#36 露に濡れる薔薇① エルフの商人
「ねーねー、あの黒髪のお姉ちゃんとはどーゆー関係?」
「……」
『最果ての街』でのクエストを終えてから数日。時間が空いたのを見計らって診療所に入院しているマリオさんに会いに来たところ、彼は小さなおませさんことマトリョーナちゃんに絡まれている真っ最中だった。
この間、ここでヘルミーナさんに頭の怪我を診てもらっていたのを、彼女は目ざとく嗅ぎつけたのだろう。好奇心に煌めく眼差しを存分に浴びせられているマリオさんの表情は、やや困惑に近い虚無といったところだろうか。
「ね、どーなの? つきあってんの?」
「……友達だよ」
「え~!? うっそだぁ~!!」
マトリョーナちゃんがオーバー気味に否定するので、マリオさんは上体を起こした姿勢のまま視線だけをこちらに送っている。ほぼ無表情だが、おそらく救援要請だ。
「えと……マトリョーナちゃん、元気だった?」
「あ、エティ姉! おひさ~!」
マトリョーナちゃんは順調にアンナちゃんナイズが進んでいるらしく、帝都でお買い物にでも行ったのか、服装もおしゃれになっている。笑顔で手を振った彼女は、ふとその好奇心に溢れる目を私の後ろに向ける。
そう、病室の入口のところでずっと肩を震わせているロゼールさんのほうに。
「くっ……ふふっ……あいつ、小さい女の子に、絡まれて……ぶふっ」
腕に顔を埋めて一通り笑ったロゼールさんは、自分を見つめる無垢な瞳に気づいたようだ。
「あら、可愛らしいお嬢さん」
「……都会のセンレンされた美女!!」
幼い少女の瞳にまた新たな光が宿り、輝きを増す。ロゼールさんは余裕たっぷりの微笑みを返して少女の心を射抜き、その興奮ぶりを一通り堪能した後、ツカツカとマリオさんのほうに歩み寄る。
「見ない間に、随分いい顔になったのねぇ」
「……」
「今のあなたなら、友達になってあげてもいいわ」
ロゼールさんはにっこりと目を細めて右手を差し出す。マリオさんはその意を汲みかねていたようだが、素直に求めに応じて握手を返した。
あんなに仲の悪かった2人が……と、私は歴史的和解にちょっと感激していたが、隣で見ていたマトリョーナちゃんはまったく別の解釈をしたようで、蒼ざめた顔を私に向けた。
「三角関係!?」
「ち、違うよ。あの2人は……」
「だって、『顔がいい』って!」
「そういう意味じゃないよ!?」
変な勘違いが生まれてしまったが、ロゼールさんもマリオさんもさして気にしているふうではない。
そこにドアが開く音が飛び込んでくると、マトリョーナちゃんがびくっと肩を跳ねさせて音のほうを振り返る。
「いた」
「出た」
ドアの隙間から顔を出したヤーラ君が脱走したウサギを見つけたように、マトリョーナちゃんをじろりと睨む。
「また診療所の中うろちょろして……マリオさんに迷惑かけてないよね?」
「お話相手になってあげてるだけだし」
どうやら今日はマトリョーナちゃんの検査の日だったようで、それでヤーラ君もここに来ていたのだ。私が軽く手を振ると、彼は物腰柔らかに会釈を返した。
「ねぇ、あの金髪の美人さんもヤーラの仲間ー?」
「あー……うん、まあ……」
ヤーラ君がやや気まずそうにロゼールさんのほうを見ると、彼女は何か含みのありそうな笑みを返す。
「……マトリョーナに、変なこと吹き込んでないですよね?」
「吹き込んでたら、どうする?」
「怒ります」
からかうような微笑を、少年はごく冷たい眼差しで――言葉だけは異様な本気度で、跳ね返す。突如張り詰めた緊張感に、マトリョーナちゃんは当惑していた。
「戻ろう」
「あ、ちょっと」
ヤーラ君はそのままマトリョーナちゃんの手を引いて出て行ってしまう。マイペースなロゼールさんは2人をにこにこと微笑ましげに見送っていた。
「すっかり小さなナイト君ねぇ」
「ロゼールさん……ヤーラ君に何かしたんですか?」
