#5 ブラザーフッド⑨ 兄貴分
ホムンクルスが力任せに暴れ、ゼクさんがそれを力だけで相殺する激しい攻防は依然として続いている。
「つまり……あのホムンクルスを倒すということは、ヤーラの前で弟を二度殺すことになるわけだな」
「そうしたら、あれ以上に壊れちゃうかしら。うふふっ」
言葉が過ぎると思ったのか、スレインさんがロゼールさんを視線で諫める。
「ぼくもそれは懸念してる。でも要するに、ヤーラ君の前でやらなければいいんじゃないかな」
マリオさんは倒すべきだという姿勢を変えないようだ。
「どうなるかしらね。弟君の姿が見えなくなったら」
「……わかった。なるべく穏便にヤーラを引き離してみる」
スレインさんは兜を脱いで、建物の並ぶ隙間に回り込んだ。その間、私はゼクさんに今話し合ったことを説明する。
「――そういうわけなので、ゼクさん! なるべくホムンクルスには攻撃せず、スレインさんが来るまで足止めしてください!」
「死ね!!」
悪態はついても、そうするしか選択肢がないのはわかってくれただろう。剣がまた1つ、大槌のように振り回される腕を弾いた。
「あと、できればヤーラ君に話しかけて、私たちのことを思い出させてほしいです」
「めんどくせぇ……! おいチビ!! なんだ、そういえばよ……前に飲み屋で会ったときよりさらに縮んでねぇか!? ちゃんと食ってデカくなっとけっつったじゃねーか!!」
私のことはわかってくれなかったけれど、もっと付き合いの長いゼクさんのことは覚えているのではないか――そう期待したが、ゼクさんの大声はヤーラ君の生気のない顔を素通りするだけだった。
「そうだ、それで俺ステーキ30皿奢ってやったろ!! 結局テメェ肉食わねぇでブロッコリー60個ぐらい食って終わったよなぁ!? だから縮むんだアホが!!」
ゼクさん、何の話ですかそれ……。彼らしい豪快な飲み会の光景が浮かんで、店員さんに同情したくなった。
――だけど驚くべきことに、ヤーラ君のほの暗い瞳にわずかな光が灯った。
「30……ステーキが30皿……何グラム、ですか……?」
「ああ!?」
――そうか、数字だ。
薬を作るときも、マリオさんに料理を教わっているときも、とにかく数字にこだわっていた。
「ゼクさん、そのまま会話を続けてください」
「お、おう……。確か、1皿450グラムのやつだったぜ」
「450……グラムが……30で……13.5キログラム。……食べすぎ、です」
私もそう思う。
でも、いい調子だ。ヤーラ君の感情に連動するように、ホムンクルスも動きを鈍らせている。
間もなく、ヤーラ君の背後からスレインさんが音もなく忍び寄って、その痩せた小柄を両腕で捕まえた。
「!?」
「ヤーラ、私だ。すまないが、こっちに来てくれないか」
「うっ……うわああああああああっ!!!」
ほとんど半狂乱に近い絶叫がこだまする。
「嫌だ!! 嫌だ、やめて!! 連れて行かないで!!」
「お、落ち着け。私は別に――つあっ!?」
スレインさんが反射的に手を離した。その両手首には、ドロドロに溶解した籠手が纏わりついている。熱で溶かしたんだ、あの一瞬に?
「スレインさん、大丈夫ですか!?」
「ああ……。すまない、失敗した」
「諦めろ、もう打つ手はねぇ。あのバケモン葬り去るしかねぇんだよ。俺はやるぞ」
ゼクさんはその眼差しに覚悟を宿して、剣を握る手に力を込める。
一方の私は、まだ迷っていた。ホムンクルスを倒したら、ヤーラ君がもう元に戻れなくなってしまうかもしれない。だけど、このままではこちらが消耗していくばかりだ。
ゼクさんとホムンクルスが睨み合う傍らで、ヤーラ君はうずくまって震えている。
私たちじゃ、もうどうにもならないの……?
