつかない女が立っていた。

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