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#36 露に濡れる薔薇⑧ 転落

 派手で鮮烈なプレヴェール伯の帝都来訪はいやでも人々の注目を集め、必然的にトマスさんとオリーヴ・ド・プレヴェールの婚約の話も即座に私の耳に届くほど瞬く間に市井に広がった。帝都はその話題で持ち切りになり、領地へ帰っていくオリーヴ一行に大勢の見送りが集まったほどだ。


 その騒ぎの発端となった当事者であるトマスさんは、現在仲間に囲まれながら頭を抱えて可哀相なくらい沈み込んでいる。


 ロゼールさんの頼みで帝都に戻った私は、トマスさんに会ってオリーヴへ縁談を持ち掛けてこちらにおびき出そうという作戦に協力してもらった。お見合いの最中に魔族と通じているとして捕まえるはずだったのが、どうして婚約成立という結果になってしまったのだろう……。


 トマスさんに話を聞こうと宮殿を訪ねた私は、ひとまず同席していたミアちゃんたちと一緒に人の来ない避難用の部屋で事情を聴くことになった。


「本当に……本当に、すまない……。自分でもなぜあんなことを言ったのか……」


 彼はうわごとのように後悔の念を吐露しているが、それでも怒りが収まらなさそうなのがノエリアさんだ。


「まったくですわ!! あなた、自分が事前におっしゃったことを覚えてらして!? せっかくお姉様が用意してくださったチャンスでしたのに!!」


「……エステル、ロゼールにも謝っといてくれ」


「はぁ……」


 ここまでの落ち込みようを見せられては、私も曖昧にうなずくしかない。そんなトマスさんを、ミアちゃんが純真無垢な目で覗き込む。


「おーじさま、ケッコンするの?」


「したくない」


「じゃあ、なんでケッコンするってゆったの?」


「わからない」


 ミアちゃんは困惑気味に何度も首をかしげている。ただ一人、シグルドさんだけは静かに腕を組んで思案に耽っている様子だった。


「シグルドさん」


 何か考えがあるんじゃないかと思って、私は名前を呼んでみた。シグルドさんは澄んだ翡翠色の瞳を真っすぐこちらに返し、人さし指で自分の額をこつんと叩いた。ちょうど、魔族の力を得た人間に黒い痣が現れる位置。


「――あっ」


 ピンと来た私は、うなだれているトマスさんに叫んだ。


「魔族の力ですよ! オリーヴの魔術で、トマスさんは結婚するよう言わされてしまったんじゃないですか?」


「……! そうか、相手を魅了する魔術か!」


 トマスさんも合点がいったように顔を上げる。ノエリアさんはまだ訝しげだった。


「本当ですの? ただ美人に目が眩んだのではなく?」


「そんなんで敵にプロポーズなんかするか。だいたい、カタリナのほうが美人だぞ」


「ああ、そう……」


「おーじさま、ヘンだったもん。いつもキリッてしてるのに、あの女の人にはへにょへにょしてたよ」


「へにょ……」


 ミアちゃんが自分の目を吊り上げたり下げたりして再現するのを見たトマスさんは、当時の自分を振り返ってか、きまりが悪そうにしている。


「しかし、原因がわかったところで俺の失態に変わりはない。今さら婚約破棄なんて言い出せないし……」


 トマスさんは困り果てた様子で顎をさすっている。だけど、実は私はそこまで悲観してはいなかった。ふと、同じように余裕を見せているノエリアさんと目が合う。


「あら、エステル。わたくしたち、どうやら同じことを考えているみたいね」


「ですね」


 うんうん唸っていたトマスさんが、不思議そうに私たちを見上げる。


「この状況で、ロゼールさんが何も手を打たないはずないんですよ」



  ◆



 馬車に揺られながら、オリーヴは他の使用人たちと始終トマスとの婚約の話に花を咲かせていた。皇子相手に白星をあげたオリーヴは大変に気をよくしていて、トマスと会った印象や見合いでの会話に始まり、彼の家族や将来のことまで想像を膨らませた。


 その隅のほうで、ロゼールは一言も発さずに思考を巡らせていた。トマスがオリーヴの魔術に嵌められたのは明白だが、いくらトマスに詰めの甘いところがあるとはいえ、あの場であんなに口を滑らせることがあるだろうか。


