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#24 カタストロフ② 渦中の人

 こんな状況でも、ファースさんはオフィスで平常通り仕事に励んでいる。いや、あえてそうすることで他の職員たちの動揺をなだめようとしているのかもしれない。


 私がマリオさんやヤーラ君と一緒に聞き取りしたことを伝えると、ファースさんはその目をわずかに細める。


「……ソルヴェイさんから薬を貰ったと、本当にそう言っていたんですか」


「嘘をついている素振りはなかったし、証言の内容もかなり具体的だったけど、魔族にそう思うよう仕向けられている可能性もある。クイーンがわざわざ自分から名乗り出るのも不自然だしね」


 マリオさんがそう補足すると、ファースさんも小刻みに頷く。


「『Q』って、具体的にどういう作用があるかわかります?」


 ヤーラ君が質問すると、ファースさんは対面に座っているアイーダさんに視線を移した。彼女は確かソルヴェイさんと一緒に魔族が開発した薬品を調べる担当で、分厚いファイルからすぐに記録を取り出し、ヤーラ君に手渡す。


 私もそれを覗き込んでみるが、よくわからない専門用語やら記号やら図なんかがびっしりで、ちっともわからなかった。真面目なヤーラ君は丁寧に文字をなぞりながら、じっくり読み込んでいる。ある部分で、ぱっと目の色が変わった。


「……この、『特定の感情や記憶に異常に執着するようになる』って――」


「なるほど。ヨアシュ君が人を幻惑する魔術を使うとしたら、その薬はすごく便利だね」


「これってつまり、脳に直接影響するってことですよね。並大抵の技術じゃないですよ……」


 あの職員さんが薬のことやソルヴェイさんのことばかり繰り返していたのを思い出す。そのこと以外考えられなくなっていたんだろう。


「『後遺症として、身体的苦痛や幻覚・妄想、重度の記憶障害』……しばらく尾を引きそうですね」


「あの職員さんを助ける方法はない?」


「難しいと思います、けど……そもそもこれを開発したドクター・クイーンなら可能かもしれません。魔族が手を加えたとはいえ、元々の性質はほとんど変わっていないみたいですし」


 私はクイーンがソルヴェイさんではないと信じている。でも、だとしたら本物はどこにいるんだろう?


「これ、ソルヴェイの言ったことをそのまんま記録したの?」


 資料をそれとなく覗いていたマリオさんが、アイーダさんに尋ねる。


「そうだと思います。覚えてはいませんが」


「わからないところは『わからない』とそのまま表記してありましたからね」


 ファースさんが苦笑する。そういえば、私が立ち会ったときもアイーダさんはひっきりなしにペンを動かしていた。


「ふーん……」


 紙面に落とされるマリオさんの視線が、にわかに鋭くなった。



 オフィスを出たところで、そっと近づいてくる影に気づく。いつもの慌ただしい登場の仕方ではなかったので、ちょっとびっくりしてしまった。


「狐さん? どうかしました?」


「いや、その……今、どんな話になってるのかなって」


 状況が状況だから、狐さんも不安なんだろう。白い尻尾もしゅんと垂れ下がっている。


「大丈夫ですよ。魔族もなんとかするし、ソルヴェイさんの潔白も証明します」


「あー……そう。エステルちゃんは、ソルヴェイちゃんを信用してるのね」


 何か引っかかるような濁し方だ。サングラスの奥の目は気まずそうに横に流されている。そこで、マリオさんがズバリと図星を突いた。


「狐君はソルヴェイを疑ってるんだね」


「ぎくっ。い、いや、俺はその……」


「私は怒ったりしませんよ。無理もないと思います」


「こんなに根拠なく人を信じられるの、エステルさんくらいですからね」


 ヤーラ君が半分呆れたように言い添える。私、そんなに変わってるかなぁ……?

