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#36 露に濡れる薔薇③ 花園の茶会

 私たちが誘われて行った中庭も、前庭と負けず劣らず、というかむしろ華やかさ倍増しくらいの鮮烈さだった。


 赤とピンクの花々に纏われたアーチの道を潜り抜けると、幾何学模様に走る道に沿って色鮮やかな花壇が等間隔に整列している。色とりどりの花々はすべて目の覚めるような原色で、太陽の光を残さず反射して全身で存在をアピールしているかのようだった。


 視覚を刺すような景色にいっそ眩暈を覚えながらも、淡々と前を歩いているロゼールさんにどうにかついていくと、庭全体が見渡せる場所に白いテーブルと椅子が並んでいた。この花園を演出したであろう屋敷の当主、オリーヴ・ド・プレヴェールが優雅に振り返る。


「どうぞ、お掛けになって」


 まもなく使用人の1人がティーセットを持ってきて、高級そうな香りがぷんと漂う紅茶を淹れてくれた。私なんかがこんなふうにもてなしてもらえるなんて、と少し引け目を感じたが、優美な伯爵令嬢の額に滲む黒い痣が私を現実に引き戻す。ここは、敵地のど真ん中なのだ。


 そんな中でもロゼールさんは、何を考えているかいまいち掴めないすまし顔を貫いている。話が紅茶の説明から昔のことに移ると、取り繕ったような笑顔で顔を覆い、本心は徹底して包み隠そうとしているみたいだった。


「本当に……ついこの間まで小さな子供だったような気がいたしますのに。ご立派になられましたね、お嬢様」


「あなたからすれば、まだまだ若輩よ」


「町も少し歩いただけで、私がいた頃とは見違えるほどになっていましたよ」


「そうでしょう。お父様とお母様が流行病でお亡くなりになって、18歳で家を継いで……ここまで来るのに、本当に苦労したわ」


「……18歳?」


 私は思わず聞き返してしまった。若く見えるとは思っていたけれど、私と同い年くらいのときにもう家を継いでいたなんて。


「ええ、突然のことでしたもの。他に頼れる当てもなかったから、わたくしが継ぐしかなかったのよ」


 艱難辛苦を味わってきた悲劇のヒロインのような、どこか芝居がかった口ぶりだ。ロゼールさんは淡泊な表情で紅茶を一口啜った。


「お嬢様には妹がおられましたでしょう? 私が屋敷を出てからお生まれになったと聞きましたけれど」


「当時はまだ幼かったし、あれは人前に出るタイプではなくてね……可愛いのだけど」


 話を聞く限り、ロゼールさんがこのお屋敷に仕えていたのは先代の頃までで、屋敷を去った後に先代当主のご夫婦が病死し、後を継いだのが娘であるオリーヴだということらしい。


「あなたがあのまま屋敷に残っていたら、もっと助かったかもしれないわね」


「買いかぶりすぎですよ、お嬢様。私はこの地を追われた身ですから」


「ああ、ロゼール。ひょっとして今もわたくしたちのことを恨んでいるのではないかしら。あなたの大切なものを奪ってしまったことを」


「……いえ、めっそうもございません。すべては私の不出来によるものですから」


 少し、雲行きが変わったような気がした。何の話だろう。


「むしろ、お嬢様のほうが私を忌まわしくお思いなのではありませんこと?」


 ロゼールさんの薄く開いた目に、深海の色が浮かぶ。晴れやかな空の下、華やかな花園の中央で、白いテーブルを挟んだ2人の間に雷雲が立ち込めている。

 オリーヴはその質問には答えずにうつむきがちの顔をわずかに陰らせ、ぱっと私に微笑みかける。


「ごめんなさいね、2人で話し込んでしまって」


「い、いえ、お構いなく」


 油断するとうっかり気を許してしまいそうになるその笑顔にどうにか抗って、私は警戒心を呼び起こす。明確な敵意は感じられないものの、かといって完全に好意的なわけでもない、そんな微妙な雰囲気。


