#36 露に濡れる薔薇④ 仮面主従
「それで、ロゼールは屋敷に潜入したというわけですね」
「潜入、っていうんですかね……」
私は町のほうに様子見に下りていた店長さんに、事のあらましを説明したところだった。小洒落た雰囲気のカフェに、泰然としたエルフの風貌は見事に調和していた。
「まあ、うまくやってくれるでしょう。彼女は昔から優秀でしたし、一番人を見る目がありましたからね」
「知ってるんですか?」
「僕が仕込みましたから」
「え」
ロゼールさんに人の本心や本性を見抜く並外れた洞察力があるのは知っていたけれど、それは店長さんが教えたことだったんだ。ということは、店長さんも同じように人を観察する力があるってこと……?
ちらりとその表情の読みにくい顔をうかがうと、彼は見透かしたように微笑む。
「ちなみに、魔術を教えたのも僕ですよ」
「そうなんですか!?」
じゃあ、店長さんも物凄い魔術の使い手……? なんて驚いている私の反応を、店長さんはからかい混じりに楽しんでいるようにも見える。
ややきまりが悪くなった私は、店内のほうに目を逃がした。小綺麗な内装に、服も所作もきっちりとした店員さん。ちらほらといる常連っぽいお客さんもそれぞれ優雅にティータイムを楽しんでいる。平和な午後の光景。
「……この町の人々は、領主のことをどう思ってるんでしょう」
私が小声でぽつりと疑問をこぼすと、店長さんがあっさりと答えた。
「評判いいみたいですよ。最初は女の領主なんてものに忌避感を覚える人も多かったみたいですが……。あのお嬢さんは外面を飾るのに長けていますし、貧しい領民の娘を雇って食い扶持を与えたりして、今では広く民衆の支持を得ています」
へぇ……別に、圧政で民を苦しめているという類いの人間ではないらしい。
「ロゼールさんから、前に変な噂が立ってたって聞きましたけど」
「"死体卿"のお話ですか。確かにあれは世間に衝撃を与えた事件でしたが……なにせ先代の頃のことですからね。ご老人か、僕みたいな長命種以外はもう忘れ去ってしまっているでしょう」
「店長さんは、当時のことをご存じなんですか?」
「僕も又聞きですよ。屋敷から氷漬けの遺体が見つかって、先代当主はそれを憲兵に引き渡すことにしたんです。まあ当然の処置ですが、あれを守っていたロゼールは最後まで抵抗して――真夏の屋敷が、吹雪に埋もれたといいます」
「……!」
ロゼールさんの魔術の凄さを知っている私には、容易にイメージが浮かんだ。それだけ奥方のことを想っていたのだろう。その想いが大きければ大きいほど、その喪失感も並ではなかったのだろう。
「そうして憲兵に捕まったロゼールは、釈放された後、<勇者協会>に入ったというわけですね」
「それが、私の知っているロゼールさんなんですね」
「おそらくね。まあ、僕の知っている彼女は、もっと無口で不愛想でしたけど」
「えっ」
「あのお屋敷で随分変わったみたいですねぇ。……お屋敷だけではないかもしれませんが」
店長さんはすっかり冷めてしまったコーヒーを口に含む。無口で不愛想なロゼールさんなんて、私には想像もつかない。
「しかし、"死体卿"の話をいまだに気にしているのは、ほかならぬオリーヴでしょう。彼女は体裁を傷つけられるのを何よりも嫌いますから」
「じゃあ、そのきっかけを作ってしまったロゼールさんは――」
「恨まれているでしょうね」
店長さんはさほど興味もない様子だが、ロゼールさんが危ない状況にいることは確かだ。私も早く動かなければならない。
「……実は、ロゼールさんに頼まれたことがあるんです」
◆
屋敷の内部は中庭の花園と同じように、豪華絢爛な装飾があちらこちらに施されている。ここに長居したら目が疲れてしまいそうね、と女中の制服に身を包んだロゼールはぼんやり考えた。
それよりも鬱陶しいのは今まさに自分を取り囲んでいる他の使用人たちと、その主。茶会の歓迎ムードは夢か幻だったのかと思われるほど、陰気で忌々しげな眼差しを浴びせかけられていた。
