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#28 冷たい十字架⑨ 怒りの矛先

 すっかり勇者たちのたまり場になった訓練場に、新しい常連が増えている。前も見かけたグラント将軍だ。あの人間離れした強さと――あとは人柄のおかげか、勇者たちから謎の人気を集めている。


 将軍にくっついていたミアちゃんは、今はお父さんに構ってもらえなくて寂しいのか、ヘルミーナさんにべったりだ。ノエリアさんも交えて3人で談笑している。ミアちゃんは私に気づくと、大きな目をキラキラさせて手を振った。


「エステルお姉ちゃん、だっこー!」


 目にもとまらぬ速さで飛びついてきたミアちゃんを何とかキャッチする。ふわふわの髪をごしごしと擦りつけて存分に甘えてくれたので、私も頭を撫でてあげた。


「ヘルミーナ。あなたもミアくらい積極的にならないと」


 ノエリアさんが若干無茶なアドバイスをすると、ヘルミーナさんは困り笑顔を浮かべる。


「何の話ですか?」


「ヘルミーナったら! 意中の殿方にお供しておいて、何の進展もないだなんて! 不甲斐ないと思いませんこと?」


「や、でも……そんな暇、全然なくて……」


 ヘルミーナさんの言う通りだし、そもそもマリオさんとの仲を進展させるなんて、天地をひっくり返すよりも困難なことだ。


「そんな悠長なこと言ってる場合ではなくってよ。もっとこう、キスの1つくらい――」


 ノエリアさんは自分で言っておいて何か思い出すことがあったのか、途端に顔を真っ赤に染める。


「きすってちゅーのこと? ミアもね、おとーさんに――」


「……ミア? せっかく訓練所にいるのですから、お手合わせでもいたしませんこと?」


「ノエリアとたたかうの? えっと、えっと、オテヤラワカニ!」


 アクロバティックな話題転換を決めたノエリアさんは、ミアちゃんを連れて模擬戦闘場に行ってしまう。2人を見送るヘルミーナさんの眼差しは柔らかく、それでいてどこか影がちらついている気がする。


「……前は、人のことなんてどうでもよかったんですけど」


 彼女は視線を動かさず、ぽつぽつと言葉を紡ぎ始める。


「カスパルさんが死んだときも、全然何とも思わなくて……ずっと、モーリスに殺してもらうことばかり考えてたから。でも……あのホワイトエイプの子供を見たときに、ミアのことを思い出して。放っておけなくて……おかしいですよね、相手は魔族なのに」


「おかしくないよ」


 私はきっぱりと言い切った。


「ヘルミーナさんは、元々すごく優しい人だよ。元に戻ってるだけなんだよ、きっと」


 そう微笑みかけてみたけれど、彼女の横顔は陰ったまま動かない。


「……クルトさんには、申し訳ないっていう気持ちはあります。けど……今の私でも、カスパルさんのことは見殺しにすると思う」


 声から体温が消えていく。行き場のない両手が、寒そうに小さく震えている。


「――じゃあ、それがミアちゃんやノエリアさんでも、そうする?」


「しません」


 はっと顔を上げて、間髪入れず、急いで打ち消すように即答。


「なら、それで大丈夫だよ」


「……。そう、ですね。誰にでも同じように接する必要はないですもんね。……本当は」


 震えは止まって、垂れ下がった眉にかすかな切なさが漂っている。誰のことを思い浮かべているのか、考えるまでもない。


 模擬戦闘場から、ヘルミーナさんを呼ぶ声がした。ミアちゃんとノエリアさんが手を振っている。ヘルミーナさんは私に軽く会釈をして、仲間のところに走っていった。



 手持無沙汰になった私はとりあえず、スターシャさんにクエスト達成報告がうまく進んだことを告げに行った。彼女は相変わらず他の勇者の視察に余念がなく、クルトさんは相変わらずお菓子袋を片手にその後ろをついて回っていた。


「報告は問題なく受理されたのね?」


「多少怪しまれましたけど、もう大丈夫だと思います」


「エステルちゃん、バウムクーヘン食べる?」


「いただきます」


 この温度差にもだんだん慣れてきた。クルトさんの怪我も、ヘルミーナさんとスターシャさんの手当てが良かったと見えて、もうこんなに元気におやつを貪っている。よく食べる人だなぁと思うけど、その割に全然太ってないのが羨ましい。


