#18 Rainy Night⑤ 調停者
ちょっと贅沢をしたいときにだけ吸う葉巻の煙をたっぷり肺に入れて、ファースは寝起きの一服を楽しんでいた。
西方支部内の休憩室のソファで目覚め、なぜか付き添ってくれていたアイーダに事情を聞き、引き継いでくれたというエステルに甘えてもうしばらく休もうとベランダに出ていた。
昨夜から降り続く雨と、嵐のような凶悪勇者たちにボロボロにされた街並みという殺風景な眺めではあったが、激務からの解放感もあって気分は決して悪くはなかった。
そろそろ先に仕事に戻ったアイーダと合流しなければ、と名残惜しくも部屋に戻ると、思いがけない人物がそこに座っていて、小さな身体がびくっと跳ねる。
「こんにちは、可愛いホビットさん。よく眠れたかしら?」
黄金色に輝く長髪と翠玉のような瞳、エルフらしい端麗な容姿を持つ彼女は、紅茶を片手に艶美な微笑を浮かべていた。
「えーと……ロゼール、さん?」
「ええ」
麗しの美女に微笑まれても、ファースにはすっかりこの危険地帯の行動規範が身についているため、喜びよりも警戒心が優先されてしまう。彼女があの凶悪勇者の一員とあらば、猶更だ。
「な、何かボクにご用ですか?」
「そんなに怖がらなくてもいいのよ。お仕事、手伝ってあげようと思って」
なんてことはない好意的な提案にも、猜疑心に染まった脳は警告を発する。彼女はお前をとって食うつもりかもしれないぞ、と。
「とって食ったりなんかしないわよ」
心を読まれているのか。
「すみません。えっと、こういう仕事にはご経験が?」
「全然。事務なんてつまらなそうなの、一生やりたくないわね」
「はい? あの、手伝ってくれるのでは……」
「そうね、ちょっと訂正。あなたを手伝ってくれる人を探すのを、手伝ってあげる」
◆
この支部で最も広い会議室に、大勢の職員や勇者たちが集められている。
なぜ自分がこんなものを主催することになってしまったのだろう、とファースは主な原因である金髪のエルフを一瞥する。彼女は壁際の椅子に優雅に座って、さっそくうとうとし始めている。何をしに来たのか。
話し合えばいい、とロゼールは言った。単純ながらもっともなアイディアだが、それは自分の話が素直に聞き入れられる場合のみで、無理やりここに集められた人々の様子を見るに、それは叶いそうもない。
「えと……それでは、<勇者協会西方支部>経営改善のための会議を始めます」
ファースは一応それらしく開始の挨拶を述べる。返答どころか視線を向けてくれる人間すらほとんどいない。顔見知りであるアイーダとソルヴェイもいつも通り反応が薄く、頼れそうもない。
「……具体的には、一部の職員に業務量が偏りすぎていたり、担当の職務が円滑に行われていなかったりといった問題を改善したいのですが――」
しん、と静まり返ったままの室内。これじゃ壁と話しているのと変わらないな、と苦笑する。
「ファース君が適当に仕事振っちゃえばいいんじゃないかしら。そのへんの、暇そうな人に」
ロゼールは助け船を出したつもりかもしれないが、彼女が「暇そうな人」と手振りで示したのは前支部長のお墨付きだった上役たちで、あからさまに苛立ちと不機嫌を露わにした。
「暇だと!? 我々は業務全体の管轄を執り行う、いわばブレーンだ。末端の仕事は末端の者がやればいい!!」
「現状うまくいってないんだから、そのブレーンが無能ってことよね。まとめ役は新しい副支部長さんに任せて、あなたたちも末端からやり直しなさい」
「なっ!! 余所者のくせに、偉そうなことを――」
喚いていた管理職の男が静かになったのは、その口を氷で封じられたからだった。
「うるさいお口はチャックしちゃうわよ~。鼻まで凍らせたら呼吸ができなくなって死んじゃうわね、あなた。うふふふっ」
無邪気に笑う妖艶な悪魔に、全員が凍りつく。おもに力の論理で動くこの街の人間たちは、この場で最も逆らってはいけないのが誰かを理解しただろう。
「どうせ、今まではあのガマガエル支部長が独裁者みたいに振舞ってたんでしょう? あれはもういないし、もう自由にものを言っていいのよ。この副支部長さんなら、うまくまとめてくれるから」
白く細長い指を肩に乗せられたファースは急にハードルを上げられて辟易としていた。
