#24 カタストロフ④ 黒の牙城
<勇者協会西方支部>は、事実上の業務閉鎖に陥った。増加する「Q」の中毒者たちが、薬を求めてひっきりなしに集まってくるからだ。前の殺し屋騒動の比ではなかった。
そんな逼迫した状況でまともに捜査が進むはずもなく、仲間たちは神経質になっていた。
張りつめた空気の支部長室で、私はこの状況をそのまま<伝水晶>で本部に報告した。
『そうか……。しばらくはそのヨアシュという魔族の対応に集中できるよう、こちらも調整する』
ドナート課長の落ち着いた声に、少しほっとする。そのちょっと遠くのほうから、レミーさんのぼやきが聞こえてくる。
『っかし、街中ヤク漬けなんて「最果て」らしいっちゃらしいが……魔族連中は何考えてんだ? あんなとこめちゃくちゃにしたって、なんも旨味ねぇだろうに』
「……。そうやって、人々がパニックになってるのを見て楽しんでるみたいです」
『はぁ!? マジで理解できねぇ。きんもー』
確かに、ヨアシュの行動はどちらかといえば愉快犯じみたものを感じる。だからこそ、どういう手を打ってくるかがわからない。
『ともかく、我々にできるのはこのくらいだ。あとはそっちで頑張ってもらうしかない。すまないが……』
「課長が謝ることじゃないですよ。……あ、そうだ。じゃあ、褒めてください。元気貰いたいです」
『!?』
課長は押し黙ってしまい、レミーさんの噴き出す声が聞こえる。
『いいじゃねぇかよ、オーランド! 我らがエステルちゃんの頼みだぜぇ』
『なっ……何を言えばいいんだ』
『たとえばこうだ……ああエステルちゃん、あんな遠い危険な場所で支部長なんて重責背負わされて、しかも今は街の命運を任されてるなんて!! そんな大変な状況でも健気に頑張ってる天使な君を、俺は応援してるぜっ』
『そんな知能の低そうなコメントはできん』
『はぁー!? クソ嫌味垂れるじゃねぇかオイ、もう一緒に飲み行ってやんねぇ!!』
久しぶりにこういうやり取りを聞けて、思わず笑ってしまう。ぶつぶつ文句を言い続けるレミーさんを放置して、課長は仰々しく咳払いをした。
『まあ、なんだ……君は本当によくやっている。立派だと思う』
「! ……ありがとうございます!」
いまだに慣れないのか、課長はすぐに通信を切ってしまった。嬉しくてつい本部が恋しくなってしまう。でも今は街をどうにかするほうが先だ。
手がかりもなく、打つ手もないことに変わりはない。仲間たちも打開策が思いつかないのか、黙ったままだ。
せめて何か言おうと思ったところで、丁寧なノックの音がした。
「今出ます」
そこにあったのは、アイーダさんの生真面目な顔だった。
「失礼いたします。<ゼータ>の皆様宛てに手紙を預かっています」
「ああ、わざわざありがとうございます……――って、そうだ。私、支部長のエステル・マスターズです」
「……ええ」
この異様な緊張感のせいか、今日の返答は今までで一番冷たいものだった。
内心ちょっと落胆しつつ、受け取った何の味気もない封筒を開けてみる。誰からだろう。差出人は――
「――!?」
その名を見て驚愕した。仲間たちも集まって手紙を覗き込む。用は済んだと退室しようとしていたアイーダさんに、スレインさんが鋭い声を飛ばした。
「待て。これはいつ、どこで受け取った?」
「さあ……記憶にございません。仕事用のファイルに挟まっていました」
アイーダさんが覚えていないというなら、それ以上追及はできない。あとは文面から判断するしかない。私はその簡潔に綴られた言葉を、1つ1つ拾い上げる。
――ゼカリヤ兄ちゃん及び<ゼータ>の皆さま。
楽しんでくれていますか? もっと面白いものを見せたいので、僕たちに会いにきてくれると嬉しいです。場所は同封の地図を見てください。
ヨアシュより
グシャッ、と硬い何かがひしゃげる音がした。眉を吊り上げたゼクさんが、怒りのままにデスクに拳を叩きこんでいる。
「あのクソガキ……!!」
「ほぼ確実に罠だが、これ以外に手がかりもない。どうする?」