「どういう魂胆なのかしら、ロゼール?」
中心にいるオリーヴは、狐のような目つきで高圧的に問い詰める。
「まさかあなた、わたくしが魔族と繋がりがあるだのとでっち上げて、我が一族を貶める腹積もりなのではなくて?」
「めっそうもございません、お嬢様。私はただ、お世話になったご恩をお返ししたいだけです」
「……もう『お嬢様』じゃないって言ってるでしょう」
「失礼いたしました、オリーヴ様」
ロゼールがうやうやしく頭を下げると、オリーヴは嫌味たっぷりにフンと鼻を鳴らす。
「あなたが『プレヴェール』の姓を名乗っているのも、わたくしには許容しがたいのだけれど」
「この名前は、私がこの屋敷に来たときにいただいたものですので……」
「そうねぇ。あなたは名前も持たない奴隷でしたものねぇ? 50年も売れ残ったらしいじゃない」
オリーヴの顔が嘲りをたっぷり含んだ形に歪んでいく。買い手がつかなかったのは当時蔑視されていたハーフエルフだったからなのだが、そのことは見事に無視されている。ロゼールは取り繕った無表情の下で、他者の目がなければここまで醜くなれるのね、と悪態をついた。
そんな主人を前にしても、他の使用人は眉ひとつ動かさず迎合する構えだ。逆らいたくても逆らえない、というのではなく、初めから主人に逆らうことなど知らないかのようだ。ただ命令に忠実に従う人形に近い。
使用人たちは、何らかの力で服従させられている。その力が何なのか、考えるまでもない。
「いいわ、あなたをまた雇ってあげる。ただし、少しでも怪しい動きをしたら――二度と、ここから出られると思わないことね」
釘を刺すようなオリーヴの狐目を、ロゼールは品のいい笑顔で受け止めた。
使用人としてのロゼールの働きぶりは、誰も文句のつけようがないほど完璧だった。
掃除となれば風魔術でひとかけらも残さず塵をかき集め、水魔術で屋敷中の窓を鏡と見紛うほどピカピカに磨き上げる。洗濯となればこれも水魔術で衣類の汚れを一掃し、炎魔術を巧みに使って皺の1つもない新品同然に仕上げる。
日々の仕事に一切手を抜かず、すべてにおいて非の打ちどころのない仕事ぶりを披露したロゼールに、使用人たちの中には彼女を尊敬し始める者も現れた。
しかし、面白くないのはオリーヴだった。彼女は屋敷の中で魔術を使うのは危険だから、などと理由をつけて魔術の使用を禁じたうえ、ロゼールの仕事量を倍近くに増やしたのだ。
この迅速かつ理不尽な措置はロゼールを困らせた。というのも、彼女にはどうしてもオリーヴの妹に接触しなければならない事情があったからだ。仕事の合間に屋敷の中を探したが、妹の存在など初めからなかったかのようにまるで気配を掴めなかった。
その妹は食事時も顔を見せず、居室すらどこにあるのか不明という有様だった。人前に出るのが苦手だというのではなく、軟禁状態にされているのではという疑念が湧く。だが、屋敷の中をしらみつぶしに探せば怪しまれるうえ、そもそも時間の余裕がない。しばらくは我慢が必要だった。
そんな折、屋敷に一通の手紙が届いた。
郵便物を管理している使用人が主人の部屋へそれを届けに行くと、まもなく血相を変えたオリーヴが飛び出してきた。何事かといぶかしむ使用人たちを退け、ロゼールの姿を見つけるやいなや、件の手紙を突きつける。
「いったいどういうつもり!?」
事のあらましを察したロゼールは、鬼気迫った顔で詰め寄るオリーヴに穏やかな微笑みを返した。
「お気に召していただけましたか?」
「……」
オリーヴもそれ以上は追及できなかった。手紙の内容が、彼女にとって願ってもいない幸運の知らせだったからだ。そうであるがゆえに、1つの憂慮を背負うことにもなるのだが。
それは、トマス皇太子からの見合いの誘い。
「私、皇太子殿下とは懇意にさせていただいておりますの」
脅迫的な微笑を湛えたこの女に、オリーヴは迂闊に手出しできなくなったのだ。