「さんざんやったわよ~。完全に嫌われちゃってるわね、私」
言葉とは裏腹に、彼女は嬉しそうにクスクスと笑い声を漏らしている。
「……私は嫌ですよ、ロゼールさんが嫌われちゃうなんて」
「あら~。エステルちゃん、可愛いこと言うのねぇ」
ロゼールさんは急に私に抱きついて頬ずりをする。くすぐったい。それはいいんだけど、こちらを無心で眺めているマリオさんと目が合うのが気まずい。今度は私が救援要請を送る番で、察してくれたマリオさんが「ところで」と話を振ってくれた。
「君がここにいるってことは、次のクエストに選ばれたんだよね?」
「どうかしら。脱獄してきただけかもよ?」
「嘘はいいよ。内容は?」
「知らない」
「……」
マリオさんは非常にやりにくそうに黙ってしまうが、ロゼールさんの言っていることは本当なのだ。今回のクエストは、詳細がまったくわからない。
「実は、今回は人に会うことだけが指定されてて、詳しい話はその人に聞けってことになってるんです」
「その人は協会の関係者?」
「それもわからないんです。居場所だけが知らされてて」
「ふーん……」
マリオさんは何か怪訝そうに考え事を始める。ロゼールさんは他人事みたいにあくびをして、「お風呂に入りたいわ」と呟いた。
「君はもう、誰と会って誰と戦うことになるのかも見当がついてるんだろう?」
マリオさんの切れ長の目がそう迫ると、ロゼールさんは不敵な笑みで振り向いた。
「さあ、どうかしらね」
◇
協会から会うように指定された人は、どうやら山奥のほうに居を構えているようで、私とロゼールさんは険しい山道を登ることになった。標高が高くなるにつれて道が雪で覆われていったが、ロゼールさんが魔法で道を作ってくれたお陰で、雪国のときみたいに苦戦することもなく進むことができた。
どれくらい登ったのだろう、周りには切り立った崖と大きな雪の塊以外に目立ったものは見えなかった。ロゼールさんはきょろきょろ辺りを見回して、崖際にこんもりと積もっている雪の塊のほうへまっすぐ歩いていく。
そうしてふわりと右手を舞い上げると同時、雪が風に吹き飛ばされて、大きな家屋が現れた。
こんなところに家があったなんて……いったいどんな人が住んでるんだろう。ロゼールさんは何のためらいもなく、ノックすらせずにドアを開けた。
「お、おじゃまします……」
ヒールの音を響かせて無遠慮に中に入っていくロゼールさんの後に続いて、私もこの隠れ家に足を踏み入れた。木造の小綺麗な廊下を通り過ぎると、物で溢れる広い部屋に辿り着いた。
そこは美術館の倉庫みたいに、美術品のようなものが所狭しと並んでいる。その真ん中の古びた椅子に、エルフの男性が座って本を読んでいた。
「やあ、100年ぶりくらいですか」
「ええ、お久しぶりです」
男性は書物を閉じ、丸い眼鏡を上げて穏やかに垂れ下がった目をロゼールさんに注いだ。一見すると優しそうな顔つきで、エルフなので実のところはわからないが、相当長い年月を生きていそうな雰囲気がある。
「なんでしたっけ、今の名前」
「ロゼールです。ロゼール・プレヴェール」
「ほお……なるほど。あのご夫人らしい」
男性は目を細めて何か悟ったように呟くと、今度は私のほうに目を向ける。
「この子が、君の新しい主ですか」
「主じゃなくて、リーダーです」
私が間髪入れずに訂正すると、エルフの男性は声を上げて笑った。
「これは失礼。あなたのことは知っていますよ、エステル・マスターズさん」
口調や表情は温和だが、この人はどこか油断ならないところがあるような気がした。私がそんなことを思っているのも察知しているかのようだ。
「それで、あなたは……?」
男性が答えようとする前に、ロゼールさんが冷たい眼差しで返答を先取りした。
「この人は元・奴隷商。私のことを売った人よ」




