#36 露に濡れる薔薇② 伏魔殿
奴隷商。その言葉が持つ不穏なイメージと、目の前のおっとりとしたエルフの姿がどうしても結びつかず、私はロゼールさんとその男性の顔を交互に見た。
「本当よ。私のことなんて番号で呼んでたんだから。ねぇ、店長?」
「ええ。あのときは名前もありませんでしたからね」
店長、と呼ばれた男性はさして動じることもなく、過去を懐かしむように目を閉じている。今の時代を生きる私にとって、奴隷というのは負の歴史の象徴みたいなものだ。
「えと、それじゃあ今は何を……?」
「見ての通りですよ。美術品をおもに取り扱う古物商、ということころですね」
もちろん今では奴隷制は廃止され、帝国内で奴隷の売買などしようものなら厳罰に処されてしまう。この人も時代の変化に合わせて商売を変えたのだろう。
「奴隷商の前は武器商人でしたよねぇ、店長?」
「そうですね」
「え」
ぎょっとする私を尻目に、ロゼールさんは冷ややかな目でさらなるダメ押しを加える。
「戦争が起これば武器を売り、戦争が終われば奴隷を売り、平和になればどうでもいい骨董品を売る。根っからの商人なのよ、この人は」
「その時その時に一番売れるものを売っているだけですよ」
ロゼールさんの悪態ともとれる言葉を、商人の男性はすがすがしいまでに受け入れている。この2人の間の空気感が、いまいち掴めない。
「ところで、お名前はなんていうんですか?」
「名前は別にどうとでも。好きに呼んでください」
エルフらしい浮世離れした雰囲気に、私はますます掴みどころを見失ってしまう。とりあえず、ロゼールさんに倣って「店長さん」と呼ぶことにしよう。
「じゃあ、店長さん。あなたがクエストのお話をしてくれると聞いたんですが」
「そうでしたね。だいたい想像はついていると思いますが……ロゼール。君の勤めていた屋敷の現当主が魔族と関わっているようなので、消していただきたいんですよ」
「ああ、なるほど」
一瞬で了解したロゼールさんがもう出て行こうとしたので、私は慌てて引きとめる。
「ま、待ってください! 私まだどういうことかわかってないですよ!」
「店長が言った通りよ。今の当主は私も知ってるけれど、その人がレメクと接触して魔族の力を貰ったんじゃないかしら。ちょうどいいわ、私あいつ嫌いだったのよね」
ロゼールさんは昔、優しい貴族のご夫婦が住むお屋敷の使用人をしていたというのは聞いている。そのご夫人が病死して、遺体をずっと守っていたということも。
それで、おそらくそのご夫婦の子孫が今の当主となっていて――その人が今回の敵、ということなのだろう。ロゼールさんにとっては昔仕えた家の人でも、特に抵抗はないみたい。
「じゃあ、どうして店長さんがこの話を?」
「僕にとっても消えてほしい人だから、ですね。そこの領内での営業認可が下りなくて困っているんです。誰が領主になっても構わないので、商売の許可を出してくれるよう取り計らっていただきたい」
「店長って相変わらず私利私欲にまみれたクソ野郎ですね」
「もちろん、あなたにも相応の報酬を差し上げますよ」
店長さんは顔に営業スマイルを貼りつけて、眉間に皺を寄せるロゼールさんにそう約束した。この利害得失にしか興味がない感じ、<サラーム商会>の人たちを思い出させる。
「でしたら、店長にもしっかり協力してもらいますよ。あの一家が今どうなってるか、全然知らないんですもの」
「もちろん必要な情報は提供しますとも。近況から噂話までね」
店長さんは領主一家の話を始めたが、事前知識の乏しい私にはあまりよくわからなかった。ただ、ときどき怪しい表現が耳を掠め、ロゼールさんの眉間の皺がだんだん深くなっていくのが目に入り、楽しい内容ではないことだけは明らかになった。
「しっかり頼みますよ。あなたがたの動向は常に把握していますので」
「やだ、ストーカー?」
「だって君、消してないでしょう。焼印」
店長さんは左の二の腕あたりを指さしてみせる。そういえば、ロゼールさんの腕に奴隷の印があるのを前に見たことがあった。それをつけたのって、やっぱり……?
