あの子と不器用な俺の物語
あの子はいつも、囁いていた。
…誰かを想う心のうちを。
その姿を見るたびに、心が軋み、いっそ囲い込んでしまおうかと暴走しそうになる心を押し止めるのに必死になる。
楽しそうに仕事をするあの子の姿を知っているから、それだけはダメだと心に言い聞かせて。
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あの子と初めて会ったのはいつの頃だろうか。
7歳の頃から行儀見習いとして、たくさんの貴族の令嬢達が俺の周りに増えた。
幼いながらに、未来の婚約者候補もこの中にはいるのだろうと察していた。だから、なるべく一人一人を気にかけるように意識して交流をした。
それが悪かったのだろうか。
勘違いした令嬢達が、自分の仕事もおざなりに俺に媚を売ることばかりをするようになってしまった。令嬢同士で牽制や諍いも絶えない。
勿論、いき過ぎなアプローチは諌め、時には解雇した。
けれど、国の勢力関係というものもあり、高位の…特に伯爵以上の令嬢達は安易に辞めさせることも諌めることも難しかった。
ある意味で、父から出された課題なのだとも思った。
王になるとは、国をおさめること。
後宮もおさめられない人に、国など到底おさめられないという意思表示なのだろう。…まぁ、本物の後宮ではないけれど。
その証拠に、宮殿内で令嬢達の諍いがあることは誰もが知る事実なのに、父も母も何も言ってこない。
ただ、俺の申し出を受けて、解雇したり、雇いいれたりするくらいだ。
そんな令嬢達のやりとりにほとほと嫌気がさしてきた15歳の頃、あの子はやってきた。
自分が1番と着飾ることばかりに意識が向くのが貴族令嬢なのかと思い始めた頃、傍付きの侍女の1人としてやってきたあの子は、とても、素朴だった。
男爵家には、成金と俗に言われるお金持ちと、爵位だけはあるけれど貧乏という2つのパターンがよく聞かれる。
あの子の場合は、後者なのだろう。
ここにも、行儀見習いという名の婿探しなどではなく、お金を稼ぐために来たのだと令嬢達が噂していた。
家族のために働くことは素晴らしいことだと思うのに、令嬢達は嘲笑の言葉を浴びせる。
…確かに、この王宮内で働くには些か地味なドレス姿だと思ったが、かといって、働く上で汚ならしいというわけでもない。
むしろ清潔感があって、俺は好ましいと感じていた。
…その頃からだろうか。
俺の周りのものがほんの少し…けれども確実に変わってきたのは。
始めに気付いたのは、部屋に飾られた花だった。
ついこの間まではいつも代わり映えのない薔薇や百合等の華やかな花だった。
「王太子たる殿下には華やかな花がお似合いですわ。」
そう言って、さも自分が選んで摘んできたのだと言わんばかりに令嬢は言う。けれど、家から連れてきた侍女に頼んで摘んできて貰っているのは知っている。
…それにそんなことを言ってくる令嬢の手を見ればすぐわかる。
あれは、何も知らない、穢れを知らない女性の手だ。
行儀見習いの仕事は、確かに下男下女がするような水仕事よりも、刺繍やマナー、ダンスレッスンといった貴族令嬢として社交に出ても恥ずかしくない令嬢になるための学びがメインではある。
けれど、我が王家の家訓として、【庶民や下位の貴族の立場を知らないで国を治めることは不可能だ】という考え方があり、当然未来の王妃となる俺の婚約者にもその考えが必要不可欠な為、行儀見習い中には水仕事もやって貰っている。
令嬢達がその仕事を厭い、自身の侍女にやらせているのは知っている。そのくせ、さも私がやりましたと堂々と宣言してくるのだから肝が据わっていると思わざるを得ない。
…そんな花が、普段見慣れない可愛らしい野花が散りばめられていた花になっていた。一度きりかと思っていたけれど、連日同じように野花が飾られている。
…野花とはいうが、王室庭園で咲くような華やかな花ではないだけで、街では一般的に好んで花壇で植えられている花々だ。
実をいうと、王宮内にも植えられている区域があることを知っている。
俺が令嬢達からの隠れ蓑として利用している、図書館の奥にある屋根裏部屋から見えるのだ。
そこの小窓は小さくて、周囲からは見つかりにくいので密かに憩いの場として利用していた。
…そういえば、最近は成人してからというものの利用していないなと思い返し、久々に行ってみることにした。
人目につかない早朝を狙って図書館に行き、そして、見つけた。
誰が、あの花を用意してくれていたのか。初めてその時知った。
…自ら手折り、楽しそうに花を選ぶあの子の姿。
それは俺の脳裏に焼き付いて離れなかった。
ある日偶然花を活けてる姿を見たので、声を掛けた。
「いつも綺麗な花をありがとう。」
「い、いえ。私の仕事ですから。」
そういうと、少し頬を赤らめて、足早に出ていってしまった。
それからというもの、彼女に目がいくようになっていった。
そうして観察していると、あの子は他の高位の令嬢達に、何度も仕事を擦り付けられていた。
それをあの子は1人でこなしていく。
公爵家や侯爵家からの報復が怖いのだろう。
男爵、子爵家の令嬢は見て見ぬふりをしている。
伯爵家の令嬢は便乗して失敗した仕事を押し付けたり、容姿や家柄を侮辱したりしている。
けれど、彼女は怒るでもなく、いつも黙って頭を下げ、仕事に戻る。その仕事は、どれも完璧でいつも部屋は綺麗だし、目の行き届かないような細かい部分まで清掃が行き届いている。
俺はその後、幾度もあの屋根裏部屋に足を伸ばした。