参加者たちのほうは少し気が変わったのか、若い勇者の1人が手を挙げる。
「じゃあよ、報酬もっと弾んでくれよ。俺たちは危険冒して戦ってんだぜ? ガキの小遣い程度の駄賃じゃあ、まともに働く気も失せちまう。支払いも遅ぇしよ」
その発言に、勇者側も何人か頷いて同意する。一方で職員が反論に転じた。
「そうは言いますが、勇者のほうで虚偽の報告をでっち上げて、報酬をせしめるという事例が後を絶ちません! そのせいでクエスト達成の審査は厳しくやらないといけないし、そのぶん時間も取られてるんです!」
「そんなの言い訳だろうが! 賄賂に出す金はあんのに俺たちには回ってこねぇ!! どうなってやがんだよ!!」
喧嘩に発展しそうな雰囲気にファースは慌てたが、ロゼールが静かに若い勇者の背後に回って肩をトンと叩いただけで、2人は凍りついたように黙った。
「ほら、落ち着いて。副支部長さんが困っちゃう」
そこでようやくファースは、ロゼールが会議を円滑に進められる環境を整えてくれているのだと気づいた。
「……つまり――クエスト達成の確認作業が大変ってことですよね。ロゼールさん、本部ではそのへんどうやってるかわかります?」
「うちは調査部が事前調査から達成確認までやってるけど……ここには調査部もないんだったかしら」
「ないですね……勇者さんたちの報告に頼りきりで。職員が同行するにしても危険ですよね。調査用のパーティを作るか、証明になるものを用意していただくか……」
ファースはメモを取りながら思案を巡らし、ふと頼りになりそうな人がいるのを思い出す。
「ソルヴェイさん、事実確認に使えそうな道具って作れます?」
「わかんねぇ」
「できるそうよ」
予想通りの返答に落胆しかけたファースだが、ロゼールの言葉にはっと振り返る。
「できるわよ。ねぇ?」
エルフ同士通じるものがあるのか、ロゼールはソルヴェイの意思を完全に理解しているかのようだった。
「……では、次に給与の件ですね。ランクやクエストの難易度で決めたいところですが――」
「今までは支部長に貢いでた奴がランク上がるシステムだったよな」
「俺は実力で上げたぞ!!」
「わかりました、わかりました。客観的な基準を設けましょう。クエストについては……」
「民間から魔族被害に関する報告も頻繁に届きますが、未解決のままの案件が山積みで……」
「そんなクエスト知らされてねぇぞ!」
「必要なポーションも届くのが遅いのよ! それまで動けないし……」
今までの鬱憤を晴らすかのように、次々に問題点が指摘され、そのたびにファースが話を整理して改善案を提案する。ヒートアップしそうになるとロゼールがそれとなく抑制していたが、だんだんファースの言うことも聞き入れられるようになっていった。
「――それでは、皆さん。やることはわかっていただけましたかね。いつでもご相談はお受けしますので、今後ともよろしくお願いします」
全員が副支部長の小柄に目を向け、その挨拶に軽い返事も交わされる。
不満を吐き出してスッキリしたのか、新体制への希望が見えたのか、会議を終えれば皆一様に晴れやかな顔をして席を立っていた。
◆
「いや、本当に助かりました。ありがとうございます」
「そんな無邪気な笑顔見せられたら、キュンとしちゃう」
冗談か本気かわからないロゼールの微笑にファースも狼狽したものの、それは晴れ晴れしい気分を霞ませるものではなかった。
「ホビットは器用貧乏、なんて言われるけど……そのバランス感覚、もっと評価されていいと思うのよね」
ふいにファースは思い出した。支部長として推薦されたときに、ロゼールが「向いてる」と言っていたのを。あれはお世辞でもなんでもなく、あのときすでにこの調停者としての才能を見抜いていたということなのだろう。
驚異的な眼力を持つ彼女は、1つ欠伸をして宿舎に戻ってしまった。
ファースも残りの仕事を片付けにオフィスへ向かう。まだ山のように処理すべき書類が残っているだろうが、今後はあそこまで増えることはないだろうと思えば、少しはやる気が出てくるのだった。
しかし、自分のデスクを見た彼は、信じがたい光景に目を見開いた。
塔のように積み上がっていた紙束は綺麗に消え去り――代わりに、小さな棚サイズのよくわからない機械のようなものが、部屋の隅に佇んでいたのだ。




