#32 魔人の大鍋⑥ ワルモノ成敗
敵の魔人――ミカルは、明らかに苛立ちを募らせている。タバサの炎魔法の弾幕、その間を縫って接近するリナ、大きく隙ができたところで切り込むクルト。この戦術はスターシャが考案したものだった。
<クレセントムーン>の優れているところは、攻め手の多さと連携で相手を巧みに翻弄する点にある。決定打に欠けるという弱点もあるが、そこはクルトが補えばよい。
魔人ミカルは報告書によれば相手の感覚を狂わせる魔術を使うという。その魔術を使う暇を与えないためにも、リナとタバサの存在は必須だった。
「うっぜぇなぁ……!!」
ミカルは勇者たちの猛攻に青筋を立てているが、意外にしぶとく耐え忍んでいる。何度目かわからないリナの足払いが放たれたとき、その赤眼がギョロリと動き、素早く足を引いて空振りさせた。
そうして生まれた隙に、ホビットの小さな身体を踏み潰してやろうと足先に殺意をこめるが、脇から滑り込んでくる2つの剣に阻まれ、思わず飛びすさる。
「うわぁ、可愛いホビットをふんづけようとしたですよ! 最低です!」
「……むかつく、チビが!」
わざとらしい鼻にかかったような声で相手に揺さぶりをかけるのも、リナの特技のようだった。ミカルはまんまと乗せられているように見えるが――
キン! と死角から襲いかかっていたクルトの剣を弾くだけの冷静さはまだ保っていた。ミカルはそのままクルトの眼前まで急迫し、鋭く研ぎ澄まされた魔族の爪でその双剣使いを滅多打ちにする。
防御で手一杯のクルトを援護したいところだが、この間合いの近さではリナもタバサも迂闊に手出しできなかった。
「クルト!」
「わかってる、けど……!」
この魔人との戦闘が長引くことが何を意味するか、スターシャもクルトも理解していた。が、簡単にその術から逃れることはできなかった。
「やっべ!」
すぐに違和感に気づいたクルトが、転がるようにしてミカルから距離をとる。しかし、彼は再び立ち上がることはなく、武器も落としたままに座り込んで頭を支えている。
ミカルの魔術が決まったのは、明白だった。
主力を失うまいと、リナとタバサが同時に攻撃を再開する。ミカルはぞっとするほど冷たい眼差しで、2人の少女を見下ろした。
「あんたら、あの剣士くんがいないと何にもできないんでしょ?」
少し気圧されたタバサだが、今度はさっきよりも大きめの炎を2、3発叩き込む。ミカルはその炎をひらりと避ける。
その隙にリナが接近する手はずだが、ミカルはそれも見透かしていたようで、転がってきたボールにそうするようにホビットの小柄を蹴り払った。何度か地面にぶつかっては跳ね返り、ごろごろと転がるリナ。
「だ、大丈夫!?」
「へーき、です! とにかくタバサは魔法打って!」
「うん!」
視線を誘導するときは火球の数を少なく、動きを止めるときは数を多くする。スターシャからそう指示を受けていたタバサは、今の状況から後者を選択し、無数の炎を右手にかざす。
多方面から降り注ぐ火球の雨を、ミカルは両の眼でしかと捉え、余裕をもって待ち構える。炎だけに集中していれば見切るのは容易いと見えて、踊るように身を翻して火の雨をやり過ごした。
少し遅れてリナが攻撃に参加する。得意の機動力で飛び回り、鋭い足技を叩き込む――が、ミカルの動体視力は予想外に高く、リーチの差もあって思うように攻撃が通らない。
ふらふらのクルトを避難させていたスターシャは、戦況を観察しながら自分の見立ての甘さを知った。
報告書によれば、ミカルにはカインという魔人の仲間がいて、自身のスピードを上げる魔術を使うという。ならば、仲間のミカルがその速度に慣れていても不思議ではないのだ。
そうなると、リナとタバサだけであの魔人を相手取るのは厳しいように思えた。スターシャは横でうずくまっているクルトを横目で見る。
「……リナちゃんとタバサちゃん、大丈夫そう?」
「微妙なところだけど、あなたはそのまま動かないで。敵の魔術が作用するのは1人だけ。だから、実質今は魔術を封じたということになる」
「無駄にぐるぐる目回してるわけじゃないってことね」
