#27 聖剣の勇者のように⑨ プラスの結果
カインが放り出されたのは、レオニードたちと戦っていた場所からはかなり離れた通路の一角だった。打ちつけられたダメージに全身が悲鳴を上げながらも、カインは怒りのみに突き動かされて立ち上がろうとする。
「あ……の、野郎ォ……!!」
その意志とは裏腹に、足下が崩れてまた地べたに伏せる。痛みのためではなかった。カインは違和感を覚える。
「――ご機嫌よう」
嫌味なほど陽気な女の声と、かすかに漂う煙草の香り。
「お、ま……へ……」
全身が脱力して、声を出すこともままならない。カインはなんとか眼球を動かして、褐色肌の女を視界にとらえる。
「セトさんも、あたしがこっち側にいるとは思ってなかったでしょうね~。あなたの相方の女の子も、ゲンナジーに可哀想なくらいいじめられてるみたいよ。ごめんなさいねぇ~」
勝利を確信したような口ぶりだった。その言葉が本当なら、セトもミカルも助けに来ることはないだろう。女はさらに、絶望的な事実を告げる。
「そうそう、あたしの魔術。『力を奪う』っていうのがメインの効果なんだけど、それをやり続けると~……筋肉が弛緩して、呼吸すらもできなくなっちゃうの」
カインは内心ひどく動揺したが、それを表情に出す力さえ残っていなかった。
「魔人の首1つと、その仲間2人の情報。と~~っても実りのあるクエストだったわ~♪」
白い煙にぼかされながらも、彼女の笑みは悪魔のそれと区別がつかなかった。
◆
「嘘……そん、そんな……!!」
無残に腫れあがった顔をますます歪めて、ミカルは悲嘆に暮れている。その少し後ろで、セトは合流したダリアに淡々と状況を説明していた。
「――あとは、見ての通り。カインは死んだ」
「……」
ダリアはまじまじと蝋人形のようなカインを眺めている。ミカルもしゃくり上げながらダリアを振り返った。
「ダ、ダリアぁ……カイくんが――」
「……すっげぇ~~なぁ!!」
仲間の亡骸を前に、ダリアは満面の笑顔を浮かべた。
「どんな戦いしたんだろうな? ただの殴り合いじゃないよな。爆弾とか?」
「ナイフの傷、殴打痕、火傷……。何人相手にしたのか知らんが、敵は多彩な手を使ったらしい」
「うおおおお、面白そう! あーあー、あたしも参加したかったなぁ~。でもやっぱ、今はダメだよなぁ~」
「アタリマエ。この街からは撤退すべき」
セトの記憶では、あの勇者パーティはAランク級だと聞いていた。
ナイフ使いと酔っ払いの大男、魔術師の女。それだけでは、ハンマーで打たれたような殴打痕や爆発に巻き込まれたような火傷痕の説明がつかない。エステル・マスターズは一切戦闘能力がないことも聞かされている。
「……あの小僧」
セトの目にはただ怯えていただけのように映った、あのローブの少年。最も警戒すべき人間は、実は彼なのではないか――用心深いセトは、そう認識を改めた。
「おーい、帰りになんか食ってこうぜ~!」
のん気なダリアには、セトももはやつっこむ気も失せる。放心状態のミカルはふらふらと機械的に立ち上がる。
「……。ヤツの犠牲はムダにしない」
セトは一応の慰めの言葉をかけるが、ミカルには届いていないだろう。
実際にセトはカインを助けに行くこともできたが、そうはしなかった。敵地の目立つ場所で勝手な振る舞いをされるくらいなら、命と引き換えにでも敵情視察を果たしてくれたほうがいい――そういう判断もあった。
これでミカルが人間に恨みを募らせれば、前よりは真面目に人間界への侵略に協力してくれるかもしれない。セトにとっては、収支で言えばプラスだった。
もっとも、彼の算段では――勇者たちなどダリアとセトの2人だけで一網打尽にできるのだが。
◇
「いってぇぇ~~~~っ!!」
宿の一室に、レオニードさんの悲鳴がこだまする。私は他のお客さんからクレームが来ないように祈りつつ、手当の様子を見守った。
「なあヤーラ、もうちょい痛くない薬ねぇの?」
「ないです」
「……。ゲンナジー、おめぇは平気なのかよ」
