#27 聖剣の勇者のように⑥ 敵前逃亡
街は昨日と同じ喧騒を奏でていて、人が1人いなくなったことなど微塵も気にかけていないかのようだった。私たちは重い空気に覆われながら、ラムラさんが指定したポイントへ向かっていた。
よりいっそう重圧を感じているはずのヤーラ君は、ときどき爪を噛もうとしては、はっと気づいて手を離すのを繰り返している。
誰かを助けたいという思いが強いのはよく知っている。助けられなかった罪悪感を人一倍背負ってしまうことも。それがレオニードさんだとなると、その小さな身体で耐えきれるだろうか。
その場所は、ひと目で誰もいないことがわかるさびれた倉庫だった。隠れ家にするにはうってつけだが、そこからは何か不穏な雰囲気がにじみ出ていた。
倉庫の扉の前に出たゲンナジーさんは、いつになく真剣な顔をしていた。
「オレが全員のアタマぶっ潰しゃ、難しいこたぁ考えなくて済むよなぁ」
彼はドアノブを捻るでもなく、掴んでドアごと引っぺがして投げ飛ばした。
「レオニードぉ!! いるかぁ――っ!!?」
一寸先も見えない暗闇に向かって、大声を響かせる。返事がないと見るや、ゲンナジーさんはどしどしと足音を立てて臆することなく進んでいった。私たちも、その大きな背中を追っていく。
彼の足はある地点でピタリと止まった。振り向いてはくれなかったが、その背だけでどんな顔をしているかは察せられた。先にある光景は、すぐに私たちの目に飛び込んでくる。
「――レオ先輩ッ!!」
ヤーラ君の悲痛な叫び声に、レオニードさんは目だけで応えた。そうするしかなかったのだろう。彼は身体中血と泥にまみれて、地べたに這いつくばっていた。右腕の義手は外れていて、空洞になった袖はところどころ千切れていた。
傷だらけのレオニードさんの頭を踏みつけているのは、背の高い男の魔人。後ろではしゃいでいる女の魔人も合わせて、私には見覚えがあった。奥で佇む神経質そうな男の魔人と合わせれば――敵は、3人。
「セト! すげぇ、マジで仲間が来やがったぜ!」
「カイくん、全員やっちゃえ~!」
「待て!! 皆殺しはダメ、あの女は――」
「こ……の野郎ぉぉぉぉっ!!!」
魔人たちの話がまとまる前に、激昂したゲンナジーさんが思いきり殴りかかった。大槌のような拳は間違いなく背の高い魔人をとらえていた――はずだった。
拳が振り下ろされる頃には魔人の姿は消えていて、ゲンナジーさんの胸のあたりから血飛沫がほとばしった。
「――!?」
「おいおい、元気のいい人間じゃねぇか。もうちょい楽しみたかったが……仕方ねぇか」
どしん、とゲンナジーさんの巨体が崩れ落ちる。
「で、次は誰が相手してくれんだァ? 褐色の美人チャン? 赤髪のカワイコチャン? それともチビの坊やかなァ~~~?」
男の目は虫けらでも眺めるように、私たちの顔から顔へと流れていく。あっという間に前衛として頼りにしていた2人がやられてしまって、私たちは追いつめられていた。
そこで、手を挙げた――というより手で制止したのがラムラさんだった。
「戦うより、交渉しませんこと?」
あくまで表面上は微笑を浮かべ、魔族3人に臆することなく提案する。
「はぁ? 何言って――」
「あなたじゃなくて~、奥の殿方……セトさんだったかしら」
奥の方で半ば諦めたように様子を見守っていた魔人――セトは、背中を預けていた壁からゆっくりと離れる。
「わかるでしょ~? あたしたち、そこにいる仲間を連れ戻しにきただけなの。このまま無事に解放してくれるなら、あなたたちの知りたいことを教えてあげてもいいわ」
「え?」
私は耳を疑った。ラムラさんはこの場を切り抜けるために、人間界の情報を売ろうとしているのだ。
「……そう悪くない提案。だが、真偽を確かめる術がない」
「そんなの、あたしらの誰かを監視しておけばいいんじゃない?」
「それじゃ、オレたちが人質を解放するメリットが薄い」
