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#28 冷たい十字架⑩ 剣の功罪

 私とマリオさん、それからヘルミーナさんは、今日は広場のベンチでクルトさんを待っていた。待ち合わせの時間に大幅に遅れてきたクルトさんは、いつもの紙袋ではなく綺麗に包装された箱を持ってきた。


「お待たせ~。はい、この間のお礼というかお詫びというか」


「ありがとうございます」


「それ、いいお店のやつなんだ~。開けてみなよ、ほら」


 言われるままに、包装紙を破らないよう慎重に開封する。蓋を開けると、そこそこ高そうなチョコレートがきっちりと整列していた。


「いただきます」


 一口つまんでみると、上品な甘みが口いっぱいに広がる。


「おいしい~!」


「でしょ⁉ それねぇ、めちゃくちゃおいしいんだよね~。……1つ貰っていい?」


 今ここで開けさせたのはそのためか、と呆れてしまう。まあ、元々クルトさんが買ってくれたものなので、拒む理由はなかった。


「スターシャさんは?」


「なんかこう、手続きというか報告というか……まあ、こないだおれがやらかした分の後始末かなぁ。スターシャにもお詫び渡さなきゃ」


「……あの、<ブリッツ・クロイツ>の2人は?」


「ライセンス剥奪処分だって。先に手出したのは向こうだし、そもそも相手が人事部長のお嬢さんだし。おれは怒られただけで済んだよ」


 クルトさんはまだ絆創膏が残っている手をひらひらさせている。彼はいつも通りの気楽さで、マリオさんも変わらずにこにこしていて、一人ヘルミーナさんだけがうつむきがちだった。


「……ヘルミーナちゃんも、ほんとにごめんね。うちの兄ちゃんが馬鹿なことしちゃって」


「いえ、あの、やっぱり私――」


 クルトさんはヘルミーナさんの頭にぽんぽんと手を置いて、優しく言葉を止める。


「きみはいい子だねぇ。悪いのはこっちだって言ってるのに。――っと!」


 彼は慌ててぱっと手を離した。


「こういうことしちゃダメだよねぇ。おれ、距離感ゼロだから……マジでごめん」


 どうやらヘルミーナさんとマリオさんに気を遣ってくれたみたいだけど……ヘルミーナさんはともかく、マリオさんは当然のようにノーリアクションだ。クルトさんは少し渋い顔になる。


「大丈夫です。モーリスも、そういうの気にしない人だから」


「……ちょっとは気にするべきだと思うんだけどなー」


 マリオさんは話の流れが理解できていないのか、いったん考え込むような仕草を見せた。


「……こう?」


「⁉」


 どうやらマリオさんはクルトさんの真似をすればいいという結論に至ったらしい。ヘルミーナさんは不意打ちで撫でられて一気に真っ赤になっている。


「いやー、なんか足りないんだよなぁ」


 クルトさんは妙に真面目に評している。何が足りないか、私にもちょっとわかる気がするけど。


「そういえば、君の疑問は解決したのかい?」


 マリオさんが唐突に話を振る。なんのことかと思ったけれど、クルトさんはピンと来たらしい。


「きみがワルモノかどうか、ってこと?」


「そう」


 クルトさんは顎をつまんでじっくりと考え込む。脇に置かれていた視線がふっとマリオさんに向くと、表情がかすかに薄らいだ。


「……たとえばさぁ」


 ヒュッ、と小さな旋風が私の髪をふわりと持ち上げて――毛の束が下りる前に、風を起こした銀色の刃がマリオさんの首元に達しようとしていた。が、切れ長の眼は剣の軌道を完璧に捉えて、わずかに上体を引くだけで、その音速の斬撃を軽々とかわしてしまった。


「え……?」


 驚く私をよそに、クルトさんは切っ先を真っすぐマリオさんに向けたまま、淡々と話し始める。


「もしこの剣がきみの首を斬り裂いたら――ワルモノはおれだ。この剣に罪はない」


 剣は切っ先を垂らし、地面に突き刺さって主の手を離れる。


「きみは剣だよ。正しい人が持てば、正しいことに使われる」


 クルトさんの穏やかな瞳は、マリオさんから私へと移った。薄い表情のまま微笑むと、剣を鞘に納めて踵を返し、「またね」と軽い挨拶を残して去ってしまった。


 後ろ姿が消えた後も、私はクルトさんの言葉を頭の中で反芻した。確かにそうかもしれない。マリオさんは誰かの意志を100パーセント実行しようとする。持ち主の意のままに操られる武器のように。