「また同じ面子でクエストやろうよ。暇なときでいいからさ」


「もちろんです」


 和やかに甘味を楽しんでいると、ふと不穏な気配が近づいている気がして寒気が起こった。

 どしどしと威嚇するみたいに鳴る足音が、2つ。


「おい、スターシャ」


 憤りが漏れ出ているような低い声。今回のクエストを断られた、元<ブリッツ・クロイツ>の2人だった。


「Bランクのクエストやったンだろ? チームメイトのオレらにも、報酬あるよなァ」


「何を言っているの? 不参加のあなたたちに、その権利はないわ」


 スターシャさんが冷たい一言を放った途端、彼女の小さな身体が浮き上がる。


「舐めやがって、ガキが……。いい加減にしろや」


「教育が必要だなァ」


 まずい、誰か呼ばないと――と私が思ったのと同時、大きな紙袋を押しつけられて、そのまま両手が塞がった。


 お菓子の袋を置き去りにしたクルトさんは、ゆらりとスターシャさんを掴んでいる男に近づく。男が不審そうに睨んだその数ミリ先に、固く握られた拳が迫っていた。


 何かが破裂するような甲高い音が、訓練所中に響き渡った。


 勢いで床にへたり込んでいるスターシャさんは無事で、すぐ傍にはありえない方向に曲がった鼻から血を噴き出している男が仰向けになっている。唖然としていたもう1人ははたと気づき、顔面を激怒の色に染めている。


「テメ、何しやが――」


 間髪入れず、もう一発がその顔に沈み込む。無言で2人を殴りつけたクルトさんの顔は、マリオさんと対峙したときのそれと同じだった。


 しかし、腐っても相手はBランク級の勇者だ。顔面が悲惨なまでに歪んだ2人だが、めげずに起き上がって反撃に転ずる。


 大勢の勇者たちが集う訓練所のど真ん中で、派手な殴り合いが始まった。


 ここにいる誰もがその異様な光景に目を奪われていたが、止めに入ろうとする人間は一人もいなかった。何かに取り憑かれたように殴り続けるクルトさんの鬼気迫った雰囲気が、周囲の介入を拒絶していたからだろう。


 2対1では無傷というわけにもいかず、クルトさんにも生傷が増えていく。けれど、一撃目の重さが響いているのか、2人の動きは鈍くなっていった。クルトさんは容赦なく、すでに皮が裂けて血みどろになった拳を振るい続けた。ただ、剣も魔術も使うことはなかった。


「クルト、もうやめなさい」


 静かに割り込んだのは、スターシャさんだった。平素よりもやや棘の抜けたその声は、しかし争いを止めるには至らなかった。


「クルト!」


 叫んでも、彼は止まらない。このまま相手が死ぬまでやるんじゃないかと恐怖が過ったが、大きな手が真っ赤な拳を包み込んだ。


「そろそろ終わりにしにゃあ」


 グラント将軍の、おおらかで温かい声。クルトさんは目だけを動かすが、掴まれた手を払うことはしなかった。


「兄ちゃん男前だにゃあ。あのお嬢ちゃん守ってやったんだにゃ? 剣も抜かずに一人でよおく頑張ったにゃあ! でも、おんなしユウシャだ。殺しあっちゃあいけねぇ」


「……」


 グラント将軍はゆっくりと血みどろの手を解放する。クルトさんは黙って肩を弾ませたまま、自分が殴り続けた2人を見下ろした。


「……ごめんなさい」


 誰に向けたものかわからない謝罪をこぼすと、垂れ下がった赤い手をスターシャさんが強く握りしめる。


「いっ⁉」


 指の皮は裂けていたし、打ち傷もあったのだろう、クルトさんは痛みに顔を歪める。が、その傷は淡い光に覆われて、徐々に薄らいでいく。


「……ありがとう」


 スターシャさんは何も言わず、手当を続ける。


「もしかして、怒ってる?」


「ええ」


 おそらく過去最高の威圧感を放っている彼女に、クルトさんは気まずそうに目を泳がせている。


「あなたの都合を考慮するとは言ったけれど……危険な真似は、二度としないで」


 間違いなく、スターシャさんはかつてないほど激怒している。そう、めったに感情を表に出すことのない彼女が、その顔に怒りを滲ませている。だからか、クルトさんも恐怖するというよりはひどく申し訳なさそうに眉尻を下げている。


 続いて、スターシャさんは顔面が腫れ上がるほど殴られて伸びている2人の治療に取り掛かった。置き去りにされたクルトさんの肩に、大きな手のひらがぽんと置かれる。


「兄ちゃん、モテモテだにゃあ」


 ようやくクルトさんにわずかながら笑顔が戻って、照れくさそうに頬を掻いていた。

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