泥酔出撃という前代未聞の作戦を決行したゲンナジーさんは、あのあと両拳を血まみれにして帰ってきた。本人の血ではないようで、作戦自体はうまくいったみたいなんだけど……。
「全然痛くねーぞぉ? オレ、何やってたかさっぱり覚えてねーしよぉ」
こんな調子なので、戦況はどうなったのか誰もわからない。魔族の追撃もなかったので、それはそれでよしとする。
「そういや、ラムラさんよ。作戦成功したら禁煙するんじゃなかったのか?」
「これは煙草じゃないから。煙の出る棒」
ラムラさんは堂々と白煙をふかし、レオニードさんを絶句させている。血色のいい彼女とは対照的に、ゲンナジーさんは顔色が悪くなってきていた。
「うおぉ~……ケガとかより頭が痛ぇぜ……。今までで一番ひでぇ酔い方だぁ」
「外の風でも浴びてくれば~? あたし、水貰ってきてあげる。有料で」
「鬼かよぉ!」
「嘘よ嘘」
2人が部屋を出て行こうとする一瞬、ラムラさんの切れ長の目が私を振り返った。
バタン、とドアの閉まる音が3人だけになった部屋に残される。
「しかし、ロケットパンチの夢がこんなに早く叶うたぁな!」
レオニードさんが本日3つ目の義手でヤーラ君の細い肩を思いきり叩き、小さな呻き声が上がる。
「あれって、ソルヴェイさんに教えてもらったの?」
「はい、まあ。すごく丁寧に説明してくれたので」
「……あの説明を理解できるの、相当すごいと思うよ」
ヤーラ君のことだから、ソルヴェイさんの話を一から十まで全部メモしたのかな、なんて想像してしまう。
「次は腕が剣とか盾に変形するやつにしてくれよ」
「無理ですよ! ていうか……次はもう、ビャルヌさんとかにお願いしてください」
「えー? お前が作ってくれるんじゃねぇのかよ」
「……。本当は、そうすべきなんですけど――」
ヤーラ君の表情が暗く沈んでいく。やっぱりまだ負い目があるんだろうけれど、それだけじゃないような気もする。
「……だからよぉ、腕のことは気にすんなって何度も言ってんだろ」
レオニードさんは、今度は優しくヤーラ君の肩をぽんぽんと叩く。それでも、伏せられた顔は暗澹と濁ったままだった。
「何か、気にしてることがあるんだよね?」
なるべく慎重に声をかけると、憂わしげな瞼がぴくりと揺れる。その中から助けを乞うような瞳が現れて、私はゆっくり頷いた。静かな深呼吸が繰り返されるのを、私もレオニードさんもじっと黙って聞いていた。
「その……前の……ことを、覚えてる、って言いました……よね」
「うん」
何のことかはすぐにわかった。西方支部にいた頃にクエストで行った、あの村のことだ。
「あれからずっと、考えてるんです……。僕は今までも、あんな……恐ろしいことをしていたんだろうな、って。いつ、どこで、記憶がなくなってたか……あれこれ思い返しちゃって。どんなことをしてしまったんだろうって、そんなことばっかり……」
魔人3人を前にしたときと同じ、恐怖に震える蒼白な顔。レオニードさんも何があったかを察したようで、少し驚いている。
「馬鹿。お前のアレは、今となっちゃあ酔っ払ったゲンナジーと変わんねぇよ」
レオニードさんは茶化すように笑ってみせるが、ヤーラ君は俯いたまま爪を噛み始めてしまう。ガリ、と爪が削れる音が耳にまとわりつく。ふと、あの村で見たナイフで切り裂かれた右手が蘇ってきた。
「それでも――」
言葉が口をついて出てくる。
「それでも、ヤーラ君を恨んだり、怖がったりしている人は誰もいないよ。私も、レオニードさんも、他のみんなも」
「……」
「ヤーラ君はいい子だよ。私もよくわかってるから……だから、傷ついてほしくないな」
一心に噛んでいた爪をそっと離す。血は出ていなかった。
「つーかよぉ、『覚えてる』ってのは進歩なんじゃねぇか? 前までは全部記憶抜けてたんだろ?」
「確かに、良くなってるってことですよね」
「よかったじゃねぇか。少なくともゲンナジーよりゃマシだ」
「……あんなのと一緒にしないでくださいよ」
ようやくヤーラ君は、いつもの呆れ顔を見せてくれた。レオニードさんが声を上げて笑っていると、ちょうど当のゲンナジーさんがすっきりした顔で戻ってきた。




