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#15 黒い世界より⑪ 命の温度

 宮殿の美しく手入れされた中庭は、一面赤黒い血で埋め尽くされている。

 その惨状を拵えた殺し屋を、ヘルミーナは上目がちに見つめる。彼女の元仲間で、恋慕の情を寄せ続けていた相手は、今まさに敵という立場にある。



「ヘルミーナは、サラやヴコールの友達になったのかな?」


 平板な口調だが、それは尋問と変わらないものだと彼女は知っている。

 どう答えるべきかわからなくて、少し黙った。それを察したのか、彼は聞き方を変えた。


「トマス君たちを不利な状況に陥れることに協力したのは、君の意志かい?」


「はい」


 裏切っているつもりはなかった――というより、初めからそこまで協力する意志もなかったのだが、クエストを交換する作戦を漏らしたのも、ノエリアを見捨てたのも故意ではあった。


 帝位争いとか国家の危機とかそんなものは眼中になく、すべては彼に殺されたいという悲願のためだ。

 皇子を陥れるつもりもなかったし、仲間たちのこともどちらかといえば好きだった。だが、彼女にとってそういうものは淡雪のようにすぐに消えてなくなってしまうものだから、あまり意識に上らなかった。



 切れ長の目が、彼女を観察する。嘘かどうかを確かめているのだ。

 そうだとわかっていながら、ヘルミーナは照れ臭くなってぬいぐるみに顔をうずめる。


 その、温かくて柔らかい感触が突然消えて――彼女は顔を上げた。


 姉に貰った宝物は、糸に引っ張られて、同じ名前の彼の手にぽんと収まった。


「……」


 何もなくなった両手にあるのは、空気の冷たさだけ。



 実家が経営する病院の屋上から飛び降りた、姉のことを思い出した。


 血だまりの中で四肢をねじ曲げながらもわずかに息のあった姉を、幼いヘルミーナは偶然見つけた。慌てて駆け寄ったが、手遅れだった。自分の手に伝わる体温が徐々に消えていって、それが命の消失なんだと思った。


 姉の自殺は過労によるものと判断され、腫れ物のように扱われて、みんなの記憶から消されてしまった。


 姉に貰ったぬいぐるみをずっと持っているヘルミーナも、家ではほとんど空気と同じだった。

 それならまだいい。前のパーティでは、人間としての扱いすら受けなかった。自分が本当に存在しているのか、わからなくなった。


 だが、彼は――モーリス・パラディールはそうではない。



「……ぬいぐるみは、なくても大丈夫になったのかい?」


 平気な顔で立っているヘルミーナを見て、不思議に思ったのだろう。当の彼女にも不思議だった。


「なんでだろう……わからない、けど。今は、なんていうか、すごく……温かいから」


「そっか。じゃあ、悪いことしちゃったね。ちょっとほつれちゃったし、今度また直してあげるよ」


 そう言って、彼はぬいぐるみを返そうとのこのこと歩み寄る。



 どっ、と背が地面についたのに気づいた頃には、その細い首が両手でしっかりと押さえつけられていた。



 自分に覆いかぶさっている眼前の身体が、太陽を背に受けて影法師のように見える。首に触れている手はひやりと冷たくて、高すぎる体温を冷ましてくれているような気がした。

 それでも早まる脈拍は止まらなくて、それが手を介して伝わっているのかと思うと、余計に身体が熱くなっていく。


 ――早くその手に力を込めて、この脈動を止めてくれればいいのに。


 間近に見える顔からは、いつも貼り付けている笑顔が薄れていて、細い目からいぶかしげな瞳を覗かせている。


「……殺さないの?」


 我慢できずに聞いてしまう。彼は表情を変えない。


「君が全然抵抗しないから」


 ――ああ、怪しまれちゃったのかな。モーリスは警戒心が強いから。


「もしかして、ぼくに殺されるためにこんなことをしたのかい?」


 怪しむどころではなく、その言葉は図星を突いていた。


「……どうして?」


「前に聞かなかったっけ。『殺してほしい人はいないか』って」


 ヘルミーナは記憶を辿る。前のパーティで、雪山に置き去りにされたことがあった。暗くて寒い中を迎えに来てくれた彼は、温かいスープを作ってくれた。そのときだ。


「ぼくはてっきりカスパルの名前を出すかと思ってたんだけど」


「カスパル?」


「前のリーダー。忘れちゃった?」


 そういえば、そんな名前だったかもしれない――ヘルミーナにはどうでもいいことだった。


「君はこう言ったんだよ。『私を殺して』って」


「……うん。思い出した」


「それは、なんでかな」


「だって……私を殺したら、モーリスはずっと私のことを忘れないでいてくれるでしょう?」



 作り笑顔が、完全に消えた。



 彼は手を離し、そっと立ち上がった。


「……どうして……殺してくれないの?」


「リーダーに言われたんだよ」


 今度は優しく微笑んで、仰向けになったままの彼女に手を差し伸べる。


「君を助けてほしい、ってね」


 その手を握り返すと、自分の体温ですっかり冷たさが消えているのに気づく。起き上がった彼女に、今度こそちゃんとぬいぐるみを返してくれた。


 リーダー――エステルという名前だった。他人に頓着しないヘルミーナも、なぜか彼女のことはよく覚えている。

 応援する、と言ってくれた。殺されたいと本音をこぼしても、何も言わないでくれた。握ってくれた手は、温かかった。



「ぼくは別に、殺した人間だけを記憶してるわけじゃないんだよ」


「え?」


「基本的にどんな人のことも覚えてるさ。ただ、死んじゃった人はもう姿を見れないから。だから人形にしておくんだ」


 それでも、居場所がないまま生きていくくらいなら、死んで人形として記憶に残してくれるほうがいい――そう思いながら、ヘルミーナはうつむく。


「……私はもう……戻るところがないから」


「またぼくたちに協力してくれればいい」


「今更、誰も私のことなんて受け入れないと思う……」


「ぼくは気にしないよ?」


 はっとした。


 モーリス・パラディールに感情などは関係ない。友達であろうと敵ならば殺すし、裏切り者だろうと味方になるなら引き入れる。



『とりあえず言いたいことを伝えてみなさい? 聞きはするから』


 そう言ったのは、確かノエリアが尊敬しているという金髪の女性だった。名前は失念したが、ヘルミーナはその言葉を信じることにした。


「あの……モーリス。お願い、っていうか……その……」


「うん?」


「あ、待って」


 思い出したように、ヘルミーナは駆け出す。さっきまで意識の外にあった2人の獣人の親子を、ぱっと手早く治療した。しばらくすれば、意識も戻るだろう。


 それからくるっと振り返って、恥ずかしそうに口を開いた。


「あ、あのね……えっと……私のほうから、協力……したいことがあって」


「なんだい?」


 ヘルミーナは顔を赤らめながらも、勇気を振り絞って打ち明けた。



「モーリスに、殺してほしい人がいるの」

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