「――すげぇな、お前ら。1人も死んでねーのかよ」
聞き覚えのある声が降ってくる。振り向くと、倉庫の屋根に堂々と立つ人影があった。
その人影は一歩踏み込んだかと思うと、瞬間移動でもしたかのように私たちの前に降り立っていた。
「<ブラッド・カオス・ドラゴン・エクスカリバー>の"風斬り"レオニード様、参上だ!!」
あまりの唐突さに私たちは言葉を失い、レオニードさんは気まずそうに周りを見回している。
「……スベッたみたいな空気出すなよ。あーあ、ひっでぇ有様だな。よくもテメェら、うちの可愛い後輩いじめやがって。だから早くあいつを返せっつったんだよ」
「す、すいません」
短く逆立った金髪を呆れたように掻き回すレオニードさんは、この窮地にあって最も頼りになる人に見えた。
遅れて、2人分の――大小対照的な足音が後に続いてくる。
「……遅ぇぞ。ゲンナジー、ラムラ」
「お前が速すぎんだよぉ、いつもいつも!」
「あたし走るの嫌いだし……はぁ~」
ゲンナジーという人はゼクさんよりも背が高く肉付きもいい大男だ。褐色肌のラムラさんはスタイルのいい黒髪の女性で、気だるそうに煙管をふかしている。
この人たちが、ヤーラ君の仲間だったんだ。
「じゃ、俺がナシつけとくからお前らいつも通りよろしくー」
「う~っす」「はいはい」
リーダーに対して適当な返事をした2人は、まるでマイペースにホムンクルスのほうへ歩いていく。
「あら、すご~い。アーリクと戦って無傷の人、初めて見たわぁ」
「ゼク兄さんお疲れっす。代わりますよぉ」
「あ? 代わるって――」
ゲンナジーさんはホムンクルスの肉体を背後からがしっと押さえつけた。軽くやってるように見えて、ものすごい力だ。
「こいつ、前にしか攻撃できねんでぇ。こうすれば動き止まるっす」
「は~い、アーリクちゃん。大人しくしましょうね~」
ラムラさんが何かの魔法をかけると、ホムンクルスが腕らしき部分を地面に垂らし、萎れるように元気をなくしていく。
レオニードさんのほうは、何の小細工もなしにずかずかとヤーラ君のほうに距離をつめていく。立ち止まったところで、すうっと大きく息を吸った。
「おいコラ、ヤーラぁ!!! このレオニード様の顔を忘れたとは言わせねぇぞ!! 何兄貴分の顔に泥塗ってやがんだオラァ!!」
空気が引き裂けるような大声が響く。口調は荒っぽいけれど、威圧するような怖さは全然なかった。身体を丸めていたヤーラ君は、血に濡れた顔を晒した。
「い、痛い……耳が痛い……だ、誰……?」
「お前が大好きなレオ先輩だっつってんだろ! ほら、帰ってポーカーでもしようぜ。お前にゃ負けっぱなしだからなぁ」
「違う……違う……!! レオ先輩は……――ふざけるなッ!!」
よろめきながらも立ち上がったヤーラ君がカッと声を荒げると、その左目が不気味な輝きを放った。
レオニードさんはガードするように右腕を手前に持ってくる。その腕はみるみる変形して、袖と一緒に大きく破裂した。
崩れた腕が地面に落ちると、ガランという金属の音が鳴った。
――義手だった。
「……そっ……その、腕――」
ヤーラ君は茫然と目を見張る。
ふと、アンナちゃんが言っていた魔物に腕を喰われてしまった人の話を思い出した。それがレオニードさんのことだったとしたら、本当は魔物ではなくて――
レオニードさんが残った左手で、棒立ちになっているヤーラ君の薄い肩を掴んだ。
「聞け。あのバケモンは、お前の弟じゃねぇ。お前の家族が死んだのも、俺の腕のことも、お前に罪はねぇ。わかるか?」
「……」
ヤーラ君がその場に崩れ落ちると同時に、ホムンクルスは跡形もなく消え去った。