 私は改めて、豪華絢爛な花々を見渡した。視覚に強く訴えてくる極彩色と、この庭園を演出した屋敷の当主は、驚くほど釣り合いがとれている。主人の内面をそのまま映したかのような風景。すとん、と私の中に納得感が落ちてくる。


 隣でティーカップを揺らしているロゼールさんが、横目でこちらをうかがった。


「エステルちゃんも知ってるでしょう? "死体卿"のこと」


「え?」


 突然振られた話に戸惑いつつも、私はその言葉が出た瞬間にオリーヴの眉間がぴくりと動いたのを見逃さなかった。


「私が最初に仕えたご夫婦――今よりも5代前だったかしら。病死した奥様のご遺体を、ずっと氷の中で保管していたってお話」


「あ……それは聞きました」


「そう。ご遺体が見つかった後ね、ちょっとした騒ぎになったのよ。当たり前よね、領主のお屋敷から何代も前の奥方のご遺体が出てきたんだもの。いろいろな噂が立って、旦那様についた異名が"死体卿"」


「そんな……。ただ奥さんを愛していただけなのに」


 話を聞きながらオリーヴのほうを覗き見ると、彼女はあからさまに面白くなさそうな顔つきになる。が、それはすぐに余所行きの顔に置き換わった。


「ええ、わたくしもあらぬ噂話で家名に傷がつくのは大変に心苦しいのだけど……。地道な努力で領民たちの信頼を得るしかないのよね」


 同情心を誘おうとしているかのような話しぶり。私はだんだんこの人のことが理解できてきた。外面、体裁、評判。そういったものを何よりも重視する、ある意味貴族らしい貴族。別に、それが悪いこととは思わないけれど……ロゼールさんが嫌うのは頷ける。


 そんな彼女にとって、"死体卿"などという話が広まるのは最も忌むべき事態なのだ。その原因を作ったロゼールさんのことも、良く思っているはずがない。


 表面上はにこやかに振る舞っている2人は、今まさに水面下で敵意をぶつけ合っているのだ。私はなんだか胃が痛くなってきた。


「ところで、そちらのお仕事はどうなの? エステルさんがリーダーをしてらっしゃるのよね。ロゼールがご迷惑をおかけしたりしていないかしら」


「いえ、全然。ロゼールさんにはいつも助けてもらってます」


 私は本心からきっぱりと言い切った。彼女が期待していた返答ではないことをわかっていながら。


「……そう。この間、一番強い勇者様方が魔界に向かったと聞いたのだけれど……今は何をしてらっしゃるの?」


「えーと……」


 私は言い淀んでしまう。今やっているクエストはあなたが標的です、なんて言えるわけもないし、そもそも<ゼータ>の現状を説明するわけには――


「仲間に魔族の関係者がいて、現在は活動停止中です」


 空気が凍った。

 ロゼールさんは私たちの状況を嘘偽りなく、満面の笑みで白状した。オリーヴはさすがに予想できなかったのか、外向きの笑みも忘れて驚いている。


「悪人ではないんですけれどね、その仲間は。魔族と関わりがあるというだけで、周囲の風当たりは強くなってしまうものですよ。どう思われます? お嬢様」


 これはもう、あからさまな挑発だ。オリーヴがレメクと接触して、その力を得ているのは間違いないのだから。


「……そうね。魔族と戦う『勇者』という立場上、魔族と関わりがあるというのは問題視されてしまうのでしょうね」


 ひとまず当たり障りのないことを言って受け流そうという構えだろうか。ロゼールさんは勝ち誇ったように目を細める。オリーヴは面白くなさそうにぴくりと眉を寄せた。


「それで、どうするつもりなの? 活動できないんでしょう?」


「ええ。今日お嬢様をお訪ねしたのは、折り入ってお願いしたいことがあるからです」


 ロゼールさんはかしこまってかつての主に向き直る。お願いなんて私も聞いてないけれど、何を言うつもりなんだろう。


「私をもう一度、この屋敷の使用人にしていただけませんか」

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