「ぼくは今までたくさん人を殺してきたけど」


 のどかな公園に似つかわしくない物騒な話を、マリオさんは唐突に口にする。


「それでも罪がないってことになるのかな」


「なります」


 私の断言を、マリオさんは落ち着いて受け止める。


「前もそんな話をしたね」


 最果ての街にいたときのことだ。よく覚えている。マリオさんは悪くないって、いい人だって、私はしきりにそんな話をしていた。今もそれは変わらない。


「マリオさんは、誰かを……殺したくて殺したことはないんじゃないですか?」


「……よくわからないなぁ。殺すのが好きって友達はいたけど……彼はワルモノになるんだろうね」


 殺し屋の仲間だろうか。それなら、そういう人もいたのかもしれないし――きっと、悪人ということになるんだろう。だけど、マリオさんはそうじゃない。何かをしたいと望むことすら、忘れてしまっているような人だ。


 そう、忘れているだけ。消えてなくなったわけではないはずだ。


「じゃあ……本当は殺したくなかった人は? 助けたいと思った人は、いませんか」


 マリオさんはじっと考え込む。まったく見当がつかない、という顔ではなかった。

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ――薄く開いた弓なりの切れ目から覗く瞳が、隣にいる少女に移るのが見えた。


 本当は殺したくないのに、殺してしまった人。助けたいから助けた人。そんな人が、彼の中にいるはずだと――私は確信している。


「モーリスは、温かくて優しい人だよ」


 ヘルミーナさんが、春風みたいに笑った。



  ◇



 すっかり日も暮れて、私は職員寮に戻ろうと夜の帝都を歩いていた。この時間は仕事終わりの人も多く、お店の明かりや中の賑わいが外にまで漏れているのが目立った。

 なんとなくそんな街並みを眺めていると、知っている顔がお店から出てきて――ドキッとした。


「あれぇ、エティじゃ~~ん!」


 この特徴的な呼び方、間延びした声、間違いなくアンナちゃんだ。何ということはなく、私も笑顔で挨拶を返すところだ。……隣に、すさまじい威圧感を放つ中年の紳士がいなければ。


「おじじ、今日はあんがとね~」


「うむ」


 厳格を絵に描いたような紳士は、アンナちゃんの大変失礼とも思える挨拶に低い声で短く返事をして、そのまま立ち去ってしまった。


「……アンナちゃん、今の人は?」


「おじじはねぇ、協会の人事ブチョーさん」


「人事部長?」


 というと、スターシャさんのお父さんだ。その人が、どうしてアンナちゃんと――という疑問が、顔に出ていたらしい。


「あはは、別にやまし~アレじゃないからぁ。アンナのお目当てはぁ、ほら、パーティ管理課期待の新星! バチバチイケメンの――」


「メレディスさん?」


「そ! あの人、マジヤバじゃない? 見た瞬間目ぇ潰れるかと思ったし。そーゆーわけでぇ、協会の関係者に詳しい人事ブチョーさんにお話聞いちゃいましたぁ☆」


 確かに、娘のスターシャさんも勇者の情報には詳しかった。あのお父さんはあまり人の話を言いふらすタイプには見えなかったけど……。


「メレ様ってぇ、勇者協会来る前は辺境の冒険者ギルドで働いてたんだって。そこでバリバリ仕事してギルドでっかくしてぇ、ほんでこっちに移ったらしーよ。超デキるマンって感じ? マジパネェ」


「へぇ、そうなんですね……」


 前職で培ったノウハウがあるから、あんなに有能なんだ……と納得していたところで、突然アンナちゃんは顔を近づけて、小声で耳打ちした。


「――っていう経歴あんだけど、全部嘘っぽい」


「え……?」


 思わずアンナちゃんの顔を見つめる。さっきの陽気な顔は、夜闇にぼかされていた。


「これからロッキーに伝えに行くけどぉ……エティもちょい気ぃつけたほうがいいかも」


 そう言うと、アンナちゃんはぱっと明るい笑顔に戻り、「じゃね」と手を振って帰っていった。


 メレディスさんが? あんなに優しくて、真面目で、仕事熱心な人が。経歴を偽って<勇者協会>に来たということは、何か特別な目的があるってこと……? 彼は、もしかして――


『エステルちゃんの周りにいる人は、誰もワルモノになんてならないんだろうなぁ』


 クルトさんの言葉が蘇って、はっとした。まだメレディスさんが「ワルモノ」だと決まったわけじゃない。彼はいい人だ。今まで私が見た限りでは、そうだ。


 胸の奥につっかかる異物感を振り払うように、私は夜の喧騒から離れていった。

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