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塔の上の妃  作者: たろう
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 マーサが死んだ。

 レイノルドへの贈り物を送ったのが去年の年末だった。マーサは三か月寝込んだ。春はもうすぐそこだったのに。春になったら元気になるわね、とジョルジュと話していた矢先のことだった。



 長いこと体調を崩していた。長い間発熱が続いて、その風邪をこじらせ、ずっと咳が抜けず、ひどくなるいっぽうだった。薬を飲み続けていたけれど、回復する様子が見られなかった。

 マーサは病気が私にうつらないようにと、私に看病をさせてくれなかった。ジョルジュも私を制止した。自分が代わりにお世話をするからと。私は毎日マーサの部屋の扉の前まで行ってはジョルジュに容体を尋ねた。

 扉の向こうから咳が途絶えることなく聞こえてきた。

「すぐに良くなります。お気になさらないでください。」

 マーサは繰り返し私に言って聞かせた。

 そしてある冬の朝、私が起きて階下へ降り、扉をノックするとすぐには返事がなかった。少し遅れてジョルジュの私を呼ぶ声が小さく聞こえた。その瞬間の私の気持ちをなんと表現したらよいのだろうか。

 一瞬で世界が真っ黒に塗りつぶされた。胸がつぶれそうになった。扉の向こうに何が待ち受けているのかわからないのに、それでもそれが最悪の事態であると瞬時に悟った。扉だけが私の視界に存在していた。知らず足が震え、押し開けた扉が緩慢に開いていくのが見えた。閉じられた鎧戸のせいで部屋は暗かった。

 そして。

 ジョルジュが床に膝をついてベッドに両肘を乗せていた。両手は頭の前で組まれ、微動だにしない。

 マーサはベッドの上にきちんとした格好で横たわっていた。足先までしっかりと伸び、両手は胸の少し下で組まれている。全く動きを失ってしまった体。

 私はジョルジュとマーサの名を読んだ。それは他人の声に聞こえるほど小さくかすれていた。

「愛する者のもとへと旅立ちました。」

 そうジョルジュが言うのを聞いた気がした。

 それから先の記憶はない。

 

 気付くと私は自分のベッドの上にいた。ジョルジュがベッドの側の椅子に腰かけている。私が声をかけると、緩慢な動作でうつむいていた顔を持ち上げて私を見た。泣き出すのをこらえるような顔をしていた。

 窓の外は雪がちらついている。どこまでも真っ白な世界が広がっていて、マーサがこの雪の中、深い森の奥へと歩き去っていく光景が突然脳裏に閃いた。

 私とジョルジュは何も話さなかった。日が暮れ辺りが暗くなり、寝る時刻がくるとジョルジュがおやすみなさいと挨拶をした。ろうそくをもったジョルジュが部屋を出て扉を閉めると、世界は真っ暗になった。

 暗い部屋の中で枕に頭を乗せながら、私はここで過ごした日々を思い出していた。三年。長かくつまらない日々に私たちはうんざりしていた。それなのに、あまりに単調な毎日から逃げ出したいとあれほど思っていたのに、三人での質素な暮らしが永遠に続くのだと私は思い込んでいた。

 三人でいれば何も怖くなかった。いつか、三人でこの塔を出て、国へ帰るのだと話した。

 けれど、マーサがいなくなり、魔法は解かれた。私の上に茫漠とした不安がのしかかってきた。時間は流れていく。これから先もずっと幸せでいられるなどと、誰が保証してくれるのか。

 私はこの日初めて、人生が恐ろしいものなのだと知った。


 私たちが通常の生活を送れるようになるのに三日かかった。いまだマーサの死から立ち直ったとは言えなかった。その間、マーサの体はずっと彼女の部屋のベッドに横たえられたままだった。真冬の寒さのおかげでマーサはあの日からどこも変わっていなかった。

 この三日の間、私はろくに食事が喉を通らなかった。ジョルジュも見たことがないくらいに落ち込んでいて、それなのに、私のせいではないと慰めてくれた。出来る限りのことはしたのだからと。


 入口を警護している騎士たちに頼み込んで私の部屋の窓から見える地面に穴を掘ってもらった。雪がつもり、地面は凍り、とても大変だっただろうに、二人は文句も言わなかった。その穴いマーサを横たえた。私はマーサに教わりながら初めて作ったレースのコースターを一緒に埋葬した。

 墓標となるものはなにもなかった。ジョルジュが彼の剣を地面につきたてた。この三年使う機会がなかったのだから、これから先も使う機会はないでしょう、と言って。

 主のいなくなった部屋に入ると空気は外と変わらないくらいに冷たかった。何もない部屋。彼女のもちものはお仕着せのエプロンドレスと下着と靴と。それからその他細々したものと、一緒に作った刺繍とレースと絵。

 どの家具もすかすかで、その中に一枚のハンカチが大事そうに収められているのをみつけた。私がここにきて初めて刺繍したハンカチだった。私がここへ引っ越してきた記念に、といってマーサに渡したものだった。自分がこれからどうなるのかの不安を冗談でごまかすために口から出た言葉だった。するとマーサが嬉しそうに私の刺繍をなでて、本当にいただいてもよろしいですかと聞いてきたのを思い出す。

 そういえば私は、マーサが専属の侍女になってから何かを贈ったことがなかったことを思い出した。そうと気付くと胸が張り裂けるようだった。


 私はどれくらいそこにいたのだろう。ジョルジュに声をかけられたことにも気づいていなかった。お体が冷えますよと、優しく肩を叩かれて意識が覚醒した。ジョルジュがハンカチを私の頬にあてる。

 私は知らず泣いていたらしい。

 それから、マーサのお仕着せと彼女の毛糸のストールと、この三年で彼女が作った作品の全てを持って、自分の部屋に戻った。

 今になって思い返してみると、ずいぶん前から兆候はあったのだ。だるそうにしていて、私が声をかけると少しぼんやりしてしまったのだとごまかしていた。その時気づいていたらこんなことにはなっていなかったかも知れない。そう思うと自分の不甲斐なさを責めずにはいられなかった。

 私はマーサが体調が悪化してからすぐに陛下に直訴のお手紙を書いた。薬をお送りくださいと。さらに、医者を呼ぶか、できれば離宮へとせめてマーサだけでも返して欲しいと。しかし、何の音沙汰も無かった。それでも私は三日に一度、手紙を書いた。さらに父にも手紙を書いて送った。父からも助けてくれるように頼んで欲しいと。それから、至急薬をおくってくださいと。

 私はドレスと宝石を料理人夫妻に渡し、これでできる限りたくさん風邪薬を狩ってきて欲しいと頼んだ。私の必死の様子に彼らは次の日には持ってきてくれた。

 けれど助からなかった。



 私はこの時生まれて初めて、心の底から誰かを憎いと感じた。

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