 考えられるのは、魔力の配分によって効果の強さが変わるということだ。


 普段は屋敷の使用人たちを従えるため、全員に術をかけており、一人一人への効力は弱い。しかし、忠誠心の高い使用人を連れて帝都に来れば、ほぼすべての魔力をトマス1人に注ぎ込むことができる。懐疑的な相手ほど必要とする魔力量が多くなるのだろうが、本気を出せばそれすら覆せるほどの効力を発揮できるのではないか。


 オリーヴを帝都に向かわせたのが裏目に出てしまった。彼女にしてみれば縁談は罠だとわかっていたようだが、逆にそれを利用したのだ。


 気がつけば、その狡猾な女がロゼールに勝ち誇った笑みを見せつけている。


「ありがとう、ロゼール。あなたのお陰で素晴らしい未来が開けそうよ」


 オリーヴは皮肉たっぷりに感謝を述べ、ロゼールはいつも通りにこやかな表情を返す。


「オリーヴ様のお役に立てて光栄ですわ」


 瞬間、オリーヴの先端の細い靴がロゼールの足をしたたかに打ちつけた。


「っ!」


「自分の立場をわかっているのかしら、この奴隷女。わたくしを陥れたかったのでしょうけれど、身の程知らずにも程があるわ。今後一切あなたに自由は認めません。ルネにも近寄らせないわ。……そうね、奴隷は奴隷らしく、鎖にでも繋いでおこうかしら?」


 オリーヴの下品な高笑いを、ロゼールは何の感情も映さない顔で聞いていた。脛のあたりにじんじんと痛みが響いている。


 もう、私にやれることはない――心の中でそう呟いて、静かに目を閉じる。


 馬車が揺れている。この丘を越えれば、じきに領地に辿り着くだろう。オリーヴは領民たちから祝福の声を浴びるのを、心待ちにしていることだろう。



 領内ではすでにあちらこちらからざわめきが噴出していた。領主が姿を見せると、それは一気に最高潮に達する。馬車を取り囲んでいた民衆たちが、口々に領主の名を出している。


 ――わたくしの婚約の話が、もうこんなに広まっているのね。


 オリーヴは領民たちの耳の早さに感謝したくなった。そして、皇太子を射止めた自分への賞賛を待った。


 だが、そんな声はいつまで経っても飛んでこなかった。そもそも集まっている民衆は婚約を祝うような明るい雰囲気ではなく、むしろ不穏な様相だった。


 オリーヴが訝しんでいると、2人の兵士が彼女に近づいた。彼らは憲兵だった。そのうちの1人が、彼女にとって信じがたいような言葉を告げる。


「オリーヴ・ド・プレヴェール。殺人の容疑で逮捕する」


「……は?」


 思わず頓狂な声が漏れた。何かの冗談かと疑ったが、憲兵は厳格な顔つきで彼らの言うところの罪人を睨んでいる。


「わたくしが殺人? きっと何か勘違いなされているんだわ。そもそも、いったい誰を殺したっていうのよ」


 オリーヴは鼻で笑うように憲兵の主張を否定するが、彼らの表情は変わらない。


「プレヴェール家先代当主夫妻――あなたの両親だ」


 彼女の顔から余裕の色が消失した。平素ならあらぬ疑いをかけられた不憫な女を演じることができるはずだが、今度ばかりは怒りを抑えられなかった。


「わたくしがお父様とお母様を殺したっていうの!? ありえないわ!!」


「次期当主の座を狙っての暗殺だとしたら、ありうる話だ。証人もいる」


「いったいどこの誰? そんな荒唐無稽なお話をでっちあげているのは!」


 憲兵がその人物を示すように一歩退くと、その後ろには一人の少年がいた。髪を耳のあたりで切り揃えた、華奢で線の細い少年だ。


 オリーヴは半ば挑発的な目で彼を睨んでいたが、その顔を見て一気に青ざめた。自分と瓜二つの、その顔を。


 後方で控えていたロゼールもやや驚いた様子だったが、すぐに安堵したような微笑を浮かべてその少年の名を呼んだ。


「ルネ様……」


 オリーヴは険しい目つきで少年を刺すが、再び憲兵が庇うように2人の間を遮る。


「ルネ・ド・プレヴェール。貴殿の姉は前当主たる両親を殺害し、あまつさえ貴殿を弟ではなく妹と偽り、屋敷に軟禁していた。間違いありませんか」


「……はい」


 声を出すことも慣れていない少年は、しかし確固たる意志をもって憲兵の言葉を肯定した。

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