第七十六話 時計仕掛けの奇跡
一人の少女が通りを歩いていた。
周囲の人間には黒い上質なドレスを着た年頃のお嬢さんが、どこか浮かない顔で何かを探しているように見えていただろう。
しかしその少女は、魔族の娘ヒルダだった。
ヒルダは以前やって来た円形広場までやって来ると、路地を順にくまなく覗き込んでみたが、マキナの姿はどこにも見えなかった。
(本当にあの野郎はどこへ行ったんだよ、クソ……)
広場の中央にある噴水の縁に腰をかけて、がっくりとうな垂れるヒルダ。
ヒルダは広場の外周に沿って広がる市場と、そこに集う人々の姿を遠目に見つめながら、いま自分が置かれている状況を頭の中で整理していた。
ロウマにこの街へ連れてこられて与えられた仕事とは、ある人物の監視だった。
その男はロウマが偽装しているヒト族の部下に当たる獣人族の男で、遺跡探索隊の分隊長を任せられていた。
最初ロウマからその仕事を任せられた時は肩透かしを食らった気分で、ヒルダはこんなかったるい仕事をするくらいなら、真剣にロウマの元から逃げようと思ったものだが、肝心のマキナが行方不明だったので我慢することにした。
マキナは、あのリザードマンの少女を助けて以来、宿には戻ってきていなかった。
ロウマから一度マキナの事を尋ねられたが、ヒルダは平静を装って「仕事の邪魔になりそうだから捨てた」と嘘ぶいた。
それでロウマを騙せたとは思っていない。
あのお姉様は目的の為ならば、血の繋がった姉妹すらも踏み台にするような冷酷な人間のはずだ。
まだ出会ったばかりだが、ヒルダはロウマが常に全身から発している針のような刺々しい雰囲気や、なかなか本心が読み取れない、ガラス玉のような双眸を見るたびにそう感じていた。
だからヒルダは、取りあえずロウマに与えられた仕事を全うすることに決めた。
マキナの事は仕事の合間に探すしかない。
恐らく言われたことをしっかりとやってさえいれば、最悪の事態は回避できるだろう。
そしてヒルダはつい先ほどまで、アルマスを監視して古代遺跡の中まで尾行していたのだが、一行が二手に分かれて、そのうちの一つのグループが地上へ出てくることになったので、一旦ロウマに報告をしに地上へと戻ってきたのだった。
その時の会話を、頭の中で反芻するヒルダ。
『――姉様っ! 大変です、父様の仇のタイガ・アオヤーマが居ました! これは一体どういうことなんですか……!?』
『ふふ、知ってるよ。どうせなら飛び掛って始末してくれても良かったんだがね。魔王様に無断でこの大陸までやって来た時の威勢はどうしたんだい……?』
『そ、それは……! しかし、あいつはとても強いのです。今の私じゃ、とても敵う相手では……』
『ふん。随分と殊勝なことを言うようになったじゃないか。まあいいさ。それで死霊の方は見たのかい?』
『そ、そう、それです! なんとその死霊と呼ばれる怪物も、タイガ・アオヤーマと同じ稀人でした! しかもタイガと同じ奇妙な鎧を身に纏っていて――!』
『ああ、それもわかっているよ。そもそも、そいつは私の獲物だったんだ。取り逃がしてしまったけどね……』
『え……?』
『父様と一緒さ。もっとも私がヘマをしなければ、わざわざ父様は駆り出されず殺されることもなかったかもしれないけどね……』
『ま、魔王様は一体何を企んでいるのです……? 父様や姉様は一体何故稀人と戦わなければならなかったのですか……?』
『ヒルダ、忘れるんじゃないよ。お前には暗殺命令が出ているんだ。つまり魔王様から切り捨てられて、もう魔族には戻れない身。そんなお前に、ベラベラと魔王様の企みを話すと思うかい……?』
『し、しかし……!』
『これ以上は言わないよ……? 今のお前は私が与える仕事だけを、死に物狂いで全うしてさえいればいい。そうすれば私が魔王様に掛け合ってあげるからね。さあ、無駄話は終わりだ。戻ってきたということは、何か動きがあったんだろ?』