「ああ、誤解しないでくださいね。焼印といっても特殊なもので、痛みもないし後で消せるんですよ。印をつけた人間の動向を追える魔道具がありましてね。<ホルダーズ>というのですが……」
「え? それって――」
<ホルダーズ>は、まだ<ゼータ>が正式なパーティとして認められていなかったとき、みんなを見張るために持たされた魔道具だ。店長さんのものとは少し仕様が違うみたいだけど。
「元は奴隷管理用の魔道具で、うちの奴隷を買ってくださったお客様にスペアをお渡ししていたんです。今となっては無用の長物ですけど」
あれ、奴隷を管理するためのものだったんだ……。ゼクさんたちがそんな扱いを受けていたことに、今さらながら怒りが湧いてきた。
でも、と切り替える。ロゼールさんがいつでも消せるはずの焼印をそのままにしているのは、主人だった貴族のご夫婦を忘れないようにするためなんだろうか。彼女の顔にちらりと目をやると、「そうよ」と言わんばかりに微笑んだ。
「では、出口まで案内しましょう」
店長さんはそう言いつつ、ドアではなく部屋の奥に立てかけられていた鏡に向かって行った。
「この雪山を何往復もするのは辛いでしょう?」
彼が持って来たその姿見には、のどかな田舎町の風景が広がっていた。
◇
店長さんが言うには、あの鏡は2つの地点を結びつけて、一瞬で移動することができるというとても便利な魔道具だという。鏡に入った私たちは、丘の上の古びた空き家の前に立っていた。店長さんがあらかじめこの場所を指定していたのだろう。
眼下には、小道に沿って立ち並ぶ家々やその周りを取り囲む農園が広がっている。ここが、ロゼールさんにとって故郷とも呼べる場所。彼女は柔らかな風に吹かれながら、その町並みを見下ろしている。
「懐かしい、ですか?」
「……私にとっては、ついこの間まで住んでいた場所よ」
そうは言いつつ、何か思うところがありそうな横顔だった。その視線の先を追うと、ひときわ目立った大きな屋敷がある。
「あれが――」
「そう。これから私たちが乗り込む、伏魔殿よ」
件の屋敷をいざ目の前にすると、その巨大さに圧倒されそうになる。門のところで使用人らしき女性が出てきて用件を聞かれたが、ロゼールさんが「当主に会いに来た」と言っただけですんなり通された。まるで、初めから私たちが来るのを知っていたかのように。
門をくぐると、噴水を取り囲む色とりどりの花々に出迎えられた。花の香りがふわっと鼻腔を刺激する。このきらびやかで豪奢な前庭を、ロゼールさんはなんともつまらなそうな顔で通り抜けていった。
玄関の大きな扉が開いた先では、大勢の使用人が壁のように横並びに整列していた。ぴったり同じタイミングで頭を下げると、中央の空いたところから華やかなドレスに身を包んだ女性が姿を現した。
ウェーブがかった長髪を二つに結わえた、想像より随分若い――どちらかといえばお嬢様といった風貌。やや吊り気味の大きな目に、品のいい柔らかな笑みを浮かべている。
「久しぶりね、ロゼール」
美しい鈴の音のような声で名前を呼ばれたロゼールさんは、同じように微笑み返す。
「ええ。お久しぶりです、お嬢様」
「もうお嬢様じゃなくってよ」
2人はクスクスと和やかに笑い合っていて、私だけ置いて行かれたような気分になってしまう。そんな私を、宝石のような瞳が捕らえる。
「初めまして。わたくしはプレヴェール伯爵家の当主、オリーヴ・ド・プレヴェールと申します」
挨拶ひとつをとっても、私のような庶民とは住む世界が違うことを感じさせる高貴なオーラ。なんだか自分だけ浮いているような気がして、一気に緊張が高まってくる。
「あ、その、私は<勇者協会>のエステル・マスターズといいます」
「存じ上げておりますわ。そう緊張なさらないで。そんなに歳も変わらないでしょうし」
鷹揚な微笑で受け止めてもらえて、私も少し肩の力が抜ける。それが、かえって恐ろしいような気がした。
「せっかくのお客様ですもの。天気もいいことですし、中庭でお茶でもいたしませんこと?」
その気品ある美しい顔の、額の部分に――魔族の痕跡を示す黒い痣が、くっきりと浮かんでいる。