 狐さんは面目なさそうにほっぺを掻いている。


「……なんか俺、ソルヴェイちゃんに嫌われてる気がしてさぁ。何かやらかした覚えはねぇんだけど、ちょっと怖ぇんだよなぁ。旦那はもうおっかないくらいマジになってるし」


「心配ありませんよ。ソルヴェイさんは、いい人ですから」


「旦那と同じこと言ってらぁ」


 ようやく狐さんは力を抜いたように笑ってくれた。


「狐君、ギャングの人たちが今どう動いてるか知ってる?」


 マリオさんが唐突に質問する。なんで狐さんに、と思ったけど彼は当然のように答えてくれた。


「ああ、組織と関わりのねぇとこでヤクが広まってるからなぁ。青犬が出所掴もうと躍起になってる……――らしい、ぜ? ハハ……」


 よくいろいろなニュースを持ってくるだけあって、情報通だなと感心する。狐さんはごまかすように笑いつつ、耳をぴくぴく動かした。


「あっ。ゼクの兄貴たち、帰ってきたっぽいぜ? お、俺はここでお暇するからよ、頑張ってな」


 敏感な聴覚で捉えたらしい知らせを告げて、狐さんは逃げるように去ってしまう。引き止める理由もないので、私たちはそのままゼクさんたちを迎えに行くことにした。



 まだ降り続いている雨にしっとりと濡れたゼクさんとスレインさんは、揃って苛立たしげな顔でロビーに立っていた。拳や服に本人のものではないであろう血がついていて、そんな顔をしているわけを察してしまった。


「お疲れ様です。どうでした?」


「街中イカレたクソ共ばっかだ。<勇者協会>の人間ってだけで絡んできやがるからよ、全員ぶっ飛ばしてやった」


 ただでさえ吊り上がった目をさらに凶悪にして吐き捨てる。隣のスレインさんもうんざりしたように腕を組んでいる。


「絡んできた連中で、正気を保っていそうな奴はほとんどいなかった。そして、全員が全員同じようなことを言っていた。『薬はソルヴェイに貰った』と」


「じゃあ、それは嘘で確定だね」


 マリオさんがすかさず断定する。スレインさんもゆっくり頷いた。


「その通り。どう考えても、この短期間に1人で捌ける人数ではなかった」


 その話を聞いてほっとする反面、魔族の卑劣なやり方に憤りを感じてしまう。なぜソルヴェイさんが槍玉にあげられているのか。彼女は今、どうしているんだろう……。



  ◆



 その部屋は、入ることも出ることも許されない封鎖された区域のような閉塞感を放っていた。事実、「一般職員立入禁止」という紙がドアに貼りついて、外からの侵入を拒んでいる。「職員でもないし」とその警句を堂々と無視して、ロゼールはノブに手をかけた。


 中に入ると、足を組んで座ったまま虚空を見つめていた彼女がゆっくりとこちらを向く。


「こんにちは」


 ロゼールは旧知の仲のように笑顔で挨拶する。今まさに渦中にいるはずの人物――ソルヴェイは、そうとは思えないほど落ち着き払っている。


 一見気だるそうな顔から、返事は永遠に来そうにない。明敏な頭脳を持ちながら多くを語ろうとしないのは、単に生来の面倒くさがりな気質によるものだとロゼールは理解している。が、今はその怠惰さよりも警戒心がまさっているらしい。


「大変そうねぇ。大丈夫よ、うちのエステルちゃんがあなたの名誉を守るために頑張ってるから」


 エステルのことに触れたせいか、ソルヴェイは少し警戒を解いたようだ。名前だけで安心感を与えられる彼女に、ロゼールは密かに感心する。


「でも……賢いあなたなら、あの根も葉もない噂を否定するに足る証拠を出せるんじゃないかしら?」


 遠慮や気遣いなど一切無用、いきなり本題に踏み込むのがロゼールのやり方だ。大抵の人間は動揺し、偽りのベールを滑り落として本心を露わにしてくれる。だが、ソルヴェイは取り繕った鎧を脱ごうとはしなかった。


 その姿は、先ほど見たあの度胸の据わったホビットとよく似ている。たった1人になっても戦い続けることを固く決意しているような、そんな姿。


 ロゼールはソルヴェイを見つめ、ソルヴェイは今一番気にかけなければならない人間のことを見据えている。それが誰なのかは、すぐにわかった。


「……あなた、優しいのね」


 さっきの愛想笑いとは違う本心からの笑みを送る。それで完全に警戒を解いてくれたのか、ソルヴェイもまた小さく笑うが、それはどこか自嘲を含んだ寂しげなものだった。


「そういうんじゃないよ。ただの……罪滅ぼし、だから」


 彼女はそっと顔を背けて、それっきり何も言わなかった。

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