『は、はい。あいつら二手に分かれることになって、タイガともう一人の稀人とアルマスがそのまま最下層へ、残りのメンバーは一旦地上へ戻ることになりました。変わったことがあればすぐに報告をと言っていたので、一応知らせに……』
『タリオンの九十九番目の子にして、六十六番目の妹よ。それでいい。ただの甘えん棒の末っ子じゃないようだね。それじゃあステラヘイムの姫様は、地上へ戻ってくるという訳だね? くく、面白いように歯車が噛み合うじゃないか……。それじゃ新しい仕事を与えるよ。お前は遺跡へ戻って――』
ヒルダはそこまで思い出して深いため息をついた。
ロウマが何を企んでいるのかは知らないが、自分がいいように利用されている事だけは手に取るようにわかっていた。
しかしクモの巣に囚われているように、糸はがっしりと自分の体に絡み付いていて、動けば動くほど言いなりになればなるほどに、束縛は強まって自由を奪っていく。
それがわかっているのに、なす術がないことがもどかしくてヒルダは唇をぎりりと噛み締めた。
「こんな時にマキナが居たらどうなっていただろう……」
ヒルダは自然とマキナの名が口に出たことに多少戸惑いつつも、マキナとの最後の会話を思い出して舌打ちをした。
――この世界は弱肉強食で、この子が弱いのが悪いですか……?
――ママも弱かったから、タイガ・アオヤーマに敗れましたか……?
――弱い者に手を貸すのは、そんなに悪いことですか? だったら僕がママの復讐を手助けすることも悪いことですか……?
――僕は、僕の心がどんな形をしているのか知りたいです……
「ああ、そうだよ……! 弱いから悪いんだ、私が弱いから……! 父様よりもタイガが強かったから……! ロウマ姉様が私より強いから……! なのに私にどうしろってんだよ、くそ……!」
ヒルダは諦めたように立ち上がると、うな垂れたまま西の山間部に向かって歩き出した。
地下道への入り口は、袋小路の一番奥の地面にぽっかりと口を開けていた。
本来は鉄格子の扉が蓋のように閉まるらしいが、今は開け放たれていて自由に出入りできるようになっている。
ヤルハに連れてこられたマキナは、特に警戒することもなく地下へ延びる階段を下りた。
「こっちなのですよ」
ヤルハが地下道を小走りに駆けていく。その足取りは軽く弾むようだ。
レンガ積みの壁には、等間隔でかがり火が焚かれているので視界は保たれていたが、それでも夜のような暗さには違いない。
やがて地下道はレンガ積みの人工のものから、土が剥き出しになったままの洞窟へと変わっていく。
レンガ積みの地下道は右へ直角に折れ曲がってそのまま続いているところを見ると、どうやらこの洞窟はリザードマン達が勝手に掘り進めたらしい。
ヤルハの後に続いて洞窟を歩いていたマキナだったが、両側の壁がくり抜かれて幾つかの部屋が並んでいることに気がついた。
部屋の中は、かがり火が焚かれていないので真っ暗でよく見えない。
しかしマキナの白い双眼は、その暗闇の中に何かが無数に佇んでいるのを見逃さなかった。
吸い寄せられるように、傍らの部屋の一つに入っていくマキナ。
五メートル四方ほどの部屋の中にあったのは、床一面にびっしりと生えている草本だった。
草と言っても色は真っ黒で茎の太さも指二本分ほどあり、高さはマキナの胸の辺りまであるので、まるで細長い炭のように見える。
「これはウロという植物なのですよ。日の光が無くても成長してくれるので、私たちリザードマンの大事な食料なのです」
と、いつの間にかヤルハがマキナの横に立っていて、そう説明してくれた。
「マキナさんはウロは食べたことありますか? あまり見た目はよくないですけど、栄養もあっておいしいのですよ。はい、どうぞ」
ヤルハは目の前のウロを一つ掴んで途中でポキリと折ると、満面の笑みでマキナに差し出した。
マキナは無表情でそれを受け取ると、少し躊躇しながらも噛り付いてみた。
シャリッシャリッと小気味のいい音が口の中に広がったが、マキナは味覚を持たないので味はまったくわからなかった。