スレインさんは私に託すような視線を送る。もう、選択肢は1つしかないのだ。あとは私の一声だけ。
「行きましょう」
仲間たちは全員、力強く頷いた。
◇
街の中とは思えない沼地のようにどろどろと湿った場所にひときわ高くそびえ立つそれは、いまだ止まない霧のような雨の中にあって、異様な存在感を放っていた。
この辺りは環境も悪ければ住民も恐ろしい「最果ての街」の中でも特に危険な場所らしく、滅多に近づく人間はいないとのことだった。だからか、あんなに高い建物があってもあまり目立たなかったのだろう。
私たちはヨアシュに指定されたその場所に黙って向かっていく。仲間たちはいつもの数倍神経を尖らせていたせいか、ここに居ついている怖そうな人たちもちょっかいを出してくることはなかった。
真っ黒な山のような建造物のふもと、扉もない入り口に慎重に足を踏み入れる。
「……この建物全体から魔力が漂っています。地下にも何かありそうですけど……特に上のほう、異常に濃くなってます」
床に手をついたヤーラ君が真剣な顔で報告してくれる。その傍ら、マリオさんが壁や天井をつぶさに見回していた。
「何か罠とか仕掛けとかはありそう?」
「そういう類いではなさそうです。魔族が発するみたいな魔力が……」
「じゃあ、ヨアシュ君は上にいるのかな」
私たちは階段で上を目指すことにした。警戒していたわりには敵が襲ってきたりすることはなかった。本当に、ただ上で待っているだけなのかもしれない。
最上階の部屋に辿り着くと、まずは仲間たちが先に戦闘態勢をとりながら踏み入る。私はその後を慎重について行って、中を見渡すと――1人の魔人が待ち構えていた。
それはヨアシュではなく、長髪をお下げにした眼鏡の女だった。
相対するのは初めてだが、誰なのかすぐに察しがつく。
ドクター・クイーンの研究を悪用し、人体実験で何人もの命を奪い、恐ろしい薬物を流通させた根幹となる人物。
当の彼女は、大げさに垂れた両目を開いてびしっと私たちに人差し指を向ける。
「まっ、ままままっ、待ってまし……待ってた、ぞぉ!?」
……。
顔を真っ赤にして変に上ずった声を張り上げたナオミは、あっけにとられて硬直する私たちをおろおろと見回す。
「はれ? えぇ……と、<ゼータ>の皆さんですかぁ?」
「そうですけど、あなたがナオミ?」
「あ、はい。よかったぁ、人違いだったら恥ずかしいところでした……じゃないっ!! えーっと、えーっと……」
ナオミはあわあわしながら手元の小さな紙に目を近づける。気の弱そうな瞳が紙面の上を右往左往している。
「ざっ、残念ながらっ! ここにヨアシュ様はいません! 皆さんはここで私の――えっ? これ言っちゃっていいの?」
どうやらあの紙はカンペ的な何からしい。凶悪な敵と対峙しているはずなのに、その緊張感が台無しになってしまう。
ナオミが再び台本を読み上げようとしたところで、急にその身体が床に引きずり倒された。
「ほぇ!?」
「悪いけど、ゆっくりお話を聞いてる暇はないわよ」
すかさずロゼールさんが氷魔法を放ち、ナオミの手足を氷で拘束する。
「はわ!! はえ!? 冷たいです~~~っ!!」
じたじた暴れるナオミから、マリオさんが糸を回収する。あれで引っ張って姿勢を崩させたらしい。スレインさんとゼクさんがおっかない顔で無力な魔人に近づいていく。
「今出回っている薬は君が作ったものだな? あれの解毒剤のようなものは作れないのか」
「そ、そんなの言えません~~」
「じゃあ、ヨアシュのクソボケはどこにいるんだ? 言わなきゃ顔面ぶん殴る」
「ひゃあ! 私も知らないんですよぉ~~」
捕まってしまったというのに、ナオミはあの調子のままだ。そこでヤーラ君が険しい顔になる。
「さっきの……1人分の魔力量じゃなかったですよ。何か潜んでます!」
「え?」
「そうそう! ここにはですねぇ、私の作った魔物さんたちも連れて来たんです~」
のん気な調子とは対照的に、見たこともない禍々しい魔物たちが、どこからともなく部屋中に湧いてきた。