「あなたの出番は必ず来ます。それまでの辛抱よ」
スターシャは確信をもって言い聞かせる。それまでいかに被害を減らすかが勝負だ。
だが、状況は依然として厳しい。ミカルはだんだんとリナの動きに慣れてきたらしく、タバサの炎も片手間で処理している。
リナもタバサも優秀だ。しかし、マーレやエルナのような神業的な連携ができるわけではない。今の戦法を採用してから日が浅いにしてはよくやっているほうだが、ミカルを追い詰めるには至らない。
天秤が傾くのも時間の問題だと、リナも承知していたのだろう。険しい目つきに闘志をみなぎらせ、捨て身覚悟の突進を仕掛ける。
鍛えられた脚力で弾丸となったリナは、真っすぐに敵目掛けて突っ込んでいった。
迫りくるホビットの戦士を前にして、ミカルはフンと鼻を鳴らす。軽く頭を後ろへ反らすと、闘牛のように突き出た額のツノを、リナの顔面に打ち込んだ。
「ッ!!」
鈍い音と血飛沫が弾け飛び、リナが地面に叩き落される。
「リナちゃん!!」
タバサが悲鳴に近い声を上げ、敵前であることも忘れてリナのもとに駆け寄った。
ミカルは返り血が点々と付着した自分のツノを軽くなでる。魔人のツノは刃物も通さないほど硬く、勢いをつけてぶつかったリナも無事では済まなかった。
激痛に身悶えするリナと、パニックに陥りそうになっているタバサを、ミカルは沼の底のような瞳で見下ろした。
「あなたの目的は」
スターシャのきっぱりとした声に、ミカルは振り向いた。
「我々の全滅ではないはずよ。勇者をあまり殺さないよう命じられているのも知っているわ」
「……だから何だし。セトのゆーこと、ミカがぜんぶ守ると思ってんの?」
「私たちの負けを認めます。あなたが望む情報と引き換えに、私たちの安全を保障してもらえないかしら」
「フーン……」
ミカルは目を細めてスターシャを見据える。
「そーやって話し合いするフリしてミカを騙そうとしてんでしょ? 同じことした奴知ってるし。ミカがここからいなくなったら、そこの剣士くん復活しちゃうじゃん。それが狙い?」
スターシャは毅然とした表情を崩さないまま、少しの沈黙を挟む。
「あなたが憎んでいる勇者3人は、他の仲間が逃がしているわ」
「フーン、あっそ。じゃあそこの剣士くんぶっ殺してさっさと追いかけよ」
ミカルはもはやスターシャに一瞥もくれず、うずくまっているクルトにずかずかと歩み寄る。無抵抗の相手を前に、鋭い爪を軽く振り下ろし――
「今よ!!」
スターシャの合図と同時、クルトの身体から強烈な稲光がほとばしった。ミカルの腕もその光に巻き込まれ、手先から電流が走り抜ける。
方向感覚を奪われたのなら、相手の攻撃を待って全方位に魔術を放てばよい。スターシャの作戦が見事に決まった瞬間だった。
「っ!!」
感電したミカルが後ろへよろめくと、ショックで魔術が解除されたのか、入れ替わるようにしてクルトがゆらりと立ち上がる。先ほどまでの気の抜けた顔は、内に熱い何かを煮えたぎらせた静かな険相に変わっていた。
仲間を傷つけられた怒りが、クルトの剣筋を荒々しくさせた。段違いの勢いに、ただでさえ腕にダメージを負ったミカルは耐えるだけで手一杯だった。
その背後から、今度は柔らかな光が溢れ出る。それはタバサの手から発せられて、リナの傷をみるみる浄化させていった。
「……あれ? これって――」
起き上がったリナが目にしたのは、冷や汗を流して呆然とする元ヒーラーの姿だった。
「で、できた……」
強力な回復魔法。ヒーラー時代のタバサでは3回に1回は失敗していた術だが、今その3分の2を運よく引いただけ、というわけでは決してなかった。
「ありがとです! さあ、畳みかけるですよ!」
「う、うん!」
<クレセントムーン>の2人はリーダーたちがいつもそうするように、顔を見合わせて頷き合う。そうして金属音の響き合う渦中に飛び込んでいった。
正面からは殴りつけるような双剣、背後からは神速の足刀、両脇からは灼熱の火炎弾。四方を囲まれたミカルは、顔をぐしゃりと歪ませる。
「たかが……人間のくせにぃ!!」
断末魔の叫びと同時、すべての攻撃が魔人に炸裂した。