しかしそんな事は知らないヤルハは、期待に満ちた瞳でマキナを見上げている。
「どうですか? 最初は少し苦味があるかもしれないですけど、噛んでいると甘みが出てきておいしくないですか?」
「そうですね。はい、おいしいです……」
「よかったのです! これを煮込んだスープも美味しいので是非食べてください。私が作りますから!」
「はい。お願いします」
「それじゃあ皆に紹介するのです!」
と、また元気よく駆け出すヤルハ。
洞窟は少し歩くとドーム状の空間に突き当たり、その壁には無数の横穴が開いていて幾つもの梯子が立てかけられていた。
ヤルハは広場の中央に立つと、壁の穴に向かって大声で話しかけた。
「お父っ! みんな! お客さんを連れて来たのですよ!」
ヤルハの幼い声がドーム状の広場に響き渡った。
すると、次々と横穴からリザードマンたちが何事かと顔を出した。どうやらその横穴の一つ一つが住居になっているらしい。
そして一際大きな声で「ヤルハなのか!?」と、慌てて飛び出してくる影が一つ。
それは見るからにがっしりとした体格のリザードマンで、一番上にある横穴から身を乗り出してヤルハの姿を確認すると、ハシゴも使わずに十メートル近い高さを飛び降りた。
ヤルハの目の前に飛び降りて来たのは、身長が二メートル近い巨体のリザードマンだ。
「お、お前は今までどこをほっつき歩いてやがったんだ!? 集落のみんな総出で探し回ったんだぞ! 心配かけやがって!」
と、ヤルハを引っぱたこうと右手を振り上げた。
しかしヤルハは慣れたもので、振りかざされた右手を寸でのところでしゃがんで避けると、そのまま大男の股座をすり抜けて背後へと回りこんだ。
「お父、違うのですよっ! 私は食事を探しに地上へ出掛けたら、ヒトと獣人の子供たちに掴まって……!」
「だから、あれ程子供だけで地上に出ちゃ駄目だと言っておいただろ!」
ヤルハの釈明を聞いて落ち着くどころか、ますますヒートアップする父親。
「でも! でも、お父がたまには肉が食いたいといつも言っていたから! それで……!」
ヤルハのその言葉を聞いて父親リザードマンの動きがピタリと止まった。険しかった表情が一転して、今にも泣き出しそうな顔になっている。
「お、お前まさかそれで地上に……!? 俺のために……!?」
「お父はいつも私やみんなのために頑張っているのを知っているから、たまにはお肉を食べてほしかったのです……」
「ああ、ヤルハ……。お前は本当に自慢の娘だよ。死んだ母親に似て優しい子に育ってくれて嬉しいよ。おいで。もう怒ってないから抱きしめさせておくれ……」
と、跪いて両手を広げる父親。
ヤルハは飛び跳ねるようにして、ぶ厚い胸に飛び込んでいく
二人が再会を喜んで頬をすり合わせていると、いつの間にか周囲には横穴から這い出てきたリザードマンたちが取り囲んでいた。
その数は二百くらいか。
「それで私、地上で街の子供たちに見つかって大ケガをしたのですよ。だから結局お肉は取ってこれなかったのです。お父、ごめんなさいなのですよ……」
「はああっ!? ケガをさせられただと!?」
ヤルハを放り出して鬼の形相で仁王立ちになる父親リザードマン。その巨体は今にも破裂しそうな勢いで怒りに震えている。
「ふ、ふざけやがって……! もう我慢ならねえ……! セドリック王の決めたことだから、こんな穴倉に追いやられてもずっと我慢してきたが、俺の娘に手を出してタダで済むと思うなよ、地上の連中めえ……!」
そして「うおおおおおおおおっ!!!」と叫びながら出口に向かって走り出した父親を、村の男たちが総出で追いかけて取り押さえた。
「村長! 落ち着いてくれ! 上の人間と戦争でもしようってのか!?」
「そんなことをしたら憲兵団がここへ乗り込んでくるだけだ。ほかの集落の連中にも迷惑がかかっちまう!」