本を読むふりをして、その裏庭にあの子が来るのを期待した。
そうすると、そこが、彼女にとっても憩いの場なのだということを知った。
いつもはあまり喋らないあの子が、ここに来ると表情が露になり、楽しそうにしたり悲しそうな表情をしたりする。
誰にも言えない感情をここで吐露しているのだろう。
そのいじらしい姿を見てしまうと、今にもこの部屋を飛び出してあの子を抱き締め慰めたい衝動に刈られる。
けれど、そんな俺の一方的な想いを彼女にぶつけるわけにはいかない。…そう、俺はあの子に恋している。
でも、あの子の想いを聞かず、婚約するのは何かが違うと感じていた。
だから、俺は令嬢達に意地悪をされているあの子を助けるべく行動に出た。なるべく波風を立てないように。…助けたことで、あの子の立場が悪くならないように。
そうして、あの子と接触し交流をしながら、あの裏庭であの子の人となりを知っていくと、ますます想いが募った。
だから、俺は決断した。
あの子と出会って3年。
俺は18になった。そろそろ婚約者をと父にも言われていた。
だから、俺は外堀から埋めていくことにした。
行儀見習いの令嬢達の粛清、そして、その父親である公爵家を筆頭とした主だった国政に関わる面々への根回し。
…何より、男爵家であるあの子と婚約するための準備を。
今のままでは、あの子と婚約者候補として話すこともままならない。あの子に俺を好きになってもらうのはそれからでいい。
あともう少しで婚約までこぎつける。
…そう、思っていた矢先だった。
『大好きです』
『…私も貴女のように、なりたいの』
そう頬を赤らめるあの子の声を聞いたのは。
…実は、ここからだと窓が小さくて裏庭の全貌は見えない。
身を乗り出すと、あの子に見つかる可能性があるから、そっと見えないように見つめていた。
あの子は、誰に向かって、言って、いるのだろうか。
俺の思考が停止した。
…まさか、あの子に好きな人がいたなんて。
そんな話は聞いたことがなかった。
内密に男爵家に打診に行ったときにも、婚約者がいるとか恋人がいるといった話は聞かなかった。
でも、好きな人、というだけなら、確かに父君に言うことはないだろう。
その日以来、俺はあの子がいない時間を見計らい、裏庭に降りていった。そこは下級貴族が行き交う道の途中にある。
…逢瀬を重ねるには格好の場所と言えた。
目の前に咲く花は、いつもあの子が俺の部屋に飾ってくれる可憐な花。それはまるであの子自身のようだった。
俺は思わず口付けていた。
現実では簡単に触れることもできない存在。
けれど、想いは募る一方で。
知らず知らず涙していた。
それから半年後、婚約が内々に決まった。
そうして、俺はまたあの裏庭に降りてきた。
…あぁ、俺はなんて残酷なのだろう。
それでも。もう、あの子を手離すことなど考えられない。
別の人を好きなあの子を俺は婚約者にする。
…結局想い人が誰なのかわからぬままに。
心が痛かった。
…けれど、このことを知ったあの子はどんなに心を痛めるのだろう。それはきっと俺の比ではないだろう。
目の前の可憐な花を手折り、俺は口付ける。
「愛してる」
目から涙が伝うのを感じた。
こんなにも気持ちが溢れて止まらない。
あぁ、どうか、俺の一生を掛けて愛すると誓うから、俺にほんのわずかでもいい。アイツを想うその心の一部分でいいから、気持ちをくれないだろうか。
その時、かさりと物音が聞こえた。
振り向くと、そこにはあの子がいた。
ーその瞳から大粒の涙を流してー
俺は直ぐ様彼女に駆け寄った。
「何故泣いている!!
…誰に泣かされたんだ、言ってくれ。」
「……え」
目をパチパチさせる姿も愛らしい。
…ていや、今はそれどころじゃない!
どんなことをされても泣かなかったあの子が涙している。
これは相当なことをされたに違いない。
くそっ、俺が婚約のことで気が回らないうちに、令嬢達に手を出されたというわけか…っ。
傷など直接的な攻撃もされているかもしれない。
俺は肩に触れながらも素早くあの子の身体を黙視する。
どうやら、ぱっと見たところ怪我はないようで安心する。
けれど、もしかしたら見えないところに…ということもありえる。
俺はあの子を怯えさせないよう、慎重に言葉を重ねた。
だが、心優しいあの子は相手を庇おうとする。
そんなあの子がもっと愛しくなって、抱き締めて口付けて愛を囁きたいと欲望が渦巻く。
その気持ちに蓋をし、頬の涙を拭いながらずっと親しくしたかったと想いを告げる。
すると、俺に向かって初めて、あの子は笑ってくれた。
「……ありがとうございます。
そのお心だけで、私は充分です。」
あぁ、もうあの子が誰を好きだろうと構わない。
それ以上に俺が愛せばいい。
我慢の限界で思わず口付けてしまった。
だが、嫌がる素振りも見せなかったから希望はあるのかもしれない。
順番が逆になってしまったが、改めて俺は跪き、あの子に愛を囁いた。
「君を愛しているんだ。
どうか私の妻になって欲しい。」
そう告げると、ほんのり頬を赤らめて俺を見つめてくれた。
どうやら、俺を嫌いではないらしい。
そのことに安堵して、俺は再びあの子を抱き締めた。
もう、逃がさない。
例え、アイツが邪魔してこようとも、幸せにするのはこの俺だ。
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婚約後、別に想い人がいたというのは俺の勘違いで、俺のことが密かに好きだったと知り、抱き潰したのはどうか許して欲しい。