「代わりにあたしが人質になってもいいのよ~。うちのバカ男たちを置いとくよりは役に立つし、リスクは低いって保証しとくわ。あなたたちだって、こんな大きな街でこれ以上騒ぎ起こしたくないでしょ~?」
セトは眉間の皺をつまむようにして、深く考え込んでいる。ラムラさんの話はどこまで本気かはわからないけれど、この場を切り抜けるには最善のように思えた。
果たして、魔人の返答は――
「断る」
「……あら。いいお話だと思ったのに、どうして?」
「カン。ウマイ話は罠がある。オマエは、罠を仕掛けそうな側」
針に糸を通すような交渉事を頓挫させられてしまったラムラさんは、表情ひとつ変えず――むしろその笑みを一段と濃くする。
「正解」
どっ、と膝が地面にぶつかる音が一斉に鳴る。魔人たちは示し合わせでもしたように立て続けに床に崩れ落ちた。
「え~? なに? なにこれ~?」
「うおぉ、力が入んねぇ……!」
いち早く事を察したセトが、ラムラさんを睨みつける。
「キサマ……!!」
「いい勘働きしてるわね~。でも、気づいた頃には遅いのよ」
あれは以前見たことがある。相手の力を奪う魔法だ。交渉と銘打って話を長引かせ、その隙にじわじわと術をかけていたのだ。なんて抜け目のない。
「余計な気を起こさないでね。このままいけば――」
かくん、と膝をついたのがもう1人。
入れ替わるようにして、立ち上がった姿が1つ。
何が起こったのか、すぐには飲み込めなかった。今の今まで場を掌握していた彼女が、同じように崩れ落ちてしまったなんて。
当の本人も笑顔を保つ余裕を失い、自分の手足を見開いた目で眺めているだけだった。
「なぁ~んだ、『せーの』で座るアソビかと思ったぁ」
場違いに能天気な声で立っているのは、あの女の魔人。
「ミカル、その女をやれ!! そうすれば――」
「待て、この状態で殴り合いしたら面白ェんじゃねーか!?」
「カインは黙れ!!」
妙に緊張感のないやりとりで惑わされそうになるが、紛れもなくピンチだ。<BCDエクスカリバー>の3人が立て続けにやられてしまい、ミカルという魔人はなぜかピンピンしている。残っているのは、私と――
「んん? とりあえず、そこの美人さん殺せばイイの?」
「そう!」
「おけおけ~♪」
屈託のない笑みで、ギラリと鋭利な爪を光らせる。この魔人は信じられないような気軽さで、人間の命を奪ってしまうだろう。そんなことを予感させる笑みだった。
今この場に、戦える力を持っているのは1人しかいない。
その彼は、蒼白い頬に冷や汗を滴らせて、ガチガチと噛み合わない歯を震わせている。その瞳は目前の脅威である魔人たちには焦点も合っておらず、むしろ内側を向いているようにも見えた。
私だってもちろん抵抗がある。あの恐ろしいホムンクルスを出してもらおうなんて。下手をすれば味方まで巻き込まれて、ヤーラ君に取り返しのつかない傷を与えてしまうかもしれない。
でも、ここで全員やられるよりは――と割り切るだけの覚悟が、私にはなかった。だから、怯えているヤーラ君を何も言わずに見ていることしかできない。
その間にも、ミカルと動けないラムラさんとの距離は縮んでいく。
「ばいばい♪」
振りかざされた爪は円弧状の光を走らせ、落ちる。
――が、その刃は何にも当たることはなかった。ヒュッ、と空振る音だけがして、ミカルはバランスを崩しかけていた。
「……あり?」
すぐそこにいたはずのラムラさんと、あともう1人、姿を消している。
2人の居場所は、決死の怒鳴り声ですぐにわかった。
「起きろゲンナジー!! 逃げるぞ!!」
いつの間に、ラムラさんを担ぎ上げたレオニードさんが向こうにいる。呼ばれたゲンナジーさんも、いつもより機敏な動きでがばっと起きあがった。
「ぬおぉ……? よくわかんねぇけど、わかった!」
ゲンナジーさんは血を流しながらも、私とヤーラ君を小脇に抱えてどしどしと走りだした。
魔人の男2人はまだ魔術で動けなくなっているが、ミカルのほうも私たちを追ってはこなかった。