「うおおおおおっ! 放せ! 放してくれ! この子が一体なにをしたって言うんだ!? ただほんの少し地上に出てゴミを漁っただけだろ! それなのに暴力を振るうとは、ヤルハよりゴミの方が大事ってことか!? 娘がゴミ以下の扱いをされて黙ってたら、リザードマンの名が廃るってもんだ! みんな頼むから行かせてくれっ!」
「お父っ、落ち着いて私をよく見てほしいのですよ!」
と、父親の前に立ちはだかると、その場でくるりと一回転して見せるヤルハ。
その見るからに元気そうなヤルハの姿に、父親や村の者たちも呆気にとられた顔をしている。
「も、もしかして大ケガと言うのはウソだったのか……?」
「ううん、本当なのですよ。でもあのお方に治してもらったのです」
そうヤルハはニッコリと微笑むと、壁際でずっと様子を伺っていたマキナを指差した。
マキナの容姿を見て村の皆がざわついた。
「ヒト族の男……。あいつがヤルハを治してくれたのか……?」
「お父、それに村の皆も聞いてほしいのですよ、マキナさんは黄金聖竜様に呼ばれて、別の世界からやって来た稀人なのです! 私やリザードマンの皆を助けに来てくれたのですよ!」
ヤルハはマキナの元へ走っていくと、怪訝な表情を浮かべている村の皆に向かって身振り手振りでマキナの素性を説明して見せた。
しかし父親を始めとして皆は狐につままれたような顔を浮かべて、その様子を遠目に見守るだけだった。
「ヤルハこっちへ戻って来い! お前は優しい子だから騙されてるんだ! なあ、ヒト族の兄さんよ、ヤルハのケガを治してくれたのは本当らしいから感謝する。しかし何が目的か知らないが、これ以上この子をたぶらかさないでくれないか。この子にはたたでさえ母親が死んでから、ずっと寂しい思いをさせてるんだ。変に期待を持たせても後から辛いだけだ。だから今すぐにヤルハを置いて回れ右をして、ここから出て行ってくれ。さもないと……!」
両手の指をバキボキと鳴らしながら、マキナにゆっくりと向かっていく父親。
しかしマキナは父親には目もくれず、村人を見渡している。
そしてある男の元へと歩み寄った。
その男はまだ働き盛りの三十代に見えたが、杖をついていて右足には薄汚れた包帯で添え木が固定されていた。
「この足はどうしたのですか?」
「あ、あんたもここに来るまでに見ただろ? 俺たちリザードマンは地下での活動範囲を広げるために、来る日も来る日も穴を掘る生活さ。この足は落盤事故に巻き込まれて骨がぐちゃぐちゃになっちまったんだ。治癒魔法が使える仲間は随分前に死んでしまったし、ポティオンも高いからな――て、もしかして、あんた治せるのか……?」
「僕はその為に来たのですから。黄金聖竜様は決してあなたたちを見捨てたりはしていませんよ」
そうマキナは微笑むと、自分の白髪を一本だけ抜き取ってみせた。
指に摘まれた白髪が針のように硬質化したかと思ったのも束の間、それを男の右太ももに思い切り突き刺した。
驚いた男が短い悲鳴を発し、周囲の村人が息を呑み、父親がマキナに飛びかかろうとするのをヤルハが必死に食い止める。
「ぎゃっ――あ、あれ? 痛くない? それに右足が動くぞ……!?」
男の太ももに突き刺さっていた白髪は、あっという間に体内へ吸い込まれていて、それと共に痩せ細っていた右足に筋肉が戻っていた。
男は毟り取るように包帯と添え木を外して自分の足を確認すると、マキナの両手を掴んで泣きながら何度も何度も頭を下げた。
その様子を見守っていた村人達から歓声が上がり、病人や怪我人が我先にとマキナの周囲へ群がった。
「大丈夫です。慌てないでください。皆さんの先の見えない不安も虐げられている環境も、今日で終わりにしましょう。黄金聖竜様もそれを望んでおられますから――」
マキナの透き通るような声を合図に、村人たちの熱気は更に高まっていき、激しいうねりとなって地下空間に充満していった――
次回更新は金曜日真夜中、日付が変わったあたりとなります。
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